みなさん さようなら

2018.04.26 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1982年(S57) 月刊「特装車とトレーラ」4月号

難しい骨肉関係
小倉車体倒産の経緯を聞く

 事業の倒産は経営者にとって死を意味するほど大きな問題である。経営者だけでなく、その従業員、取引先に対して大きな影響を及ぼすのであるから、事業経営に失敗した人が時に死を選ぶのも無理からぬ事である。従って、事業経営に乗り出すには、慎重さと、周到な準備がなければならない。

 3月号で一部既報した小倉車体(株)(神奈川県伊勢原市)の倒産は、事業経営の能力に欠ける人物が安易に事業を手掛けたための失敗例である。
 小倉車体は、S社長の実弟島田氏が社長になっている小倉運輸(株)の車体工場事業部から一昨年中頃独立したもので、横浜日野自動車からの注文を受けて架装をしていた。小倉運輸は日野車のユーザーであり、三者は密接なつながりがあると見られたのも当然で、昨年11月末に小倉車体が倒産した際に、親会社筋と見られる小倉運輸の責任を追及する声が上がったのも自然であった。さらに、S社長が小倉運輸に責任を転嫁する発言をしたことなどもこれに油を注ぐことになった。

 しかし、車体と運輸は別会社であり、運輸に対して債権者側が弁済を要求することはタテマエ上できない。結局、債権者側は腰くだけのような形になって、解散という惨めな形に終わることを余儀なくされたのである。

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みなさん さようなら

2017.10.09 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1983年(S58) 月刊「特装車とトレーラ」10月号

背水の陣を布いた新明和
川西モーターサービスの名称消える

 特装車のトップメーカー、新明和工業(株)川西モーターサービスの、「川西モ…」の名が9月1日から消えた。
 川西航空機から戦後の駐留軍車両補修時代の苦難の歴史を川西モーターサービスの名称に残した同社は、高度成長期のダンプ時代をリード、それはまたわが国大型トラックの牽引車的存在でもあった。

 新明和工業の川西特装車以外の機械や航空機などの事業部門に比較して、ダンプを主力にしたモーターサービスの売上構成比はきわめて高く、当初は新明和工業の中の独立事業部門の観さえ呈したのである。既に10数年前になるが、城山三郎氏はこの川西航空機の戦中戦後の生きざまを「零からの栄光」のタイトルで週刊誌に連載、後に単行本として出版している。
 この本の書かれた当時のわが国はまだ高度成長時代であり、川西の名は特装車のトップリーダーとして栄光の中に生き続けることができたのである。
 その川西モーターサービスが姿を消す。特装車ジャーナリズムの一員としていささかの感慨なきを得ない。われわれは新明和と呼ばず、常に川西の名を以て代表させてきた。川西でなく新明和が自然に口をついて出るようになるのは、なお暫くの時日を要するであろう。
 それほど、特装車業界には川西ブランドが浸透しているのである。その名を捨てるについて、川西側に何の未練、逡巡もなかった、というのはあり得なかった筈である。

 トラック市場の変化は、総需要の停滞の中でのダンプシェアの低下という、いわば二重苦を川西に強いた。この大きなうねりに対し、川西の名を捨てて立つ、いわば背水の陣を布いて、全員の意識革命の上に新生の途を模索する今回の措置となった。ゼロからの栄光ならぬ、スタートを目指しているわけである。

 川西時代のリーダーであった桂芳雄氏は現役を去り、極東開発を創立した宮原勲氏、ある時期の川西の立役者だった麻野隆平氏のふたりは鬼籍に入り、川西ダンプを今日あらしめた五十川澄男専務も、ラインを離れた。筆者の知る川西を築いた人、支えた人は退いて、次の世代の人達に移ってゆく。

 暑かった夏も過ぎようとしている。感傷を捨てて、川西の良き伝統が新明和特装車の中に生かされて、これからも特装車業界をリードすることを祈りたい。


みなさん さようなら

2017.10.02 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1975年(S50)月刊「特装車とトレーラ」10月号

大型倒産を他山の石として平凡な真理に徹しよう

相次ぐ大型倒産
 照国海運が倒産した。戦後最大の負債を記録した興人の倒産があったばかりで、産業界を取り巻く情勢の厳しさを改めて訴えている。照国海運や興人の倒産理由については色々な方面から既に論じ尽くされているので、重複は避けるが要するに高度成長の波に乗って実力以上に急膨張した企業が、風船玉に穴があいたようにパンクしてしまったということであろう。興人はよく知らないが、照国海運は系列の日本高速フェリーを通じていささかのかかわりがあるので、このニュースを聞いて、ひとしおの感慨である。

 一昨年の3月、日本高速フェリーの東京―高知航路開設に先立って、同社の誇る豪華フェリー“さんふらわあ5”でレセプション航海が行われ、ご招待を受けて参加した。東京から高知までの20時間、金井克子とそのグループの豪華なショー、ふんだんに提供される料理と酒、文字通り飲めや歌えの、無礼講の航海であった。船上中川喜次郎社長とその一族の記者会見もあり、高知港には溝淵高知県知事が出迎えて歓迎レセプションが行われた。石油ショックの直前、世は高度成長の波にまだ酔い痴れており、中川喜次郎社長にとっては最良の日であったに違いない。
 この航海が縁となって、小社主催の第一回「呉越会」セミナーが東京―高知間の“さんふらわあ”船上で開催されたのをご承知の読者も多いはずである。

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みなさん さようなら

2017.09.28 06:33|コラム・巻頭・社説・社告
1975年(S50)「特装車とトレーラ」9月号

トレーラ工業会の設立を提唱する

自主独立路線の確立を図るべきである

 一利を興(おこ)すは一害を除くに如(し)かず、という格言がある。良いと思われるようなことでも、その為の組織を作ったりするよりも、不要となったものや邪魔になったものを整理する方がはるかに大事であるし、効果も大きい、という意味である。公社公団を濫造したり、組織や役職を増やすことに熱心な官庁や企業にはいい警告の言葉であろう。
 私が冒頭に掲げたトレーラ工業会の設立は、この格言にいささか矛盾するようではあるが、以下に述べるような状況から是非とも必要であると考えられるので、敢えて提言するものである。

 トレーラメーカーは現在、(社)日本自動車車体工業会に加入し、トレーラ部会を作って様々な活動を行っているのはご承知の通りである。それで用が足りているのならそれでいいではないか、というご意見もあろうが、用の足り方も様々で、その判断は極めて難しい。しかし、車体工業会のトレーラ部会での活動で十分である、と考えている人は殆どいないのではあるまいか。
 車体工業会の車体というものは自動車の部分である、だからその工業会も自動車工業会の下部組織に過ぎない、と考えるのも当然であるかもしれない。自動車工業会の会長は、トヨタか日産の社長、車体工業会はその下請会社のトヨタ車体か日産車体の社長が会長を務めるのが、不文律のようになっているものか、近年はこういう人事が続いている。車体工業会が多数の会員会社を擁し、立派な事務局を持ちながら、社団法人という業界団体としての認知がされないまま発足以来20数年を経過したということも、その体質を物語るものである。
 私がこの本を前任者から引き継いだ数年前には、なぜ車体工業会はこれ程弱い団体であるのかとまことに歯がゆかったものである。せめて、私の作る専門誌ぐらいは車体を扱っても、もっと強く、完全に自立したものでなければならない、何か意地のようなものが働いて頑張った。しかし、業界の実情が段々分かってくるにつれて、こういう団体であるのも無理はない、体質の強化は一朝一夕には不可能である、ということも諒解されるようになってきた。
 たしかに一般の車体メーカーは直接ユーザーと結びつかず、自動車メーカーまたはディーラーからの受注によって生産するケースが多い。下請企業とみられても仕方のない面もある。
 しかし、トレーラになると様相はかなり異なってくる。構造的にもトレーラはエンジンを持たず、それ自体1個の独立した存在となっており、受注活動もトレーラメーカーが独自に行う場合が多い。
 さらにトレーラには一般車とは異なる法規があり、使用法がある。わが国のトレーラの普及を阻害している大きな原因は法規的な面にある、とは多くの人が指摘するところであるが、この点の打開は車体工業会の一部会の活動では困難である。現在は個々のメーカーが陳情しているケースも多く見られるものの、やはり独立した強力な工業会を通してゆくのがスジというものである。
 ダブルストレーラ、特殊トレーラの許認可などの身近な具体的課題から、ヨーロッパに見られるような軸重による荷重制限への移行、税制面での再検討など地道に長期的に取り組んでゆかねばならない問題もきわめて多い。
 これまで大量輸送ということが言われてきたトレーラのメリットについても、そのシステム的運用についてはメーカー、ユーザーとも理解が十分でない場合が多い。現在の経済活動の停滞による荷動きの低迷で、大型トラック以上にトレーラの需要は落ち込んでいるが、安定成長、低成長にせよ、正常に復した場合、省力・省資源・システム車輛としてのトレーラは必ず見直される筈である。
 トレーラのシステム的効用を最大限に発揮したのは長距離フェリーであり、本年10月からは東京―苫小牧間に貨物フェリーが就航することになっている。航路によっては利用者の少ないところもあるが、東京―北海道のように物流ルートとして確立した航路では、トレーラ化はますます進むであろう。
 これらのシステム的運用については個々のメーカーによるよりも、工業会あたりで訴えてゆく方が効果があろう。

 以上のような観点から、車体工業会のなかでも、トレーラを除くトラック・小型・バン・特装・特種などの部会とトレーラ部会との間には大きな違いがあることが諒解できると思う。
 トレーラメーカーの数は決して多くはない。しかし、目的を異にする多数の集団よりも、少数であっても共通目的を持って結束した団体の方がまとまりはよく、強力な活動ができるものである。トレーラ工業会の設立を真剣に考えてはどうであろうか。


みなさん さようなら

2017.06.26 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1984年(S59) 月刊「特装車とトレーラ」 7月号

社説
「富者の万燈」と「貧者の一燈」
零細企業も参加できるトラックショーを

 この5月に開催した 「第13回 呉越会」 の早朝セミナーでお話した、“富者(長者)の万燈より貧者の一燈”はお経の中に出てくる言葉である。詳しい説明は略するが、貧しい人のたとえ僅かの寄進であっても、その志は金持ちの多大の寄進にも勝る、という意味である。

 佐川急便の佐川清会長は比叡山延暦寺に大塔を1人で寄進した。「富者の万燈」の典型例である。宗教活動はもともと貧者の一燈によって支えられるもの、1人を救うよりも万人を済度することが宗教の目的である筈だが、手っ取り早い方法を選んだものだろう。歌舞伎の勧進帳は、東大寺大仏殿の再建の寄付を集める山伏、実は義経と弁慶が安宅の関で関守富樫に咎められて白紙の勧進帳を読むのだが、その中に、たとえ一紙半銭たりとも、の言葉がある。これこそ「貧者の一燈」なのである。

 佐川急便自体が、大口荷主偏重を避けて小口、零細荷主を対象にして急成長したことはよく知られる。そのオーナーが延暦寺に対する最大の寄進者となることに、何の心理的痛痒も感ぜず、叡山もまた易々としてその申し出を受け入れたことに対して、何か割り切れなさを感じる。佐川問題が国会で取り上げられたりしていて、このあたりの考え方にその一因がありそうである。

 本誌は、自動車メーカーの大口広告だけに頼ることをせず小口の車体、機器メーカーの協力を求めることを主眼としてきたトラック専門誌である。筆者ひとりの時もコツコツとそれらのメーカーを訪ねたものであった。この多くの小口の協力者のお陰で、第一次オイルショック以降のトラック不振の中にあっても、小社の売上実績は一度も下降することはなかった。もし、自動車メーカーや大手の車体メーカーにだけ依存していたら、惨憺たる様相を呈したであろう。

 先月号(※)に書いたように、筆者は四国を縦断する活魚輸送車に体験乗車して、7時間余、飲まず食わず、休みなしで走った。輸送の第一線を支えるドライバーは実に苛酷な労働条件を強いられているのである。
 車体メーカーもまた、規模の小さい所は血みどろの苦闘を展開しており、トラック産業の底辺には陽の当たらない人達が多く存在する。この人達への理解がなくては、トラックを語ることはできない。

 モーターショーは、いわば「富者の万燈」のお祭である。そこには、トラックを作り、使う末端の人達の汗の臭いは伝わってこない。その人達が喜んで参加できるのが、本来の「トラックショー」であろう。

(※) 1984年6月号「べったり取材 活魚輸送メーカーと同乗記」を6月8日、12日の2回にわたってアップしました。


 
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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