みなさん さようなら

図書紹介

謙信・信玄 リーダーとしての条件

海音寺潮五郎「天と地と」
新田次郎「武田信玄」


歴史小説による川中島の決戦

人が人を得た歴史小説の競作
 本誌の博物館シリーズで上杉謙信と上杉家のその後を取り上げたのを機会に、NHK大河ドラマの原作となった海音寺潮五郎の「天と地と」を読んだ。ついでに、謙信のライバルだった武田信玄を描いた新田次郎著「武田信玄」も読了した。
 いずれも、作者の歴史小説を代表する大作で、殊に新田次郎のそれは彼の著作の中でも最長編ではないかと思われる。
 
この二つの本を読んでみて痛感するのは、作者それぞれの主人公についての思い入れの深さである。
 歴史小説にしろ、伝記にしろ、その主人公を美化して描くのはむしろ当然のことなので、作者なり編者の主観が入るのは当たり前の話で、それがまた読者を魅了する要素ともいえる。

 しかし、この2作のように、同時代に生きた主人公を美化すると、その相手に低い評価しか与えない、ということになる。海音寺潮五郎は信玄を、新田次郎は謙信を、それぞれ一段も二段も下に見ている。こうなると、実際の謙信像なり、信玄像は果たしてどうであったのか、読者としては困るのである。
 たとえば、両雄決闘のハイライトともいうべき川中島での謙信自身の信玄本陣への斬り込みにしても、新田次郎の方では、謙信が取り乱して信玄の本陣へ迷い込んだものである、という書き方になっている。
 このあたりの事情を小林計一郎氏(長野高専教授)は、海音寺描く信玄像、新田描く謙信像がやや事実に近いのではないか、と見ている。(日本放送出版協会「歴史への招待」11)

 こういう見方もあるかも知れないが、このふたつの本を読んで、心に残るのはやはり謙信の「さわやかさ」であり、信玄の「いやらしさ」である。信玄はいくら美化しても、領土獲得とその経営に腐心し、女性には目のない戦国の武将としか映らない。一生不犯と伝えられる謙信と女性の面での比較はできないが、領土獲得と経営については、たしかに信玄の方に分があるように思われる。その点で、謙信は関東管領という名分のもとに、無用とも思われる戦を何回も行って、兵力を消耗している。
 男の行実の美学、というような観点から、謙信、信玄を比較すると、これは問題にならない。

 海音寺潮五郎は南国鹿児島の出身で、当然のことのように「西郷隆盛」を書き、彼の代表作のひとつである。「平将門」は、これもNHK大河ドラマにもなったことがある。
 一方の新田次郎は海のない山国、長野県の出身、気象庁永年勤続というキャリアを活かした山岳、気象に関する著作が多い。ヒット映画の原作「八甲田山」はその例で、「武田信玄」の中にもその知識は大いに駆使され、誌面に生彩を与えている。
 海音寺が謙信を、新田が信玄を描いたというのは、まさに人が人を得た絶妙のコンビで、さればこそ、歴史小説の傑作が生まれ出たのであろう。現代作家による川中島決戦であり、角川書店(天と地と)と文藝春秋社(武田信玄)の出版界戦争でもある。(いずれも文庫版)

堅実安定経営の武田軍団だったが……
 「時代を同じくして生まれ合わせ、どちらかを主人と選ばなければならないものなら、信玄を選んだ方が得であろう。ぼくは人の家来になるのは嫌だが、どうしてもということになれば、謙信の方だ。」と海音寺潮五郎はそのあとがきに書いている。
 謙信と信玄を現代の経営者に見立てて、大学新卒者にどちらの会社を希望するか、と質問すれば100%近くが信玄の会社を挙げるかもしれない。
 何といっても、信玄の方は堅実で安定経営だし、その人に相応しい地位も与えられる。一方の謙信の方は、思いつきで動いたりして、危なっかしい。事実、謙信はその領土内の内紛に悩まされたが、信玄の在世中にはそれがない。

 経営的に見るなら、勝負あった、という感じなのだが、経営というものが社長の一代だけでなく、永続性が問われるとすれば、結果論にはなるが、武田は次の代で潰れ、上杉は規模こそ縮小したものの、大名としての家名を全うしてその家系は現代に繋がっている。武田会社に入ったより上杉会社に入社した方が得だった、ということになる。ただ、大会社が貧乏会社になって苦労させられることにはなったが。

後継者で差の付いたポスト謙信・信玄
 信玄の跡を継いだ武田勝頼は暗愚な人ではなかったものの、政略という点では父にはるかに及ばず、ひたすら武力による拡張政策を取った。時代は戦国から信長、秀吉、家康の天下統一へ大きく動きつつあり、勝頼にはそれが見抜けず、しかも、鉄砲による近代化兵備にも後れを取った。従来の戦法にこだわって長篠の戦いで大敗、重臣の多くを死なせ、残った人達も殆ど離反して、孤立無援になって武田家は滅亡した。
 最近、大沢商会が倒産したが、3代目社長は重役達の制止も聞かず、ひたすら積極制作に走って、堅実経営で知られた同社を破滅に追い込んだ。武田の末路とやや事情が似ている。

 一方、謙信には子がなく、甥の景勝が嗣子となった。この景勝が人物で、しかも直江兼続という超一流の家老が補佐して、関ヶ原では家康に楯突きながら、家名を保つことができた。
 合理主義に徹していた信玄も、子に対してだけは別で、甘さがあったのであろう。
 謙信は甥の景勝の資質を見抜き、さらに直江兼続を配することで万全を期していた。教育も徹底していたと思われるのは、謙信自筆の習字手本などが残っていることからも十分想像できる。

 「天と地と」「武田信玄」両者とも肩の凝らない読み物である。緑蔭、戦国の昔に思いを馳せるのも楽しいことではなかろうか。


 
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1984年(S59) 月刊 「特装車とトレーラ」 6月号

「興亡 電力 民営・分割の葛藤
大谷 健 著 白桃書房

電力を国鉄にしなかった硬骨の人 ②
“電力の鬼”松永安左ェ門の壮絶な闘いの記録

人材の貧困 電力と国鉄の大きな違い
 電力再編の教訓が最も活かされなければならないのは国鉄であろう。しかし、この本を読んで痛感したのは、電力と国鉄の事情の大きな相違であった。

 国鉄は、国営化されてからの歴史が永く、上から下まで、骨の髄までどっぷりとその悪しき習性が染みついている。電力の場合は、国営化されたといっても僅々数年のことで、松永のように電力会社の経営に当たった人は健在だったし、関西電力の太田垣士郎のように、松永の民営優位論を見事に実証させた人材も電力、配電内には豊富であった。国鉄内部に松永や太田垣を求めることは絶対的に不可能で、人材の点で先ず最大の難関に逢着するであろう。
 外部から求めようとしても、小林一三、堤康次郎、五島慶太のような大モノ鉄道人は全く姿を消してしまった。利権あさりの政治家や、隠居仕事に財界に籍を置いている老人に、松永のような蛮勇と気骨と実行力を求めることは、木によって魚を求めるに似ている。

 電力再編の壮絶なドラマを綴った本書を読了して、国鉄問題の解決はますます難しい、と痛感せざるを得ない。このままでは行き着く所まで行って、再生の途を模索するより方法がないのではないか、という気がする。

今こそ松永イズム その盛り上がりに期待
 確かな先見性、予見性を持つこと、時流に抗してもその信念を堅持することの難しさも本誌は教えてくれる。後になって、どの方法が正しかったかについて、歴史は非常な審判を下すものである。

 この舞台になった昭和10~20年代、私は学生で、卒業後は郷里に帰ったため、このドラマを肌で感じたことはなく、戦後の停電事情を僅かに知るに過ぎない。
 後年、日本工業新聞社に僅かの間就職して社長に就任していた稲葉秀三氏を識った。戦時中は革新官僚として国家統制を進め、思想的背景を問われて検挙された人で、松永とは反対側に位置し、本書にも登場する。稲葉氏は今も健在だが、学者、評論家に終わったままである。

 松永安左エ門が97歳で死去して13年、国鉄などの公営事業が重大な転機を迎えたいま、松永イズムは再び問われ脚光を浴びている。しかし松永その人は求むべくもない。関係者は、自らの非力を嘆くことなく、電力再編の教訓を範として努力すべきであろう。

 私も、国鉄貨車再生の一手段としてピギーバックを提唱し、国鉄と自動車側を結ぶ研究会を本年の「呉越会」のテーマに取り上げて実行した。
 なお、著者の大谷健氏は朝日新聞東京本社論説委員、大阪商科大学(現市立大学)で私の後輩にあたり、本書の再刊に一役買った松下緑氏(日通総研編集長)は私の親しい友人であることを私ごとながら付記する。


・大谷健氏の著書、原稿については、2017年2月16日ブログ 「問題記事―ある朝日新聞記者の回顧―」と2017年3月27日ブログ「大事なことにケチる
・松下緑氏の著書・原稿は2017年5月18日の「功到自然成」と松下氏の追悼は5月『幽冥録』の「アット過ギルガ人生ナノサ
で既出です。(妙)


みなさん さようなら

1984年(S59) 月刊 「特装車とトレーラ」 6月号

「興亡 電力 民営・分割の葛藤
大谷 健 著 白桃書房

電力を国鉄にしなかった硬骨の人
“電力の鬼”松永安左ェ門の壮絶な闘いの記録

民営国営の壮大な実験 電力再編成
 今、私の生活の場である東京の電力は東京電力から、その前に住んだ大阪は関西電力、故郷の高知は四国電力から供給を受けているのだが、この体制は昔から同じであった、と考えている人は多いのではあるまいか。
 そう思われるのも無理のない話で、電力会社が現在の編成になったのは昭和26年、既に33年も前である。
 その前は国営(公営)で、さらにその前には民営の長い時代があった。つまり、民営→国営→民営と、振り出しに戻ったことになる。

 電力産業という巨大な基幹産業がこのような変転を重ねたことは、モノを生産し販売し、流通させる事業の主体が、民営、国営いずれがふさわしいかについての壮大な実験作業を展開した、ともいえる。さらに敷衍(ふえん)すれば資本主義経済か、社会主義経済かの論議にも発展するであろう。

 それはまた、行革臨調の目玉ともいうべき国鉄のあり方について、大きな示唆を与えることは言う迄もない。電力も、国営のままでいたら、現在の国鉄と同じようなお荷物になったかも知れないのである。

軍閥、GHQの後押しで壮絶な闘い
 国鉄主体の、だらだらストが横行した少し前まで「むかし陸軍、いま総評」とゴリ押し姿勢が批判された。30年余り前、「うちのマッカーサーがうんと言わん」と女房に頭の上がらぬ亭主は戦後の被占領下の日本を支配した絶対者の名を借りて嘆いたものだった。
 日本の電力は、軍閥とそれに同調する革新官僚と呼ばれるグループによって、国営(公営)に移され、GHQ(マッカーサー司令部)の圧力によって再び民営に戻されたのである。

 しかし、そのいずれの場合も、すんなりと移行したのではない。社会体制を根底から変革する暴力革命ではないのだから、軍閥やGHQといっても、命令一本やりで遂行することは不可能で、そこに現状維持派、改革派に分かれた、政治家、官僚、事業家、学者などが烈しい攻防戦を展開する。

 本書に展開される凄絶ともいえる葛藤のドラマは、まさに事実は小説よりも奇なり、で巷に溢れる企業小説や経済記事など足もとにも及ばぬ迫力を以て読者をその世界に引き込む。
 その立役者が「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(1875-1971)で著者もまた、松永に主人公の役割を与えている。

“電力の鬼”松永安左エ門の真骨頂
 社会主義国家の経済停滞、英、仏などの国営化政策の失敗、中国の自由化などによって、国営、民営の優劣はほぼ解答が出た観がある。その現在ですら、国営(公営)にこだわる多くの人達が日本にもいる位だから、戦前、戦中、戦後を通じて一貫して民営の優位性を唱え続けた松永安左エ門の存在は驚異に値する。

 GHQの後押しがあったとはいえ、民営に移行する過程での松永は正に四面楚歌、政界も官界も実業界も、そして言論も殆ど松永の敵の観があった。当時、労働界を牛耳った電産はいう迄もない。

 著者は冒頭の部分で、昭和12年当時、東邦電力社長であった松永が長崎で語った談話に触れる。「産業は民間の諸君の自主発憤と努力に待たねばならぬ。官庁に頼るなどはもってのほかのことで、官吏は人間のクズである。この考えを改めない限りは、日本の発展は望めない。」

 松永は長崎県壱岐島の出身、郷里という気楽さもあってこの放言が出たのだろうが、産業の発展は民間の活力で、という持論は終生変わることなく、その身を置いた電力事業の民営化問題でその真骨頂を発揮して巨大な足跡を印したものである。
 著者はこの壮絶な闘いのドラマを淡々とした筆致で進め、鬼の松永の迫力が行動を通して奔(はし)って飽かせない。
(つづく)


みなさん さようなら

1974年(S49)「特装車とトレーラ」4月号
特装図書館

「暁の群像」
 南條範夫著 角川書店刊
―豪商岩崎弥太郎の生涯―

多彩な登場人物
 一読(いちどく)巻を措(お)く能わず、という言葉がある。読み出したら面白くて、手から離すことができず、そのまま読み通してしまうことをいう。この「暁の群像」上・下巻はまさにこれに該当する。
 この本が私を惹きつけた理由はいろいろある。サブタイトルにもあるように岩崎弥太郎の生涯を画いた小説で、読者もご承知のように岩崎弥太郎は土佐の軽輩武士の出身で、今日の大三菱の創始者である。
 私も土佐の出身であるため、まず親近感がある。それに、維新前後の歴史は門外漢ながら多少勉強もしている。三菱は重工、自動車部門できわめて密接な関係にある。興味を惹かない筈がない。

 主人公はもちろん岩崎弥太郎その人である。しかし、よくもまあ、これだけ多彩な人物を登場させたものと感心させられる位、維新前後の重要人物は殆ど出てくる。また、これらの登場人物を実に鮮やかに描いているのも驚きだ。土佐関係では山内容堂をはじめ、吉田東洋、後藤象二郎、板垣退助、坂本龍馬、武市半平太、林有造、大江卓、谷干城、竹内綱(吉田茂の実父)などがあり、政界では伊藤博文、井上馨、大久保利通、大隈重信、山県有朋、西郷隆盛ほか財界では渋沢栄一、浅野総一郎、古河市兵衛、広瀬宰平、大倉喜一郎など、さらに福沢諭吉から、横浜の有名な女将富貴楼お倉、毒婦高橋お伝まで出てくる賑やかさである。ジャーナリストの世界では福地源一郎、犬養毅(木堂、後首相)も顔を見せる。実在したかどうか知らないが弥太郎と形影従うように三橋節弥というどうしようもない女たらしが、道化役のような形で登場する。
 岩崎弥太郎を軸とするこれらの登場人物が織りなす大ドラマは若々しい活力に満ちた幕末から明治にかけての近代日本黎明期の歴史そのものであり、彼等はそのスターであった。まさに暁の群像である。

常軌を逸した強引な商法
 ともかく読んで損をすることはない本である。維新から明治にかけての歴史に詳しくない方なら、なおさらいい勉強になるであろうし、理解を深めることもできよう。

 岩崎弥太郎については、現在でも必ずしもいい評価ばかりが与えられているわけでもない。著者もそのことを十分心得ていて、できるだけ客観的に弥太郎を眺めようとしている。ともかくやり方が強引である。土佐の方言に“いごっそ”というのがあって、いったん言い出したら絶対あとに引かない、気骨のある、負けん気の強い男のことをいう。こういう人種は土佐ならずともいるものだが、この“いごっそ”(異骨相のなまりという)的人物は特に土佐には多いようである。頭を下げることが嫌いだし、商売人には向かない、とされていた。私の育った土佐の西端は愛媛県に近く、伊予の人は商売が上手いが、土佐の人間はどうも、といわれてきた。確かに土佐人は小商売は下手である。

 ただ、岩崎弥太郎の商売は小商売のワクをはるかに越えて、今日では到底考えられないような饗応、買収そのほか、ありとあらゆる手段を土佐人特有の“いごっそ”気質(かたぎ)で押し通してしまったことに特長がある。政商という言葉があるが、まさにその権化である。そのやり方は批判をするのはともかく、むしろ余りにも常軌を逸した強引さに対して一種の爽快さすら覚える。

国策として推進された海運事業
 三菱の大をなした原動力は海運で、それは今日でも日本郵船、NYKラインとして7つの海に活躍しており、保有船腹量では世界のトップの地位を確保していて、東京海上火災、三菱重工はその派生物である。

 しかし、その起源は土佐商会という土佐藩の特産物を取り扱う、いわば県営の物資斡旋所のようなものから出発している。だから、弥太郎は当初は下級武士ながら土佐藩士として、土佐商会の経営に当たっていたものである。

 ところが、明治維新によって廃藩置県が断行され、土佐藩そのものがなくなってしまった。曲折を経て、土佐商会の事業そのものが岩崎の手に入り、土佐藩船も殆ど無償で岩崎に払い下げられた。これらの船を使って、大阪―土佐、神戸―横浜間の定期航路を開設した。大阪・土佐間の航路はその後土佐商船、関西汽船と事業主体は移り、現在は大阪高知特急フェリーとなって1日2便のフェリーが就航している。実に1世紀以上にわたって、貨客定期航路を続けているおそらくわが国で唯一の定期航路であろう。私自身、土佐商船時代の子供の頃から何回となく乗船した航路で、つい先月も利用したばかりである。横浜―神戸間の貨客船は東海道線が全通するまではドル箱航路で、各船会社が壮烈な客引合戦を演じた。この航路が再開されたのは昭和46年4月、セントラルフェリーによってである。ところが、三洋電機と住友銀行が事業主体では弥太郎が海運に賭けたほどの熱意も執念もあろう筈がなく、僅か1年半で投げ出してしまった。

 ともかく、海運振興は近代日本発展の最大の急務であった。さらに台湾出兵、西南の役など兵員、物資輸送という軍事的要請もある。P.Oなど外国船会社の進出も急で、政府は陰々陽々に国内系海運を保護育成した。今日ではとても考えられないほどの援助を与えている。

三菱の一世紀
 三菱商会となったのは明治6年、いまのスリーダイヤのマークは土佐藩の三ツ柏の紋章に由来している。弥太郎の没したのは明治18年2月7日、52歳の働き盛りの時であった。弥太郎没後の三菱については読者がご承知であろう。
 弥太郎は女を愛し、酒も好んだ。双子を含む妾6人やその子供達を妻子とともに自宅に同居させた。度外れた饗応もする。ジャーナリストの買収も平気。土佐商会を手中に収めるについてもとかくのゴシップは当時からあった。今日的な道徳観からいえば、責められるべき多くのものを持っていたことは事実であろう。しかし、何人と雖も彼の果たした大きな役割について否定する人はない。まさに巨人である。
 弥太郎によって創立された三菱商会は、近代日本の歩みとともに急成長を続けて、今日の大三菱となった。創立一世紀を経て日本経済とともに三菱の抱えている問題も深刻となってきた。弥太郎は泉下で何を思うであろうか。 


みなさん さようなら

(毎週/月曜・木曜 更新 )
1月26日のブログには1990年12月号「NewTRUCK」掲載、大谷健氏の“日本車は良くなった”の記事をアップしました。
大谷氏は朝日新聞編集委員だったそうです。
朝日新聞を大嫌いな父が、どうして朝日新聞に籍を置いた人を寄稿者に選んだのか。
昨日開いた94年3月号に答えを見つけました。安心してアップできます、どうぞご覧下さい。(妙)


1994年(H6)月刊「NewTRUCK」3月号
ブックスタンド
「問題記事」 大谷 健
ある朝日新聞記者の回顧― 草思社 2000円


 筆者の大谷健朝日新聞元編集委員は、本誌に毎号辛口エッセイ『世相巷談』を執筆しているので、読者もよくご存じの方である。また、氏は私(増田)の旧大阪商科大学の後輩にも当たり、個人的にもごく親しい仲である。

 某夜、彼と盃を交わした時、朝日と日経の記事は信頼できないから一切読まない、と酒の勢いもあって言ったら、当然のことながら彼は怒り出した。
 国民の目を大きく狂わせたのは朝日の中国報道であり、田中角栄の礼讃であった。福田赳夫を先に首相にしていても、時間的ずれはあったかも知れないが日中の国交は回復しただろうし、ロッキードによる悲劇的な田中角栄の退陣はなかったと私は思う。
 中国だけではない。旧ソ連、北朝鮮寄りの、どちらかといえば社会党路線に従った朝日の論調が、日本の『良識』であるかのごとく錯覚させた朝日の責任は重い。

 しかし、このことは朝日新聞の記者なり記事がすべて一色に染められていたことを意味するものではない。ただ、慌ただしく新聞に目を通す一般読者にどれだけ、もうひとつの意見が浸透しているか、となるとこれは疑問だ。
 記事の対象となった当事者や、該当記事に関心のある人は別として、一般読者は、朝日のいわゆる『良識』に振り廻されていたのではないか。
 その風潮の中で、朝日にはこんな記事もあったんですよ、と大谷氏の書いた『問題記事』を抽出して一冊にまとめた意義は大きい。この著書によって朝日を見直す人も多いと思われるので、氏は朝日に対する大きな貢献をしたことになり、特別表彰ものだろう。

 問題記事はいくつかあって、冒頭に出てくるのは買春問題である。朝鮮人女性に対する戦時中の強制買春連行を最も熱心に報道しているのは朝日だが、氏のその記事の始めの部分に次のような執筆記事の引用がある。

 「だが、ご婦人がいかに柳眉を逆立てて国際売春を糾弾しようとも、富んだ国と貧しい国があり、富んだ国に男が、貧しい国に女がいる限り、国際売春は決して絶えることはないだろう。(中略)
 売春は人類最古の職業といわれる。そして売春現象にも、経済原則が貫徹し、一国の経済力をはっきり反映しているのである。」

 これでは買春を批判して論陣を張っていた朝日内の女性記者の神経を逆なでするもので、果たせるかな、大反論の記事が同じ朝日に載ったそうである。
 私も売春には経済原則が貫徹し、さらに国民性あるいは精神風土のようなものも多少の影響はあると思っている。
 十数年前、韓国を南から北まで一人旅をした時、強制売春(買春ではない)に近い目にあって、辛くも脱出した経験を持つ私の、これは実感だ。
 売春記事はほんの一部であり、原子力、中国報道、国鉄民営化、経団連、投機などの問題について、朝日の『良識』とかなり違った論陣を張った問題記事を掲載している。特に精彩を放つのは国鉄民営化についてのそれで、本書の白眉である。

 朝日とは対極線上にあると見られている文藝春秋の月刊誌1月号において、2ページにわたって、大谷氏へのインタビュー記事を掲載している。これは全く異色の扱いで、それだけ大谷氏への評価が高いのだろう。
 大谷氏のような大記者のOB、現役の人を動員して、産経の『正論』文藝春秋の『諸君』の向こうを張る月刊誌を朝日ジャーナルの後身として、朝日新聞は発行してはどうか。 


プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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