みなさん さようなら

(毎週/月曜・木曜 更新)
4月12日、ペギー葉山さんが亡くなりました。今、YouTubeで「南国土佐を後にして」を流しながらアップ作業しています。
父は、この歌詞と自分の人生がダブったようでした。
昭和31年、夜逃げ同然で土佐から大阪へ。その15年後、家族と犬一匹を連れてフェリーで上京。今は郷里の遍路道にある第39番札所、延光寺の墓地に眠っています。
今週14日の金曜日、ペギー葉山さんが母の住むマンションで歌うことになっていたので一緒に聴く予定だったのに…。とても残念です。(妙)


論語2006年4月22日
悪事とも言えないような悪事を白状せよと強要された時 論語の実践

 自動車の車体を袈装するメーカーが組織している業界団体を日本自動車車体工業会(車体工業会)と言い、社団法人の資格をもっているから、公的にも認知された団体である。
 この車工会に対して国交省が、車検後不正工作をしたとして、「極めて悪質」「不正行為」「極めて遺憾」の烙印を押した文書を発送、先ず手始めに三菱ふそうの子会社パブコを槍玉に挙げた。昨年末近く、読売新聞が一面トップ記事として取り上げたので、ご記憶の読者もあるだろうから、この間の事情について少しだけ要点を述べておく。

 トラックは車検を受けた時、総重量から車両重量を差し引いた積載量が定められる。その積載量を、少しでも多く取りたいトラック業者の要望が、先ず前提にある。
 トラック業者にトラックを売る会社は、それに応えて、車両重量をできるだけ減そうとする。トラック会社から提供されるシャシはいじれないので、荷台と箱に工夫をするのだが、一般的に多く使われるのは、燃料タンクを1個だけ取り付けて車検を受けた後、もう1個か2個取り付けるという方法で、2~300㎏程度、規定より積載量が多く取れるという手法である。現実に燃料タンクを増設するのは車体メーカーがほとんどだが、車体を袈装する仕事を貰うのはトラック販売会社だから、その命令には逆らえない。この慣習は、40年以上も続いており、それを放置した監督官庁の責任は免れない。
 その監督責任には一切触れずに、一番弱い立場にある車体メーカーの業界団体の車体工業会に対して、それは法律違反の極めて悪質な不正行為であるから、傘下会員会社が、過去3年間にどれだけの不正行為をしたのか、社名と件数を出せと、文書で命令してきた。

 こういう場合、読者がもし車体工業会の会長だとか、事務局の代表者であれば、どう対応するだろうか。ひたすら、唯々諾々と命令に従って、我々の会員はこれだけ極めて悪質な不正行為をしておりました、というような資料の提出をするものだろうか。
 論語を学んでいる人には、対応方法が示されているのだが、車体工業会の人たちは残念ながらそれを知らずに、もっとも拙劣な情けない方法でお上の命令に従ったのである。

 論語に次の言葉がある。「葉(しょう)公、孔子に語りて曰く、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者あり。その父、羊を攘(ぬす)みて、子これを証す。孔子曰く、吾が党の直き者は是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中にあり。」
私が、国交省文書のコピーを見た瞬間、先ず頭に浮かんだのは、この論語の言葉だった。単純に考えれば悪事のかばい立てを奨励しているようだが、それは違う。


論語2006年4月29日
人情に乖離(かいり)した正直はない 喝破した渋沢栄一

 問題になっている「車検後不正工作」というのは、少しでも余計に荷物を積みたいトラック輸送業者に対するサービスとして、トラック販売会社が車体メーカーに指示して工作させるもので、その工作で車体メーカーが儲けているというわけではない。

 国交省は、この車体メーカーの行為を“悪質極まる不正行為である”と決め付けてその業界団体である日本自動車車体工業会(車工会)に、過去3年にわたる傘下会社が工作した件数と社名の資料の提出を命令、車工会は即座に応じて、国交省はこれを公表したから、その社名と件数が日経他のマスコミに大々的に掲載した…、のが事の顛末である。
 トラック専門誌を発行する私は、もちろんこの事実を知っていた。「車検後工作の目的は、トラック事業者の過積載だから、それを撲滅するには徹底した取り締まりがもっとも有効であり、法体系の不備を訂正すべきである」と、30数年前から論じてきた。

 先週の論語に出た話は、ある男が「私の父は羊を攘(ぬす)みました」と、証言したことを挙げて、その殿様が、我が領民にはこういう正直者がいると自慢した。それを聞いた孔子は、「私の考えは違います。子は父のために隠し、父は子のために隠す、これを直というのです」と答えた、という内容だった。古くから、この攘(ぬす)んだのは家に迷い込んだ羊をくすねたもので、積極的に外に出て盗んだものではない、それをいかにも悪事を働いたかのように証言するのは、人倫人の道に外れる行為である、と解釈されてきた。

 論語ソロバン両立、道徳経済合一説を唱えた渋沢栄一は、その著『論語講義』で、この章を次のように明快に断じている。「罪を隠すは不直なるがごときも、これ人情の至りなると同時に天理なり。直にあらずして、しかして直の義存す。父子あい隠すはこれ活理、活理は即ち真理なり、即ち天理なり。(中略)真理は古今東西に通用す。某のごときは馬鹿正直なるのみ。真正の正直にあらざるなり。安(いず)くんぞ、人情に乖離(かいり)する正直あらんや。」さすが栄一、馬鹿正直だと一刀両断に斬り捨てている。

 羊をくすねたことと、車検後工作は同日の談ではないが、少なくとも業界団体が、官庁に命令されて証言しなければならない内容の悪事ではない。官庁、トラック事業者、販売会社にも責任がある。その責任を、もっとも立場の弱い車体業界に集中して、資料提出を強要すること自体、直と情に反する行為であり、官庁の言い分を跳ね除けて、傘下会員の名誉を守ることが車体工業会の義務であり、決して恥ずべき義と直に反した行為ではない。
 車検後工作は、世界の情勢に合わなくなった現行車両法規の改正で解決する問題である。




スポンサーサイト

みなさん さようなら

ホームページ論語<第48回>
2004年(H16)4月3日

中国を知り尽くした谷本氏の論語&銀座サクラ花見

 一杯機嫌でこの論語ホームページを打っている。今日4月2日は日新月例論語講座の23年目の第1回だった。昨日のホームページでお知らせした通り、お天気が良ければ論語の講義の後、銀座の花見を楽しもうと予告していた。天気は上々、花も満開、月も上弦に出て、ビルの谷間の花見としては最高の条件が揃っていた。

 最近の論語講座は、講師の私が横着を決め込んで持ち回りに聴講の方々に講義をお願いしているのだが、今回の講師役は谷本光生氏、私と同郷の高知県宿毛市出身で東大工学部電気学科卒業、八幡製鉄後の新日鐵に入社して中国上海の宝山製鉄所建設の電気関係を担当することになった。当時の中国は、毛沢東、周恩来などの革命指導者が死去して、政治的に安定する段階に到達しておらず、宝山製鉄所は政治情勢に振り回されることになった。谷本氏はその間にあって中国側と息詰まる折衝を重ねて、その経過は作家山崎豊子氏が谷本氏他に取材した小説『大地の子』の中に生き生きと描かれている。後にテレビ化されたことはご存じの通りだが、谷本氏は宝山製鉄所建設を通じて中国の裏を知り尽くすことができた数少ない日本人なのである。

 谷本氏に論語の講義を依頼することは、同氏の日頃からの言動に照らし合わせて、多少の危惧がないわけでもなかった。とんでもない論語講釈が出る危険性もあったのである。しかし、どのような論語に対する見解が出ようとも、判断するのは聴講生の皆さんであり構わないのではないかと私は考えていた。

 日本と違って中国は想像もできないほどの広さ、気候条件の均一性があって、一旦飢饉になると夥しい流民が発生して、骨肉合い食む惨状を呈することになる。これは欧州も似た状態であり、言葉にしても先ず「私は食った」というのが先に出て何を食ったのかは後になる。日本語は、「何を」が先であるが、彼らは「食う」方が先なのである。

 谷本氏は、中国側とつばぜり合いの折衝を通じて、中国とその民族について良きにつけ悪しきにつけ、表面上でない奥底まで知り尽くしてきているのである。
 従って論語のきれいごとの表現には納得できないところがあるのだろうし、この点は私もよく分かる。論語などの儒教が為政者のために利用されたのも歴史的事実だが、論語の説く仁の教えは古今東西に通じてあやまるところはないのもまた事実である。

 講義を終えて、近くの公園の満開のサクラの元で酌み交わす酒の美味しさ、都心のビルの合間から月も出て、参会者が盛り上がった論語講義の後の最高の銀座の花見であった。



みなさん さようなら

2008年3月29日
呆れた平成の先生 躾を忘れた教育ぶり
明治の教室にて

 卯之町の「開明学校」は、小学校児童の教育施設参観の対象になっているようで、この日も何組かの小学生が訪れていた。参観コースの中に、2階の教室での実習があり、小さな机と椅子に座って、指導員の先生のお話を聴くことになっている。

 40人ばかりの児童が教室に座って、先生が教室の壇に上がったのに、児童の半数ほどは帽子をかむったままである。中年の男女の先生が一緒に教室に入って、女の先生は盛んに写真を撮っている。帽子を脱ぐよう児童に指示はしない。どうするのか、と思ってしばらく見ていたが、たまりかねたのか指導員先生が「帽子を脱ぎなさい」と指示。やっと帽子を脱いだが付き添いの男女先生は「われ関せず」の涼しい顔をして、知らぬ顔である。「起立、礼」のかけ声も、指導員の先生が発言した。まさか、現在の小学校では帽子をかむったまま授業を受けているのではないだろうし、「起立、礼」も実行していると思うのだが、これが現実だとは信じられない気持ちであった。小学6年生の子供たちらしい。

 学校の先生方は、何を目的に子供たちを開明学校に引率してきたのだろうか。社会教育の一環として、重要文化財の古い校舎を見せるのが、カリキュラムの中に組み込まれているためだろうか。教室の壇の横には何かいたずらしたか、遅刻したのか、バケツと雑巾を持って立たされている子供の等身大人形があった。躾(しつけ)とか、礼、行儀などの大切さこそ、このような明治の学校参観で勉強させることが重要であるのに、女先生は一所懸命に写真を撮り、男先生は突っ立ったままである。
 指導員の先生は、真っ黒になった習字半紙の綴りを見せていたが、白い部分が見えなくなるほど練習を重ねた昔の習字を想像させることは、なおさら難しいことだろう。

 開明学校には、教材として使用した懸け図などの保存では群を抜いているそうだが、展示中のそれらのレベルは相当に高い。この記事をパソコン入力している最中、聴くともなしに付けっぱなしのラジオから、戦前のある時代、石川県のある小学校が老朽化した校舎を改築する基金がない。困った父兄が、すべて禁酒を誓い合って、そこで浮かんだ金で改築した、という話が報道された。過疎でその小学校は長い歴史を閉じるそうである。

 この禁酒による校舎改築は、アメリカの禁酒運動家にも衝撃を与えて、見学に来日したというが、明治初期の学校建築には父兄の並々ならぬ熱意、真剣さが込められている。
 その結晶の明治の開明学校での平成の先生と子供たち、単なる知識を教えるだけで、躾を忘れてしまった教育の結果は、各方面に露呈しているが、教育現場はかくのごとしだ。



みなさん さようなら

2006年(H18)3月4日

「天籟(てんらい)」と敗戦前後の昭和天皇の大変化

 朝日新聞のコラム欄を「天声人語」という。
 昭和20年8月の敗戦直後、日本中がどの方向に進めばよいのか、去就に迷っている時の9月5日付の朝日新聞社説に、その大変革は、どこから来たのかについて「八月十五日の天籟からである。天籟なるが故に真実を指され給うた。」とあったことを先週のこのページで紹介した。「天籟」とは天声に近い言葉で、執筆者にはその意識があったかもしれない。新年以来読み続けて、やっと読了した『昭和精神史』(桶谷秀昭著・文春文庫版)の終末、第20章「春城草木深し」篇に出てくる。

 籟(らい)とは笛の意味で、人籟、地籟、天籟の別について『荘子』の「斉物論」に出ている言葉だとして、著者の桶谷氏は解説している。人籟は、人が楽器を使って音を出すものであり、地籟は風が地上の穴などに呼応して出す音だが、その音は風がなくては生まれない。本来風に音がないとすれば、風を用いて音を生む存在は、目に見えず、耳に聞こえぬ「無」の存在でなければならない。その天籟を、聴くためには、心を無にして、つまり虚心の状態でなければならない。先に述べた孔子と顔回との問答に出た耳で聴いてはいけない、心で聴いてもいけない、気(精神力)で聴きなさい、それが「心斎」だと言っているのと、ニュアンスは似ている。

 終戦の詔勅は、天籟として虚心に拝聴すべきである、と社説執筆者は述べているのだろう。ただ、これだけでは、具体性はまったくない。各人各様の拝聴の仕方、受け取り方が出てくるのは当然で、あの当時としては、こういう言い方しかできなかった事情は理解できる。安岡正篤先生も詔勅原案に加筆されているようだが、今、これを拝読しても、敗戦という非常事態の中で、よくぞこれだけの委曲を尽くした文章ができたものだと思う。先生の加筆の中で、これは難しいと閣議で修正された部分もあると聞くが、もし現在、あのような建国以来の非常事態に対応するため、内外に国としての宣言文を出さねばならないとしたら、果たしてあれだけの格調の高い文章の起案者なり補筆者がいるだろうか。

 先週、昭和天皇は老荘思想をお持ちであったのでは、と書いた。敗戦までの天皇は現人神として、大元帥陛下として、神であり、陸海軍の統率者であった。戦後になると、モーニングを着て通常軍服のマッカーサーに会われ、人間天皇を自ら宣言され、軍服から背広と中折れ帽子に着替えて、国民の中に入って行かれた。私たちの世代は、それを目の当たりにして驚いたものだが、儒教的思考だけでは理解に苦しむ昭和天皇の大変化であった。



みなさん さようなら

2005年01月22日
社会の公器「木鐸(ぼくたく)」の使命を自ら放棄
恥じない朝日とNHK

 NHKの放送番組に政治介入があったとの朝日新聞の報道に、NHKが反発した泥仕合が続いている。問題になった平成13年1月のNHK放送を見ていないので、内容についてはまったく知らないが、産経新聞によると、12年12月に東京・九段会館で6日間に亘って開かれた市民団体による「日本軍性奴隷制」を裁く『女性国際戦犯法廷』を取り上げたもの。主催は元朝日新聞記者の故松井やより氏が代表を努めていた「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」で、韓国や北朝鮮などの元慰安婦や各国の女性活動家が集まり、法廷の趣旨に賛同する者のみが傍聴を許され、判事団は欧米の女性法律家たち、検事団は中国や韓国、北朝鮮の代表で構成されていたが、弁護団はいなかった。被告は昭和天皇やいわゆる戦犯とされた死者たちで、昭和天皇は「強姦と性奴隷制」の責任で有罪とされた。

 事実であるとすれば、相当にひどい内容の番組で、果たしてNHKの教育番組で放送すべきかどうか、水掛け論を繰り返すより、もう一度再放送して、国民の評価を聞いてみるべきであると思う。

 NHKであれ、朝日新聞であれ、天下の公器であり、その報道は公正であると信じている一般市民は多いが、私自身はまったくそうは思っていない。はっきりした事実関係は別にして、論調などは相当にぶれていることが多くて、特に朝日の論調は、最近でこそ多少は修正されたものの、かつてはソ連、中国、北朝鮮の体制を謳歌し、東京軍事裁判の結果を金科玉条のように国民に信じ込ませる役割を果たしてきた。

 今回の泥仕合は、朝日の主張に沿った『女性国際戦犯法廷』のNHK番組に対して、政治権力の介入があったと、安倍晋三氏や中川昭一氏などの名前を挙げて大々的に紙面を割いて朝日が報道、NHKもこれに応酬しているが、本質を取り違えているのではないか。

 元朝日新聞記者が計画し、朝日新聞も後押しした『女性国際戦犯法廷』をNHK教育番組に取り上げたところまでは、朝日の偏向した企画にNHKも乗っかっているのである。 一部の跳ね上がった女性たちが、どのような政治的動きをしようと規制することはできないが、NHK教育番組が取り上げたことが適正だったかどうか、なぜ今になって朝日が取り上げたのか、反朝日的立場にある安倍晋三氏への牽制か、きな臭さも感じる。

 論語に「木鐸(ぼくたく)」の言葉があって、社会の乱れを正す言論の重要性を孔子に託しているが、NHKと朝日の応酬は「木鐸」の使命を自ら放棄して恥じないものである。




プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ