みなさん さようなら

2018.01.01 06:00|伊與田先生コラム
浅草寺 

2008年1月5日
道運 伊與田覺

 新年おめでとうございます。

 善良にして明るい社会を構築する上に於て重要なことは醜悪にして暗い面を押えて、善良で明るい面の顕揚を優先すべきであると思う。これは教育面だけではなくてマスコミ方面に於ても最も重要なことである。

 私は不思議な道縁によって幼少から論語に親しみ、九十三歳の今日まで一貫して論語に生かされて来た。われわれの幼少の頃の道徳の根底は論語で、異論を唱える者は甚だ少なかった。ところが敗戦を機に、論語は古代の遺物で、戦争の温床となり、新しい時代には有害無益なものである。従ってこれを速やかに遺棄すべきとの風潮が蔓延した。私が論語を口にすると、親しい友までが奇異な眼で見、十年もしないうちに君は変人として一顧だにされなくなるであろうと忠告し、私から去って行った。然し口には出さないが、強固な信念を堅持し、毅然として変らない多くの志士仁人がじっと支えていたことを忘れてはならない。私は安岡正篤先生の指導のもと、それらの人々の絶大な協賛を得て、昭和四十四年、大阪四条畷の山中に、孔子の人間形成の在り方にあやかるべく「成人教学研修所」を設立した。さらに論語を深究すべく「論語堂」を建設した。その頃中国大陸に於ては、文化大革命と称して、猛烈な批孔運動が渦巻いていたが、流石にわが国に於ては、これに同調する者は殆んどいなかった。ところが反面わが国では道徳的頽廃が目立つようになり、常軌を逸する犯罪も各界、各層に続出するようになって、匹夫と雖もその責を愈々感ずる時、成人教学研修所が閉鎖となった。然しその流れを汲む活動は論語普及会をはじめ各地に存続された。昨年はそれら有志の協賛を得て、長く研修所で、教の中心として敬仰して来た孔子、王仁、聖徳太子等二十九柱の聖賢の諸霊を有源招魂社として社殿を建立して奉遷した。その筆頭は孔子で、日本の文徳の神として鎮座されたわけである。日本教学確立の指標となればと只管念ずるものである。

 一方中国大陸に於ては、文化大革命後、孔子一門に対する評価は一変して学校教育にも強く採り入れられるようになった。私は若い政治家の皆さんに、貴方達が揃って教学の祖である曲阜の孔子廟を参拝することが、道徳教育に無言の大きな影響を与えるであろうと申し続けてきたが、共鳴しながら実践に移すことなく今日に及んでいる。然るところ昨年末(十二月三十日)福田首相は、中国訪問の途次、世人の意表を衝いて孔子廟に参拝された。その時代的意義は甚だ大きいものがあると思う。本年は、これらの道運に乗じ、明るい道徳教育に拍車を掛けたいものである。

浅草12月13日
13階から
左: 浅草寺(左奥)につづく仲見世通り
右: スカイツリーとフランス人フィリップ・スタルク氏デザイン「聖火台の炎」。本来は立てるはずだった?塗り直し完了したばかりの「金のう○こ」。




スポンサーサイト

みなさん さようなら

2017.11.27 06:00|伊與田先生コラム
伊與田先生がお亡くなりになってから、1年が経ちました。(11月25日)
今回は先生を偲んで、Webサイト「TruckX」月曜日毎に掲載されていたコラムからアップします。(妙)


伊與田先生&増田周作
左: 安岡正篤先生の墓前にて。
右: 2011年、赤羽橋にある済生会病院で。手術前の父(85歳)とお見舞いに来てくださった伊與田先生(右・95歳)

2005年12月5日
―価値観の変化  伊與田覚

「孝は徳の本なり。教の由って生ずる所なり」(孝経)
「君子は本(もと)を務(つと)む。本(もと)立ちて道生ず。孝弟(こうてい)なる者は、其(そ)れ仁(じん)を為すの本(もと)か」(論語)
とは、古来日本人の常識となっていましたが、この頃では大きく異変を生じておるように思われます。

 先年ある大企業の大学での新入社員を研修の際、孝の話をしましたところ、彼等は素直に目を輝かして聴き入りました。そうして感想文も異口同音に、非常な感動をもって実行しようと述べておりました。只、中に「孝」を「考」と書いているのがいました。驚いてその出身校を見ると、東京の代表的な大学なるに二度びっくりしました。翌年も感激的な感想文の中に前年と同じく「考」と書いたのがありました。これは関西の代表的な大学の出身でした。

 その頃ある人が自分の書いた論文を送ってきました。その中に家庭生活の中で孝行の大切さが出てくるのですが、やはり「考」となっていました。この人も某有名大学の法学部出身で、社会的にも立派な活動をしておる方です。孝と考は音が通ずるものですので、ミスプリントかも知れません。然し文字は無意識に書くものです。皆さんが手紙を書く時もそうでしょう。だから間違って憶えておる場合には、自分では気付いてはいないで誤字を書いておるのですね。だから他人が見るとすぐわかる。文字とはそういうものです。

 その後間もなく私は、耳の治療の為に町の医院へ行きました。随分こんでおりまして、長らく待たねばなりませんでした。暇つぶしにそこに置かれてあった某出版社の「児童全集」の中にある漢字の一冊を興味を持って見ました。その中に「孝」の字が見当たらないのです。ハテ、人間生活に於て一番根本であるところの「孝」の文字が出てこない。私が見落したのかと思って今度は後の方から逆に見てみましたが、やはり孝字は見当らない。そんなはずはなかろうと思って、もう一度始めから丁寧に見ましたら、真中のあたりに「考」の文字がありました。その筆順や意味が詳しく説明されていました。そうしてその下に小さい活字で「よく似た文字に孝という字がある」と書いてありました。

 これを見て、子供向きの「漢字表」に考えるという文字があって、孝の文字はその下の方に小さくお義理のように書かれているとは、それだけ「孝行」が非常に軽く見られているということです。日本人の物の考え方が大きく変わってきておるのだなと実感致し、やるせない気持ちになったことがありました。

2005年12月12日
―文字の意味

 本来孝という文字はご承知のように老と子を合わせたものですね。老からヒを省いて子を入れた会意文字です。文字の形成からいうと老人、老人は親といってもよろしい。親から見れば子供を抱いている姿です。子から言えば親をおんぶしている形ですね。もともとは、子供を抱いておる方が先です。そういうところからこの文字には「結ぶ」という意味があるのです。物事は対立したら結ばれません。違った物が結ばれる事によって新しいものが創造される。これを易経では化成と言っております。化のイ扁(にんべん)は背の伸びた人で若者、ヒは腰の曲った人で年寄りです。

 そういうことで、親と子が自然的によく結ばれることによって、新しい文化は創造伝承されて、永久に発展していくのです。従って孝は最も高(たか)い徳、貴(たっと)い徳というべく、古来よく人名に付けられるのは甚だ意味が深いわけです。かつてこんな話をある子供の会で話したところ、話が終わるや否や女の子が、私の所に飛んできて「うちのお母ちゃんは孝子と言います」と喜んで如何にも得意そうに話したことが、今も微笑ましく想い起こされます。

 しかし、親はいつまでも子供を抱き締めておってはよくない。「可愛い子には旅をさせよ」と、親に対して「早く離さねばならない」という教えがあります。逆に子供の方は、親から離れよう離れようとするようになるから、「できるだけ離れないようにせよ」という教えが出て来たわけです。教えというものはそんなものです。この頃はちょっとあやしくなっていますが、元来親には子供を可愛がれという教はいらないが、子供には「父母に事(つか)えて能く其の力を竭(つく)せ」(論語学而扁)という教えがあります。これが孝行という徳目になったわけだと思います。
 私の在所の鎮守の森の入口に、功成り名遂げて、郷土の人から甚だ尊敬されている人の歌碑が建てられています。
     母背負ひ宮のきざはし数へても
      数へつくせぬ母の恩愛


みなさん さようなら

2017.01.01 20:25|伊與田先生コラム
2017年鎌倉八幡宮
2017年(平成29年) 穏やかな元旦の鎌倉八幡宮

あけましておめでとうございます
今年もこれまで同様、ご高覧いただければ幸いです。
今回の年頭のご挨拶は、伊與田先生のコラムにしました。5日からは、1990年12月号に掲載した「パリモーターショー」の記事と写真を何回かに分けてお届けします。(妙)


2006年1月1日(日)
年頭随想    伊與田 覺
 
新年おめでとうございます。
 クリスマスはキリスト教圏では、イエスキリストの降誕を祝い、自らもキリストの心に還ろうとする最も神聖な日であることはご承知の通りであります。
 日本を含む東洋圏に於いては、正月元日が一年の中で最も敬虔な節目の佳日としているのは古来変わらないのであります。

 平素われわれ人間は相対の世界に住み、そこで自己中心的に動き易いのです。然し人間にはその相対に対して絶対の世界もあるのです。それは時代や民族を超えて変わらないルール即ち道であります。この道を人間の立場から利に対して義というのです。これを又至善とも言います。至善は一です。従って「正」字は至善即ち一に至って止まるという意味です。それは天(神)の心に合致するものです。人間は神と動物の中間的存在です。数学の世界的泰斗と称された岡潔先生が亡くなられて間のない頃にお宅を訪ねました。仏前で先生の噂話をしている時に、奥様が数枚の色紙を持って来られました。その中に「覚(さ)めたる人を神と言い、眠れる神を人と言う」のを発見して強い衝撃を受けたことがありました。正月の元旦は誰しも自(おのず)から覚めたる人となるのは不思議です。近江聖人中江藤樹先生はこの「當下(今)一念」(とうげいちねん)を相続する事が尊い人生だと申しております。かって先師安岡正篤先生が、藤樹書院でこの四字を揮毫される気高い後姿が昨日のように憶い起こされます。孔子の高弟曽子は魯鈍と評されながら「吾日に吾が身を三省す」と生涯変わることなく、後世宗聖(そうせい)と称せられるようになりました。然し一般は正月気分が薄れるに従って俗化し、十一月十二月にもなればずたずたに崩れ、奈落の底へも落ち込むのではないかと不安に思うようになる。そんな時に正月がめぐり来て心機一転するのです。お恥ずかしいことながら私の九十年の生涯はその繰り返しでした。然し人生は諦めてはならない、終わりの日まで及ばずながらも精進を重ねる覚悟です。皆さまの限りないご鞭撻をもお願い申上げる次第でございます。



みなさん さようなら

2016.12.12 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)に101歳でお亡くなりになった伊與田先生を偲び、2012年6月まで日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。次回から増田の原稿に戻ります。
安岡先生・伊與田先生 3395
      右から 伊與田先生、安岡定子氏、安岡正泰氏、増田 (2003年4月 安岡氏お宅)

2007年12月10日
人間修行は脚下照顧からはじまる  伊與田 覺

 先日私は、ある真摯な宿泊研修会に、老骨を引っ提げて参加いたしました。その開会式は広い日本間で行われました。そして入口のスリッパは整然と脱がれており、流石にと感心させられました。
 ところが夜、共同風呂へ行きますと、殆んど足のままに脱がれており、これが同じ人間かと淋しくなり、そっと直しておきました。

 犬が二匹寄った文字に「犬犬」がありギンとかゴンとか読みます。吠え合い、噛み合うという意味です。ケモノ偏は犬から変ったものです。それで桑の葉にくっついて離れない虫を加えると「獨」となります。犬は一匹でも生活し、社会性を持ちません。それに対して人間が二人寄ると「从」となり、「從」の本字です。人間は犬と違いお互いに従い合い、譲り合って「群」即ち社会を構成するわけです。群は、君と羊の合字です。立派な人物を君子といいます。そして羊は同じ草原で、お互いに草を分け合って仲良く集団生活をする代表的な動物です。そういう羊の下に大(人)を書くと「美」という字になります。又譱」は二人が話し合いをするときに、一方的に自分の考えを相手に押し付けるのではなくて、相手の言うことをもよく聞いて両方が譲り合い、従い合うことによって人間関係はうまくいくわけで、これを略したのが「善」です。
 たとえば、スリッパを共用する場合、人のことを考えて、人が履(は)きやすいように脱いでおくのが、人間の在り方だと思います。

 犬と並んで人間に近い動物は猿です。猿は頭脳的にも発達して所謂「猿知恵」があります。昔の偶話に、猿の好きなどんぐりを朝三つやって夕方四つやる。次には朝四つやって夕方三つやる。ところが何と言っても朝四つで夕方三つの方でないと受け容れない。要するに刹那主義で、後のことを考えないのが猿知恵です。ところが「朝三暮四」についての話が納得できるのが人間の知恵です。例えばスリッパにしてもそうです。足のままに脱いでおけば、次に履くときに具合が悪い。だから後のことを考えて脱いでおくのが猿と違う人間の在り方です。

 修行を主とする禅寺へ行くと、よくその玄関に「脚下照顧」と書いた立札があります。脚下とは「足元」、照顧とは「振り返って見る」。履物がちゃんと脱げているか振り返って見よ。これが人間生活の第一歩だぞと暗に教えているのです。



みなさん さようなら

2016.12.08 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)にお亡くなりになった伊與田先生を偲び、2012年6月まで日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。

2010年(H22)12月13日
當下一念 (とうかいちねん)   伊與田 覺
  
 毎年正月を迎えて必ず思い出すのは、日本に於て学者にしてはじめて聖人と称せられた中江藤樹先生の遺語「當(当)下一念」です。
 その先生が十一歳の時に読んで、立派な人になろうと志を立てるきっかけになったのが、『大学』の「天子自り以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本と為す」の一句でした。

 かつて明治天皇が、創立間のない東京帝国大学をご視察された時、国家の柱石となるべき人物を養成する学府に、自分を修めるための学科、修身科がないことを大変ご心配され、後に「教育に関する勅語」を発布されました。その末尾には「朕爾(ちんなんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ拳拳服膺(けんけんふくよう)シテ咸其徳(みなそのとく)ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ」とあります。天皇も国民も目指すところは一つであり、相共にその徳を積んでいくことを願うというのであります。教育勅語にはこの『大学』の精神が息づいていたのです。
 戦後は教育勅語がいち早く廃止され、いまはその存在すら知らない者が大半だということです。ぜひ一度その尊い内容に触れていただきたいと思います。

 『大学』には「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し」という一節があります。
物には必ず本と末があり、事には必ず終りと始めがある。何を先にし、何を後にするかをわきまえて実行すれば、人の道を大きく踏み外すことはないと説かれています。

 毎年めぐりくる正月になると、誰でも心が清らかになり、新たな決意が湧いてくるものです。その尊い一念を続けて行くところに真の人生があると思います。至聖孔子はもとより僅か四十一歳で逝かれた中江藤樹先生が聖人と称されて不滅の光を放つ所以もここにあると思います。

 藤樹先生道歌
    くやむなよありし昔は是非(ぜひ)もなし
         ひたすらただせ當下一念



 
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ