みなさん さようなら

2018.01.25 06:00|外部 寄稿者
前回の記事は今から30年前、1988年1月号のものでした。その更に10年前、登場のギャリー・シェラード氏に会った「第5回呉越会・米国自動車産業視察団」参加者の中に、北海道は帯広の安斎車体製作所の炭谷拓示社長もおられました。「冬の北海道へぜひどうぞ」と題したコラムを当時の炭谷社長が30年前のこの号、1月号に寄稿してくださっています。(妙)

19087 2009年3月

1988年(S63) 月刊 「NewTRUCK」 1月号
冬の北海道へぜひどうぞ 炭谷拓示

 ふた晩寝台車で過ごし、帯広駅に降り立ったのは昭和33年の11月3日、文化の日だった。
 東京の中野で生まれ、育った私にとっての北海道は見るもの、聞くものすべてが珍しく、異国的に映ったものである。
 東京では板塀なり垣根で所有権を主張しているが、こちらでは空き地にポツンと家が建っており、塀も垣根もなく、野菜を作っても境界を気にすることもない。

 よく北海道は大陸的と言われるが、道産子は気持ちがおおらかで、人なつっこく開けっぴろげである。
 会話に敬語を使い礼儀正しく、適当に遠慮をすると、内地人はつき合いにくい、といわれる。言葉遣いをきびしくしこまれた幼児教育もここではまるで通用しなかった。
 北海道は標準語といわれるが、開拓民は各地からの集まりだから結構方言も出る。「ソウダベサ」「ヤッパシ」身体がだるいを「コワイ」女の人でも平気で「ソウカイ」という。しかし、北海道の方言も、空なら羽田から1時間20分の近さ、テレビの普及で急速に薄れつつある。

 帯広のある十勝管内は広大な地域に人口36万人、日本の食糧基地として脚光を浴び、赤ダイヤの小豆、雑穀、畑作、酪農、林業が十勝の経済を支える。
 味覚の点でも、粉がついて皮がはじけたところにバターをつけて頬張ると滅法うまい男爵いもや、名物信州そばのソバ粉は当地から出ているものが多い。新鮮な魚貝もおすすめで道産子が秋味(あきあじ)とよぶ鮭を現地で味わうのも格別。ナマ筋子を一晩醤油に漬けて白飯(しゃり)にかけて食べる。東京でお上品に並んでいる筋子と違って生臭くもなく口の中でプツッとはじける感触は何ともいえない。東京では大嫌いだった筋子が今や大好物になってしまった。

 この十勝も、今や貿易自由化の波は容赦なく押し寄せ、ガットの行方を農民は不安の目で注目している。
 北海道は九州と四国を足して、まだひとつの県が入るほどの、日本の5分の1強の広さでありながら、人口は僅か560万人、同じ広さの内地で11人の知事がいるのに、北海道はたった一人。
 東京は人口過密で地価は暴騰している。竹下首相のふるさと創世論ではないが、この北海道を活性化するには4つか5つかの県に分割し、それぞれの知事や県民が切磋琢磨してゆけば、現在の札幌中心の北海道でなく、それぞれの地域の特性を活かした発展は可能であると考える。

 文化は北に育つ。文化と自然と経済が程良く調和して発展するのに北海道は最適の地である。
 寒さの厳しいところほど紅葉はきれいだというが、本当に秋の紅葉はすばらしい。零下20度の中でも太陽に光る霧氷も北海道ならではのもの。
 北国の良さは冬にあり、イテツク寒さを味わいに一度はおとずれてほしいと思う。 


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みなさん さようなら

2017.10.23 04:27|外部 寄稿者
※ 加藤氏の記事中の写真・図はすべて「特装車とトレーラ」に掲載したものです。

事故車①

1976年(S51) 月刊 「特装車とトレーラ」 11月号
くるまの安全シリーズ・1  記事 加藤正明
加藤正明氏: 日本ハイウェイセーフティ研究所所長 2008年心不全で死去

なぜ追突はさけられないか
高速走行とボデーの視認性


● はじめに
 10数年前、箱根山中の国道1号および246号において故障車・事故車の排除に携わって以来、東名高速道路が開通するに及んで、沼津を基地として一貫して安全事業に関わりあい、今日に至っている。こうした業務を通しての特異な立場から、悲惨な事故を未然に防止する方法について、これまでにもいろいろと考えをめぐらし、自分なりの方法で資料の収集や分析を行ってきた。すなわち、事故現場の写真やデータの収集、事故ドライバーとの寝食を共にしながらの対話記録、事故カルテの作成、あるいは各種の実走行テストなどを行ってきた。
 もちろん、私は学者ではない。仮説を立て、必要なデータだけを利用する、という方法にはなじみがない。事故現場に駈けつけ、牽引作業を行いながら、事故の直接原因、誘因、その他の要因について考えをめぐらし、帰社するとなにもかも余さず、フィールド・ノートに書きつける。
 ところで、事故ドライバー(加害者)の答えは、いつもきまって判で押したように似通ったものである。いわく、まさかぶつかるとは思わなかった。いわく、止まっているとは思わなかった。いわく、十分に止まれると思った。いわく、まるで氷の上みたいに、路面があんなに滑るとは思わなかった。
 どれもまさかと予想を裏切られているわけだが、この予測に反する非常事態に対し、ドライバーがどれだけの予備知識をもっていたかになると、きわめて怪しいというほかはない。つまり、緊急時の認知、判断、動作という基本についての安全教育が、どれだけ徹底されているか疑わしい。本来なら、君子危うきに近寄らずは当然として、正確な操作が条件反射的な習性としてなされたかどうか、である。なされたとすれば、まさかが入り込むすきはないはずである。

● 不可抗力としての事故とドライバーの意識
 ともかく、事後診断としてどのような弁明解釈がなされるにしろ、事故はけっしてあとを絶たない。しかも、一定の安全教育がなされ、安全運転管理も徹底しているとしたら、決定的な事故誘因は、予想外の別なところに隠されているにちがいない。こうした道筋を辿りながら、私はドライバーの意識の薄暗がりの中に踏み入ることになった。つまり、私は居眠りとはなにか、ということに注目し、遂に運転中の覚醒度の低下現象をつきとめ、これに覚低走行あるいは覚低運転と名づけた。幸い、この研究は多方面からの関心を集め、一応の成果が認められることとなった。

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みなさん さようなら

2017.10.12 06:00|外部 寄稿者
ニュートラジャーナル (Webサイト『トラックX』より)
執筆者紹介
大山健一郎氏…トラック技術の権威、経営の元トップ。鋭い批判姿勢が好評

儲かってます、高速道路 (2006年9月7日掲載)

 昨年10月に道路公団を三分割民営化した後の初めての決算は三社共黒字だった。過大な借金とその利子の返済によりかなり厳しいと思っていたが、正しい会計によって透明になったとたん、以外にもそこそこの利益が上がっている。路線別収支も20路線で百億円を超す黒字を達成した。

 東、中、西日本三社合計の料金収入による利益は519億円、SA/PA等の事業利益は48億円、納税額は276億円と立派なものである。昨年10月からの6ヵ月決算だからあまり楽観視はできないが、年度のベースにすればこの数字は倍になる。とても乾いた雑巾を更に絞るほど経費を詰めているとも思えないし、まして公団時代の人員を民営化の時にリストラした話は全く聞こえてこなかった。民営会社になってむしろ会長さんが三人増えた分、総コストは膨らんだはず。公団時代の経営がいかにずさんだったかである。

 会社は景気の拡大によってトラック交通量が増えたとか、ETCの普及が予想ほど伸びずに割引料金が適用にならなかった、などと言っているが、それだけではないだろう。なにより高速道路の建設談合で副総裁と審議官が逮捕有罪になったことで、社内が一気に引き締まったに違いない。更に大口割引の後払いの回収不能とか、子会社によるハイカの横流しや大量の5万円偽造ハイカの横行などルーズ極まりなく、公団時代はいわば経営の体をなしていなかった。新会社の経営方針と行動規範にはこの反省に立って法の遵守とコンプライアンス(従う)の精神が高く掲げられている。

 最近のテレビ報道によると再び道路会社の経営を揺るがしかねない新たな問題が起こっている。それはETCゲートの強行突破で、しかも急速に増加しているという。強行突破はスリやカッパライに等しい卑劣な犯罪で、これに生ぬるい対応を重ねるとやがて一事が万事、公団時代のように金にルーズな体質に戻る。どんなにコストを掛けても犯人を一切許さない毅然とした姿勢が必要である。強行突破車両には自動的に赤塗料を吹き付け、直ちに追跡、現行犯逮捕するくらいの方策が有効だろう。

 本四橋公団を含めて、三公団が予定踊り借金の返済をしながら黒字化できることが分かった以上、民営化する前の約束である通行料金の一割引き下げを一刻も早く実現してもらいたい。何しろ世界一バカ高く物流コストの足枷になっている高速料金を引き下げて経済の活性化につなげるべきだ。公団は大口割引や時間帯割引などで実質引き下げていると言いたいだろうが、これでお茶を濁されては困る。まず、一律の料金引き下げを実現して初めて民営化して良かったと誰もが実感できるのではないか。

みなさん さようなら

2017.05.18 06:00|外部 寄稿者
今回は、日新出版とご縁のあった松下緑氏の原稿を掲載します。
氏は1997年12月5日、69歳で急逝されました。(妙)


1987年(S62) 月刊「NewTRUCK」 5月号

功到自然成  ―クンタォツゥランチョン

(株)日通総合研究所 編集長 松下 緑

 私は小・中学生時代を中国で過ごした。しかし、常に日本人社会のなかで暮らし日本人学校に通学したから、遂に中国語を習得するに至らなかった。これは現在においても痛恨の一事である。
 戦時下の小学校であったから、正課の授業はすべて国定教科書によったが、副読本や課外教授には外地の特色を活かしてしばしば中国に関する教材が使われた。あるとき、こんな紙芝居を見せられたことがある。(ちなみに紙芝居は日本人の発明によるもので中国にはない)

 物語の主人公は少年時代の李白である。李白はたいそう腕白で勉強が大きらいであった。ある日、河原で遊んでいると、ひとりの老婆が川べりの石で鉄の棒を研いでいるのが目にとまった。彼は不思議に思って、「おばあさん、いったい何をしているの?」とたずねた。すると老婆は「わたしは針をつくろうと思っているのさ」と答えた。李白は目を丸くして、「こんな太い鉄の棒じゃ何年かかっても針になりっこないよ」と叫んだ。紙芝居を演じていた先生は、ここで中国語をまじえて老婆の声音でこういったのである。
 「リーパイや、李白や、クンタォツゥランチョンだよ、クンタォツゥランチョンだよ」「そうして、パッと煙となっておばあさんの姿は消えてしまいました。あとには1本の針が光っておりました。おばあさんは仙人だったのです」そういいながら先生は紙芝居の最後の場面を引き出した。そこには河原に立って呆然と針を見つめる李白の姿が描かれていた。今もその情景は忘れられない。
 「このクンタォツゥランチョンという言葉は、一生懸命努力すれば必ずかなえられるということです。李白は心をいれかえて修業をかさね立派な詩人になりました。皆さんもクンタォツゥランチョンを忘れずに勉強して下さい。ハイ、今日はこれでおしまい」。

 それから50年ちかくが過ぎ、私は折にふれこの言葉を思い出すことがあったが、それがどんな漢字なのかは知らないままにいたのである。

 さて、私はここ数年、NHKのラジオ中国語講座を毎朝聴く習慣になっているが、この3月「磨杵成針」という題でこの李白の物語がテキストに取り上げられたのである。しかしテキストでは、老婆は仙人ではなく、クンタォツゥランチョンという言葉も出ては来なかったのである。私は急にこの言葉の漢字の綴りが知りたくなり、当研究所の中国室長K氏に問うたところ、彼はかたわらの中国語辞典をひいて、立ちどころに「功到自然成  (クンタォツゥランチョン)」という熟語を指し示し、私を感動せしめたのである。
 「功到自然成」はいまや私の念仏となった。


みなさん さようなら

2017.03.27 06:00|外部 寄稿者
記事執筆者・大谷 健氏については、2月16日の図書紹介をご覧下さい。(妙)


1994年(H6) 月刊 「NewTRUCK」3月号

「世相巷談」 大谷 健 (元朝日新聞編集委員) 
大事なことまでケチる

 私の友人に奇特な人がいる。大森和夫さんといい、私と同じく朝日新聞の編集委員をつとめた。政治部出身で、教育問題にくわしく、中曽根首相の教育改革を追跡した「臨時教育審議会3年間の記録」や「偏差値と内申書のウラ講座(どちらも光書房)らの著書がある。

 ところが大森さんは突如として平成元年1月、朝日新聞をやめる。25年10ヶ月の記者生活に別れを告げ、日本にいる外国人留学生との交流を図る「国際交流研究所」を自費で設立したのである。その資金に全退職金を投じた。その話を聞いてわれわれ仲間はびっくりした。俗っぽい新聞記者達はよくぞ奥さんが承知したな、などとうわさし合ったものだ。

 しかしまぎれもなく美挙である。研究所のもっとも大きな仕事は、留学生や海外の日本語学習者のために季刊誌「日本」を2万部発行し、留学生のいる日本の大学と、日本語学部のある海外の大学に配布することだ。国内の大学の一部は買い上げてくれたり、送料を負担してくれるところもあるが、無料である。
 「日本」は全部日本語で書かれているが、総ルビで、文章も外人にわかりやすいようにしてある。留学生にわかりにくい日本人の暮らしや社会生活、日本語を説明している。これが留学生に受けて大評判。海外からもお礼や注文が舞い込んでくる。大森さんは資金が切れる3年でやめるつもりが、やめるにやめられなくなった。

 これを見て外務省と日中経済協会や一部企業、団体が協賛金を出してくれ、大企業は「日本」に広告を出稿してくれた。3年でやめるつもりが、昨年で5周年を迎えた。しかし「日本」の発行費、送料など1500万円の出費に対し、収入は1200万円、その差額を大森さんが負担している。

 ところがバブル後の不況が深刻になって、広告を出してくれていた大企業が次第に出さなくなり、昨年の12月号はゼロになった。会社それぞれに事情があり、中には高年層の人員削減を発表した会社もある。大森さんも「仕方がない」とあきらめている。
 だが広告ゼロの「日本」を手に取ると、何とも情けない思いになる。企業が一生懸命に経費削減に努力するのはわかる。しかし「日本」の広告料を削ってみたところでどうということはなかろう。まず切りやすいものから切ったのだろう。台湾人、中国在住の日本人を含めて個人137人が協賛会費を払ってくれているというのに。
 大森さんが負担に耐え切れず、廃刊ということになれば、留学生達は大いに失望するだろう。ひいては日本への失望につながるのだ。大森さんの仕事は日本と留学生を結ぶかけ橋の役割を果たしている。廃刊になれば一つのかけ橋が消えてしまう。読者は中国人がもっとも多く、海外配布も中国へは49校に達する。このきずなが切れてしまうのだ。

 「日本」の昨年12月号の巻頭に細川首相のメッセージがある。実は大森さんと細川さんは朝日新聞の同期で、大森さんは政治部、細川さんは社会部を担当し、どちらも中途で退社し、1人は首相、1人は社会活動に入った。ひょっとしてこの「ニュートラック」が印刷中に細川内閣がなくなっているかも知れないが、「日本」だけはまだまだ長続きしてほしい。


プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさんさようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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