みなさん さようなら

2018.07.16 04:08|外部 寄稿者
1992年(H4) 月刊「NewTRUCK」 7月号

300年生き続けた大八車
小磯勝直 (自動車史家)


 自動車が日本に初渡来したのは明治31年(1898)だが、トラックの製造が国内で本格化するのは、それより20年あとの大正7年(1918)からである。…歴史を観察する眼を広く養う意味合いにおいて、トラック以前の時代、物を運ぶ「車両」として古くから存在した大八車に、ひとまず眼を留めておきたいと思う。

 もとより物を運ぶ手段の変換を観るとき、大八車のほかに牛や馬の背に荷を積んで運ぶ「荷駄」があり、遠距離の運搬には「舟運」も盛んに行われたことを知る。これらの運搬手段のうちどれがその時代の社会・経済そして国民の暮らしの成り立ちに重く関与していたかを考察するのはまた別の論題であり、本稿の任ではない。よってここでは単純に、トラックの歴史をさかのぼる延長線上にある大八車の由来について概観することにしたい。

 古い話だが、日本人が車輪文化の恩恵に浴するようになったのは、いったいいつごろからのことであったのか。そもそも車両の基本である車輪は大陸系帰化人によって日本にもたらされたものと推理されている。しかしそれがいつのことであったのか、その年代を特定できる資料は残されていない。
 仄聞(そくぶん)するところ、7世紀の後半に編集された日本書紀に車輪の存在を証する記述があり、これが車輪に関する最も古い記録と見られている。また9世紀の初めに編纂された新撰姓氏録には「車持ちの君」の姓を名乗る家系があるという。

 世界史のなかで最も古く文化の興隆が見られたのはメソポタミア(現イラク)で、ここでの考古学者による発掘調査の結果、紀元前4千年ごろのものと推定される車輪が出土している。また中国では殷王朝の時代(機嫌1500年~1000年)のものと推定される車馬副葬抗が1953年に河南省で発掘され、出土品のなかに当時の乗用馬車の形態を伝えるものが発見された。それらに照らして日本の車輪文化はずいぶんおくれて発現したわけでその時代的隔たりの大きさにあらためて驚かされるものがある。

 近年、日本でも古代遺跡の発掘がさかんだが、出土品は銅・鉄剣や宝飾品が多く、車輪が出土したためしはない。せめて一個でもよい。年代の推定できる車輪が発掘されれば、車輪文化の探求にどれほどか弾みがつくであろうにと思わずにはいられない。

 迂遠(うえん)な話はこれくらいにとどめて、さて大八車だがこれは文政13年(1830)、喜多村筠庭(たかにわ)の編著によって世に出た「嬉遊笑覧」全12巻(吉川弘文館刊・日本随筆大成に収録)のうち、巻2の器用篇にその由来を伝える記述があるので引用する。

「江戸には牛に懸くるも人の挽くもみな大八車を用う。この車は「世事談」にも寛文年中江戸にてこれを造るといえり。人八人の代わりをするをもって代八と名づく。今は大八という」

 文中にある寛文の年号は1661年から1672年の12年間を指し、徳川4代将軍家綱の治世に当たる。してみれば大八車は3百年を超える歳月にわたって物を運ぶ役目を果たしたわけで、日本近世における世相万端への貢献度はきわめて大なるものがあったと言ってよいだろう。
 大八車は車台の長さ8尺(1尺は約30センチ)、幅2尺5寸、車輪の直径3尺(東京都刊・都史紀要32・江戸の牛)の木製車両で、大きさにより大七、大六もあった。車輪は耐久性を増すために帯鉄の焼きばめ技術が施されていたと思われるが、その点は明らかではない。車輪の回転に影響する輻(や・スポーク)の形状、数も同様である。

 最後に大八車という名称の由来だが、これには諸説がある。前出嬉遊笑覧にも「今按ずるに大八町とは大津の八町をいうなるべし。大津は古えより雑車のある処なれば、大八車の名はこれに起これりと思われる」とか、やはり前出の江戸の牛にも、江戸の芝車町の牛車大工五郎兵衛の倅(せがれ)八左衛門が発明したものと述べ、八左衛門がおやじに代わって製作したことから、代八の名が出たことを示唆している。


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みなさん さようなら

2018.07.02 06:00|外部 寄稿者
1992年(H4) 月刊「NewTRUCK」 7月号

日本人はよくやっている

大谷 健 (元朝日新聞編集委員)

 長らくすごした日本のマスコミ界だが、今から反省してみると、一番の問題点は日本及び日本人に対する過小評価であった。
 それでも戦前は自国を神国と言ってみたり、大東亜共栄圏の指導者を自任してみたりしたが、これも英米先進国に対するインフェリオリティ・コンプレックス(劣等感)の裏返しの強がりに過ぎなかった。
 第二次大戦に敗北して、強がりの部分がはぎ取られ、劣等感がむきだしになった。これにイデオロギー面のコンプレックス、社会主義の優位性が加味されて、後進資本主義国日本のダメさ加減が強調された。

 新聞社を定年退職したのを機会に古い資料を整理しているが、昭和20年代はもとより、30年代でも、ダメな日本はどうにもならないといった論議ばかり。それでも実業家は何とか欧米の水準に追いつこうと大いに奮闘努力した。先進国の言うことはなんでももっともだとして、つつしんで教えを請い、愚直なほど忠実に教えを守った。

 一例をあげると品質管理(QC)はアメリカの発明である。アメリカ人のデミング博士がまだ占領中の日本にやってきて日本人に教えた。生徒の日本人は先生の言う通りやってみたら、工場の生産性は著しく向上した。今アメリカから日本にQCを勉強しにくる。後年デミング博士は「アメリカ人は私の言うことを聞いてくれなかった」と嘆いた。
 産業人の努力の結果、日本は世界史上、画期的な高度経済成長を成し遂げた。しかしあまり見事に重工業化したものだから、ひどい公害現象が各地で発生した。四日市、水俣病事件は裁判になった。日本経済の成功にひるんだ進歩的文化人やマスコミは「やっぱり日本はダメだ」と言った。そして「いたずらに利潤獲得に走り、国民の迷惑を無視する」と批判した。

 いま日本の公害防除技術は世界最高である。これも日本人が言い出したのではない。先進国の集まりであるOECD(経済協力開発機構)が1977年(S52)夏に「日本の経験――環境政策は成功したか」という報告書を出し、公害対策について「おおむね日本は成功した」という結論を出した。自動車の排気ガス規制のマスキー法の基準を先ず達成したのは、マスキー法をつくったアメリカでなく日本の自動車会社であった。

 いま盛んに地球温暖化防止のためのCO2(二酸化炭素)排出抑制が説かれている。日本は経済大国だからCO2排出量は世界の第5番目だが、国民一人当たり排出量はアメリカの40%、原発の盛んなフランスを除いてヨーロッパ各国より少ない。日本はエネルギーを最も能率良く使う世界の模範国である。
 ところがヨーロッパのマスコミや環境保護団体が、日本が世界一の木材輸入国であり、かわいい鯨をとり、イルカをいじめる世界一の環境破壊国だというと、日本のマスコミは日本の立場を辯解せず、先方に同調して自国攻撃にまわる。

 しかし今、地球環境問題で世界が日本に求めているのは、ジャパンマネーとともに日本の優秀な公害防除技術である。かつて日本の進歩的文化人があこがれた社会主義国が日本にもっとも期待するのもこの二つである。いたずらに自国をほめそやし、高慢になってもいけないが、自虐的に自国を悪く言い続けるのだけはやめにした方がいい。これは自省の辨である。


みなさん さようなら

2018.01.25 06:00|外部 寄稿者
前回の記事は今から30年前、1988年1月号のものでした。その更に10年前、登場のギャリー・シェラード氏に会った「第5回呉越会・米国自動車産業視察団」参加者の中に、北海道は帯広の安斎車体製作所の炭谷拓示社長もおられました。「冬の北海道へぜひどうぞ」と題したコラムを当時の炭谷社長が30年前のこの号、1月号に寄稿してくださっています。(妙)

19087 2009年3月

1988年(S63) 月刊 「NewTRUCK」 1月号
冬の北海道へぜひどうぞ 炭谷拓示

 ふた晩寝台車で過ごし、帯広駅に降り立ったのは昭和33年の11月3日、文化の日だった。
 東京の中野で生まれ、育った私にとっての北海道は見るもの、聞くものすべてが珍しく、異国的に映ったものである。
 東京では板塀なり垣根で所有権を主張しているが、こちらでは空き地にポツンと家が建っており、塀も垣根もなく、野菜を作っても境界を気にすることもない。

 よく北海道は大陸的と言われるが、道産子は気持ちがおおらかで、人なつっこく開けっぴろげである。
 会話に敬語を使い礼儀正しく、適当に遠慮をすると、内地人はつき合いにくい、といわれる。言葉遣いをきびしくしこまれた幼児教育もここではまるで通用しなかった。
 北海道は標準語といわれるが、開拓民は各地からの集まりだから結構方言も出る。「ソウダベサ」「ヤッパシ」身体がだるいを「コワイ」女の人でも平気で「ソウカイ」という。しかし、北海道の方言も、空なら羽田から1時間20分の近さ、テレビの普及で急速に薄れつつある。

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みなさん さようなら

2017.10.23 04:27|外部 寄稿者
※ 加藤氏の記事中の写真・図はすべて「特装車とトレーラ」に掲載したものです。

事故車①

1976年(S51) 月刊 「特装車とトレーラ」 11月号
くるまの安全シリーズ・1  記事 加藤正明
加藤正明氏: 日本ハイウェイセーフティ研究所所長 2008年心不全で死去

なぜ追突はさけられないか
高速走行とボデーの視認性


● はじめに
 10数年前、箱根山中の国道1号および246号において故障車・事故車の排除に携わって以来、東名高速道路が開通するに及んで、沼津を基地として一貫して安全事業に関わりあい、今日に至っている。こうした業務を通しての特異な立場から、悲惨な事故を未然に防止する方法について、これまでにもいろいろと考えをめぐらし、自分なりの方法で資料の収集や分析を行ってきた。すなわち、事故現場の写真やデータの収集、事故ドライバーとの寝食を共にしながらの対話記録、事故カルテの作成、あるいは各種の実走行テストなどを行ってきた。
 もちろん、私は学者ではない。仮説を立て、必要なデータだけを利用する、という方法にはなじみがない。事故現場に駈けつけ、牽引作業を行いながら、事故の直接原因、誘因、その他の要因について考えをめぐらし、帰社するとなにもかも余さず、フィールド・ノートに書きつける。
 ところで、事故ドライバー(加害者)の答えは、いつもきまって判で押したように似通ったものである。いわく、まさかぶつかるとは思わなかった。いわく、止まっているとは思わなかった。いわく、十分に止まれると思った。いわく、まるで氷の上みたいに、路面があんなに滑るとは思わなかった。
 どれもまさかと予想を裏切られているわけだが、この予測に反する非常事態に対し、ドライバーがどれだけの予備知識をもっていたかになると、きわめて怪しいというほかはない。つまり、緊急時の認知、判断、動作という基本についての安全教育が、どれだけ徹底されているか疑わしい。本来なら、君子危うきに近寄らずは当然として、正確な操作が条件反射的な習性としてなされたかどうか、である。なされたとすれば、まさかが入り込むすきはないはずである。

● 不可抗力としての事故とドライバーの意識
 ともかく、事後診断としてどのような弁明解釈がなされるにしろ、事故はけっしてあとを絶たない。しかも、一定の安全教育がなされ、安全運転管理も徹底しているとしたら、決定的な事故誘因は、予想外の別なところに隠されているにちがいない。こうした道筋を辿りながら、私はドライバーの意識の薄暗がりの中に踏み入ることになった。つまり、私は居眠りとはなにか、ということに注目し、遂に運転中の覚醒度の低下現象をつきとめ、これに覚低走行あるいは覚低運転と名づけた。幸い、この研究は多方面からの関心を集め、一応の成果が認められることとなった。

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みなさん さようなら

2017.10.12 06:00|外部 寄稿者
ニュートラジャーナル (Webサイト『トラックX』より)
執筆者紹介
大山健一郎氏…トラック技術の権威、経営の元トップ。鋭い批判姿勢が好評

儲かってます、高速道路 (2006年9月7日掲載)

 昨年10月に道路公団を三分割民営化した後の初めての決算は三社共黒字だった。過大な借金とその利子の返済によりかなり厳しいと思っていたが、正しい会計によって透明になったとたん、以外にもそこそこの利益が上がっている。路線別収支も20路線で百億円を超す黒字を達成した。

 東、中、西日本三社合計の料金収入による利益は519億円、SA/PA等の事業利益は48億円、納税額は276億円と立派なものである。昨年10月からの6ヵ月決算だからあまり楽観視はできないが、年度のベースにすればこの数字は倍になる。とても乾いた雑巾を更に絞るほど経費を詰めているとも思えないし、まして公団時代の人員を民営化の時にリストラした話は全く聞こえてこなかった。民営会社になってむしろ会長さんが三人増えた分、総コストは膨らんだはず。公団時代の経営がいかにずさんだったかである。

 会社は景気の拡大によってトラック交通量が増えたとか、ETCの普及が予想ほど伸びずに割引料金が適用にならなかった、などと言っているが、それだけではないだろう。なにより高速道路の建設談合で副総裁と審議官が逮捕有罪になったことで、社内が一気に引き締まったに違いない。更に大口割引の後払いの回収不能とか、子会社によるハイカの横流しや大量の5万円偽造ハイカの横行などルーズ極まりなく、公団時代はいわば経営の体をなしていなかった。新会社の経営方針と行動規範にはこの反省に立って法の遵守とコンプライアンス(従う)の精神が高く掲げられている。

 最近のテレビ報道によると再び道路会社の経営を揺るがしかねない新たな問題が起こっている。それはETCゲートの強行突破で、しかも急速に増加しているという。強行突破はスリやカッパライに等しい卑劣な犯罪で、これに生ぬるい対応を重ねるとやがて一事が万事、公団時代のように金にルーズな体質に戻る。どんなにコストを掛けても犯人を一切許さない毅然とした姿勢が必要である。強行突破車両には自動的に赤塗料を吹き付け、直ちに追跡、現行犯逮捕するくらいの方策が有効だろう。

 本四橋公団を含めて、三公団が予定踊り借金の返済をしながら黒字化できることが分かった以上、民営化する前の約束である通行料金の一割引き下げを一刻も早く実現してもらいたい。何しろ世界一バカ高く物流コストの足枷になっている高速料金を引き下げて経済の活性化につなげるべきだ。公団は大口割引や時間帯割引などで実質引き下げていると言いたいだろうが、これでお茶を濁されては困る。まず、一律の料金引き下げを実現して初めて民営化して良かったと誰もが実感できるのではないか。

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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