みなさんさようなら

2013.12.17 03:18|雑記
増田周作に成り代わりまして、「お礼申し上げます」

 このたび、日新出版は銀座を出て、市川の増田家自宅へ移転しました。増田周作が上京して、北区の借家を仕事場にしてから実に42年、我が家がふたたび事務所になりました。

 日新企画(現・日新)の作った多額の借金をかぶる決意をして「2009年東京トラックショー」を成し遂げた周作はストレスからガン発症。30年以上も前から日新出版社長の座を狙っていたY氏は、分不相応な日新企画を作ってもらった恩義も感じず、好機到来とばかりにすい臓全摘手術直後に押しかけ、枕元で強硬に辞職を迫りました。周作が拒否した理由は、昨年7月号から絶筆の12月号までの「NewTRUCK」に、繰り返し書かれています。
 各所で罵詈雑言、虚言を吐きながら、しかし、Y氏は増田周作の死期を早められたものの、本当に切望したものは何ひとつ手中にすることができませんでした。日新出版の社長職、月刊「NewTRUCK」、「東京トラックショー」の主催権です。

 昨年6月以来、続く混乱の中でこれら3つを守り通せたのは、励ましてくださった旧知の業界の方々、毎月第一金曜の論語素読や各催しに参加して30年を共に歩んできた「日新論語会」の皆さん、弁護士先生方のお陰で、そのご厚情にはお礼の言葉もありません。母と二人だけでは、今日まで持ち堪えることができなかったに違いないのです。

 増田周作の生前から始めたこのブログですが、没後、ブログとは名ばかりになって今日に至りました。43年の「もの書き人生」、いろいろ書き残したものがあります。この数ヶ月の間にも父が祖父母に宛てた書簡を数通見つけましたので、いずれお目にかけようと思います。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。(妙)
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みなさんさようなら

2013.08.15 08:29|雑記
ブログ用墓 3372
平成15年(2003)4月 数え77歳の周作

神通力健在か 増田周作

 新盆の法事は少し早めに、8月6日11時から延光寺で執り行いました。

 四国88ヵ所霊場39番札所延光寺は父にとって縁の古い寺で、25歳の3月、祖母が仕立てた遍路装束でお四国詣りに出発した地でした。延光寺は増田家の日蓮宗とは違う真言宗ですが、細かいことは気にしないタチの父は、先祖の墓石をすべて集めて裏山に結構な広さの墓地を作りました。墓石の「増田家」の文字は父が書いたものです。今回は職場復帰の形で、父と親しかった先代住職に読経と説教をしていただきました。

 法事中、2件のメールを受信。1件目は、「日新論語会」のお世話役から。2件目は元購読者からの電話連絡を日新出版事務所が送信してきたもので、「月刊NewTRUCK」の購読料と香典をお支払するという内容です。トラックショーの初日に、真っ先に日新出版コーナーに来られるこの栃木の方が香典まで下さるというのに、父とどんなご縁があったのか私は知りません。
 大学卒業後すぐの父を、大阪から呼び戻して借金事業に引き入れた祖父は、葬式後になっていくらかの金が入り、父もまた、新盆に律儀な人から香典をいただくことになりました。

 土佐に帰郷中の3日間、他にメール着信はなく、1件は読経の真っ最中、16分後の2件目は法話の最中でどちらも本堂の中。不思議です。ちなみに法事の日取りを銀座の事務所は知りません。

 父を知る皆さんからは、父とのつながりで時折不思議なことが起きると聞いていました。本人もよくそう話していて、私自身、日新出版事務所で驚いたことが幾度もあります。増田周作死してなお、あの志や気はこの世にあるのでしょうか。
(増田妙子)

みなさんさようなら

2013.06.17 09:23|雑記
-「苟日新 日日新 又日新」-

軽井沢へ行く用ができたので、新緑の中、上田まで足をのばしました。
11年前、父が「増田周作のおはようコラム」に書いた真田神社の手水石です。
昨年10月末、神社の前の城門まで行ったものの、工事中で近づけなかった、と聞きました。
動けるうちに、以前、感動した「日新」の文字を見たかったのでしょう。

5月11日、城内の手水石はまだそのまま。曇り空の下、仏壇に供える写真を撮りました。(妙)

(周作の当時のコラムは次回、20日木曜掲載予定)
5 11 手水石 1833
(2013年5月11日 上田城内真田神社と手水石)

みなさんさようなら

2013.03.25 07:50|雑記
3月10日の「月刊NewTRUCK休刊」お知らせブログで

「どんな文章になったか、
本当は、本人が43年間の思いを籠めて
挨拶文を載せるのが一番良いのだが、」

と掲載して4日後。
『しにか』の休刊について書いた2004年の
「増田周作おはようコラム」を偶然見つけた。

43年間の執筆活動、中でも
13年にわたる毎日のコラム発信で、著作量は膨大だから
ピッタリの原稿を見つけるのは至難なのだ。

その数日前には、周作の死をひどく悲しんで、
ようやく哀悼の意を伝えてきた人のために写真を送ってあげようと
見ていた中に「大漢和辞典」があった。
さらに、「しにか」の写真を撮っていたかも、と
コラムの日付に近い写真フォルダから探した。

そうして、寄せ集めてできあがったのが前回のブログだ。
父が「大漢和辞典」写真と「しにか休刊」のコラムを出してくれた、
そう思っている。
しにか


「しにか」は全冊、まだ書庫に残っていた。
昨年のゴールデンウィーク中に資料をかなり整理したようだが、
これは処分できなかった口だろうか。

しにか最終号の編集後記によれば
“「始まりがあるものには、すべて終わりがある」とは、
昨年(2003年)公開された映画の宣伝文句でした”。

みなさんさようなら

2013.03.10 20:33|雑記
ご愛読ありがとうございました。
先週発行の3月号で「NewTRUCK」は休刊です。

増田周作の原稿のない1・2月号はやはり精彩、切れに欠けました
やはり、「もの書き」は一代限り、継げるものではありません。
本人もよく承知していたと思います。(妙)


桜
(2012.04.14周作撮影・部分)
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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