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「土佐 すくも人」第8号 1991年版 H3.10.24発行 非売品(東京宿毛会)

安岡正篤先生と幡多 (終わり)

土佐は文の国 儒学の流れ
 土佐は建依別(たけよりわけ)、武の国であると古来言われてきたし、いごっそ、大酒飲みの荒々しい気性が県民性であると思われているが、実際は辺地でありながら文を以て栄えた国であり、その威風は現在にも脈々と伝えられている。
 土佐日記の昔はさておいて、戦国時代から江戸時代初期にかけて儒学の分野での土佐の地位はきわめて重い。
 鎌倉時代から室町時代にかけての儒学は京都や鎌倉の五山の僧侶達による詩文を主にしたいわゆる五山文化が主体であったが、江戸幕府成立による徳川家康の儒教保護と奨励政策によって、武家層の間に朱子学が急速に拡まっていった。
 この時期の朱子学は大きく分けて三つの流れがあった。京都の藤原惺高、林羅山などの京系朱子学、薩摩に興った薩南朱子学、土佐の海南朱子学(南学)である。山口の地で栄えた大内文化の流れの桂庵が薩摩で、南村梅軒が土佐で朱子学を拡めたのだが、薩摩はその後に勢を失ったのに較べて土佐では、忍性、信西、天室、特に天室の弟子に谷時中、さらにその弟子の野中兼山、小倉三省、山崎闇斎によって大いに振るった。特に京都から吸江寺に禅の修業に来ていた闇斎が、谷時中や兼山の指導を受けて仏を捨て儒に入り、江戸期を通じての儒学の巨峰となり、わが国学問史上、きわめて大きい影響を後世に及ぼした。
 幡多においても学問は大いに興り、宿毛伊賀氏膝下の講授館(後に文館、さらに日新館と改称)で酒井南嶺などの指導のもとに政治、実業或いは文化事業に活躍する幾多の人材を輩出したことは読者のよく知るところである。
 安岡正篤先生は世に陽明学者と呼ばれることが多いが、先生は朱子学、陽明学そのいずれかに枠組みできる人物ではない。いずれにせよ、江戸初期の武家学問の興隆期と、昭和動乱期に儒学の倫理を以て一世の指導者となった二代巨人が、深浅の差はあるにせよ、土佐又は幡多にゆかりを持つ人物であることに大きな感慨を覚える。
 大月町出身の叔父伊与田覚の安岡先生と論語への献身は土佐南学とは形を替えながらも儒学への現代の果敢な取組みであろう。筆者の毎月一回の論語講座は、経営する出版社名に因んで日新論語とも呼ぶ。宿毛小学校の前身は日新館、血縁、道(学)縁、地縁の不思議さをしみじみと思う。
12233野中兼山
(野中兼山遺族の墓地 高知県宿毛市) 
            
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(株)日新出版は今週13日(金)をもちまして事務所を立ち退くことになりました。
今後のことにつきましては、また順次追って皆様にお知らせいたします。(妙)



「土佐 すくも人」第8号 1991年版 H3.10.24発行 非売品(東京宿毛会)

安岡正篤先生と幡多 ④

 昭和24年、東京に安岡先生を中心とした全国師友協会が発足、関西師友協会はこれに遅れること8年の昭和32年のスタートであるが、その前にも「先哲講座」などで安岡先生の大阪出講は屡々であった。昭和22年か23年ごろある印刷所の狭い2階で先生のお話を拝聴したが、戦後初めての頃の出講であったと思う。
 伊与田は学生のための教育宿泊施設の有源学院を主宰すると共に、関西師友協会の設立に奔走していたが、この時期、筆者は大月町に帰っており、関西師友協会発足とほぼ時を同じくして上阪、新聞社づとめの傍ら青年部長に就任して後輩の指導に当たった。
 安岡先生は毎月のように大阪に出講、各地にも師友協会ができて、乞いに応じて足を伸ばしている。幡多を訪ねたと思われる昭和39年を見ると山形、仙台、群馬、香川、高知、愛知、伊勢、岐阜、大阪、奈良、八尾と寧日なき有様である。
 同人と青少年の切磋琢磨の研修施設をとの伊与田の願いは、多くの賛同者を得て、昭和44年に(財)成人教学研修所として実現、関西師友協会事務局は同志に委ねて、研修活動に専念することになった。この年に筆者は上京、出版界に身を投じた。

 昭和58年、安岡先生重態となり、東京の全国師友協会は先生あっての師友会として解散を決定した。しかし、関西師友協会は新井正明会長(住友生命名誉会長)の「文王亡シト雖モ猶興ル」の決意もあり、同人もまた結束してその維持発展を誓い合った。安岡先生の本葬が岸信介元総理を委員長として青山斎場で執り行われた後、参列のため上京した伊与田を始め事務局の人達、同士20数名を筆者は某所に案内して、ますます意気を盛にして師友の活動を発展させることを確かめ合ったのである。

 伊与田はその後、成人教学研修所内に論語普及会を設立、自ら浄書した『仮名論語』頒布と研修所での講座、全国各地への出講を通じての東洋倫理道徳の高揚に75歳の心身を捧げ尽くしている。筆者もまた、銀座の事務所において毎月第一金曜の夕刻、6時半から論語講座を開いて一度の休みもなく既に10年目に入っている。
(次回12/13【金】アップは「安岡先生と幡多」の項、最終回)

みなさんさようなら

「土佐 すくも人」第8号 1991年版 H3.10.24発行 非売品(東京宿毛会)

安岡正篤先生と幡多 ③

安岡先生と幡多の深い人縁
 安岡先生と幡多の縁は、養家が幡多の出であることによるのだが、養父もまた高知から養子に入って東京に永く住んだことを考えると、極めて薄いものであったと思う。
 しかし、その浅い地縁を補って余りある深い人の縁が安岡先生と幡多の間には存在する。その人とは筆者の叔父、大月町橘浦出身の伊与田覚で、大月町弘見の大井田家から嫁を迎えているが、宿毛で盛業中の大井田医院などもその一族である。
 筆者の母の弟、伊与田覚が大阪の師範学校入学のため、上阪していた父の元に身を寄せたのは筆者4歳の頃であった。筆者の中学生時代から大学卒業までは今度は叔父の家に寄宿して、それから後も安岡先生の教えによる道の縁は現在に及び、血縁と道縁による叔父甥の結びつきは60年を越えた。
 小学校の教師をしていた伊与田に連れられて初めて安岡先生のお話を拝聴したのが、昭和15年か16年、筆者の中学2年か3年の頃であった。後年の安岡先生は程よく肉もつき顔も赤みを帯びて温容になられたが、40歳代の先生はカミソリのような鋭さがあった。
 その時のお話は三国史であったが、諸葛孔明とは先生の如き人ではなかったかと思ったものである。場所は大阪の北、箕面にある金鶏書院で、東京の金鶏学院の分院という形で、安岡先生のお話を拝聴すると共に同人講究の場として大阪の有志が昭和8年に設立したものである。
 求道心に燃える伊与田は蓮沼門三先生の修養団、西田天香先生の一燈園などの門も叩いたようだが、終戦後程なく太平思想研究所を設立して以来はひたすら安岡先生に傾倒、そのうちに教職も抛(なげう)って、先生の教えの鼓吹と同人研修、青少年の育成に奔命することになった。太平思想研究所は終戦の詔勅の「万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲ス」から引用したもので、安岡先生が内閣の依嘱により原文に付加されたと伝えられる。(つづく)

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「土佐 すくも人」第8号 1991年版 H3.10.24発行 非売品(東京宿毛会)

安岡正篤先生と幡多 ②

大阪堀田家と幡多安岡家
 安岡家は土佐に多い安岡氏のうち、橋上村(現宿毛市橋上町)で代々番頭、大庄屋などを勤めた名家であるが、安岡先生の生家は大阪の堀田家で、安岡家に婿養子として入った。この間の事情については、先に挙げた2冊ともかなり詳しく書いている。
 堀田家は大阪市内で手広く商家を営んでいたが、事情があって大阪の東部の四条畷に近い土地に移った。少年時代を過ごした家は今も保存されて、

 青白く山は霞みて故郷の
     花の小径を辿る楽しさ

の自筆の歌碑が庭前にある。
 府立四条畷中学に進学した先生は抜群の成績であったが、堀田家の資力では上級学校へ進学させるだけの余裕がなかった。漢文と音楽を教え、学生監として生徒の進路指導に当たっていた教諭の島長大が、先生の安岡家入りに大きな役割を果たすことになる。
 島長大は土佐出身で、当時東京に出ていた安岡家の当主盛治とは親戚関係にあった。盛治は高知の大西家の出で、高知師範と中央大学前身の東京法学院を卒業して、教職に就き高知に勤務中、安岡良純の養子となり光恵との間に婦美をもうけたが男子に恵まれなかった。盛治は妻子を伴って再び上京、大蔵省勤務を経て日本通運に入社、取締役仙台支店長などを歴任、安岡先生の次男正康氏も日本通運常務取締役の要職にある。

 安岡家の系譜については郷土史家橋田庫欣先生に教示を受けた。
 上杉左エ門重房15世の孫に安岡左エ門良白があり紀州に住みその孫久左エ門良重が淡路に移り、更にその孫伝八郎良勝は山内康豊に仕えて中村に来住した。その4代後の久左エ門良儀の時、中村山内氏が断絶したので、間崎村(現中村市)に退去、その子貞助良久と伝七真儀の子孫が相伝えて、間崎村や橋上村など各地の大庄屋などを勤めた幡多の名家のひとつである。
 貞助良久から6代目に当たるのが、安岡良亮である。大阪の篠崎小竹に学んだ遠近鳴鶴門に入り、更に筑前(福岡)の亀井塾で狙徠流の古学を修め、武芸全般に通じた良亮は、幡多郡山方下役の傍ら中村にあった郡奉行管下の郷校『行余館』で文武取立役として諸生に文武を教えた。後、板垣退助率いる土佐官軍迅衛隊に参加、江戸板橋で近藤勇の切腹に立ち会う。新政府で累進して熊本県令在任中、神風連の乱に遭って殉職した。
 貞助良久の弟である伝七真儀の家系が橋上村の大庄屋などを勤めて、その8世の裔が安岡先生の養父盛治である。盛治の曾祖父良徐の弟次市と伊蔵はそれぞれ別家を立て、次市の孫には有岡で医者をした要馬があり、その子孫は殆ど医業に従事、大阪に出ていると聞く。伊蔵の跡は地元で縁戚も多く栄えているそうである。

 堀田家、安岡家の説明はひとまずおいて、島長大の斡旋によって、堀田正篤から安岡正篤となった先生は第一高等学校独法科から東京大学法学部政治学科に進む。東大在学中に既に先生の学名は高く、その論文を読んだ中国の学者から大学教授と間違われて、安岡正篤閣下と宛名を書かれたとか、卒業後に延期されていた徴兵検査で、陸軍大佐の検査官から「あの有名な安岡先生は父君であるか」と聞かれたとかの逸話にはこと欠かない。
 東大卒業後、文部省に6ヵ月奉職したのと第二次大戦末期に大東亜省顧問に就任した以外、安岡先生は遂に官途にも象牙の塔にも無縁で通した。東洋思想研究所、金鶏学院、日本農士学校の設立の間、北一輝や大川周明などとの接点もあったが、それらとは一線を画して、著述、講義などを通じて、指導者のあり方の教示と人材の育成に専念した。先生の思想的立場と姿勢は、戦前戦後を通じ一貫して変わることはなかった。(つづく)

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「土佐 すくも人」第8号 1991年版 H3.10.24発行 非売品(東京宿毛会)

安岡正篤先生と幡多 ①

昭和の指南役安岡正篤先生
 歴代総理の師と仰がれた安岡正篤先生が逝去されたのは昭和58年だが、先生の名が世上に広く知られることになったのはむしろその没後においてである。
 生前の先生はマスコミに登場することを極端に嫌い、その教えを直接受ける人もごく限られており、著書もまた地味な特定の出版社からの発行で、印刷部数もそれ程多くはなかった。
 先生の死によって、いわば解禁状態となった著作や講義・講演集は、大きな宣伝力を持つ商業出版社の競って発行するところとなり隠れたロングセラーとなった。東京駅前の八重洲ブックセンターには『安岡正篤先生コーナー』が設けられ、数十点に上る関係図書が並んでいるが、いずれも売れ行きはいいそうである。
 吉田茂元総理が老師と敬って師事したほか、歴代総理は教えを乞い、終戦の詔勅に朱を入れた。平成の元号も先生が内閣の乞いによって命名しておいたもののひとつである、などの話が、これ迄先生には無縁な人達をも先生の著書に目を向かわせる大きな原因にもなったと思われる。
 最近安岡先生の生涯について2冊の書物が殆ど時を同じうして出版された。『安岡正篤の世界―先賢の風を慕う』(神渡良平著・同文館)と『昭和の教祖―安岡正篤』(塩田潤著・文芸春秋社)である。これ迄、安岡先生について書かれたのは門下生、或いは肉親によるもので、先生の謦咳(けいがい)に接したことのない2人の著作が出版されたことに、先生が遠くなったような、ある種の淋しさを感じる。
 これから述べようとするのは、安岡先生と幡多の関係、大月町出身の叔父伊与田覚と著者と安岡先生との間の道縁或いは師弟縁についてである。 (つづく 次回は11/29 金曜日アップ)
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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