みなさんさようなら

(前回 21日のつづき)
休みなく「日新論語会」は続きましたが、3回連続で代講の先生が来られたことがありました。
2008年4月5日から7月15日の朝まで、周作が憧れだった世界一周クルーズに出かけて102日間不在だったためです。

5月の講師は湯島聖堂でも講座をお持ちの田部井先生、
6月は周作の叔父で論語普及会学監伊与田先生、
7月は横浜国大名誉教授角野先生と
安岡正篤先生の令孫溝本先生。

豪華な講師の顔ぶれに、聴講生一同大喜びでした。

下文は、月刊誌の編集後記「わだち」に載せたもの。
≪注≫ あとがき「わだち」は、まだ“自動車車体通信社”だった日新出版がこれも改名前の「特装車とトレーラ」編集後記に、1977年9月号から周作が使い始めた名前です。(妙)


―2008年5月号「わだち」より―
有り難い世の中で、インド洋を航行中の「飛鳥Ⅱ」からEメールで記事も写真もリアルタイムで送ることができる。
乗船前には、社員から記事も写真も送れるように練習せよと言われたものだが、科学オンチであることを自認している上に、社長の沽券(こけん)にかかわると思って、そのまま乗り込んだ。
どうにもならなければ、寄港地ごとにフロッピーに入力した記事と、船内で紙焼きした写真をエアメールで郵送することも考えて、その準備もしてきた。
ところが、それではどうにもならぬと自覚。船室にコンピュータ管理の男性管理職に来て貰って、文章をテキストスタイルにする、写真のコンピュータ取り入れを先ず教えてもらった。そのデータをコンピュータプラザの優しいお姉さんのところに持ち込む…。

―2008年8月号「わだち」より―
「飛鳥Ⅱ」で書く記事もこれで終わり。毎朝未明、軽快なメロディと共にVAIOが開いて、真っ暗な船室に、ほんのり灯りがさす。この世界旅ほどコンピュータの有り難さを感じたことはない。予備に持参したもう一台を使う必要もなく、最後まで故障知らずに作動した。乗組員で一番仲良しになったのもコンピュータ室のお姉さん2人で、親切に教えてくれた。毎朝発信のコラムのコピーを親しい船客に見せると、一様に驚嘆して筆者の株は上がった。単行本になる旅行記の原稿だけで10万字余り、400字詰め原稿用紙250枚、その他月刊誌、コラムを合算すると膨大な文字入力を、不平も言わずに作動し続けてくれた、筆者の分身のようなコンピュータに感謝!

先生方

左から 田部井先生・伊与田先生・溝本先生・角野先生(日新出版事務所で)

パソコンルーム新

「飛鳥Ⅱ」コンピュータルームの窓から見るマンハッタン島と船室で原稿書きの周作

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みなさんさようなら

2013.01.21 08:28|「周作閑話」
1月18日午後6時、
「日新論語会」にご縁のあった皆さんが集まりました。
「増田周作を偲ぶ会」出席者の中には
浜松、大阪からの方もおられて一昨年末の
事務所転居以来の賑わいになりました。(妙)


1984年(S59) 「月刊NewTRUCK」 1月号 ―「周作閑話」より―
暮れも押し詰まった12月14日朝、ニュースで前夜の安岡正篤先生のご逝去を知った。…私は忠実で、優秀な先生の門弟ではなかったが、先生の謦咳(けいがい)に接したのは40数年前の15歳前後だったから40代のまだまだお若かった先生を知る最も若い年代に属するといえるだろう。…
この時から40年、大阪で、東京で、先生のお話を何回、何十回拝聴したであろうか。…お話の内容も実にバラエティに富んでいたが、鈍物の私にいちばんぴったりしたのは「50にして49年の非を知る」「人間はほどほどがいいので、目の出なかった人間はその子や孫に福徳を残していると思えばよい」というお言葉で、これが私の救いともなり支えともなったのである。
40半ばで、トラックと東京の全く未知の世界に飛び込んだのも、45年のそれ迄の生涯を非として、そのすべてを放擲(ほうてき)しての大転回であった。貧乏で、全く日の当たらない世界に生きていてもオレの代はダメでも子や孫で良くなる、焦ることはないという心のゆとりを持つこともできた。…
私の叔父、伊与田覚は、甥の私とは全く違った旺盛な求道精神の持主で、修養団など遍歴したあと、先生の心酔者となり、その鼓吹者となって、生涯を捧げ尽くしている。まさに賢叔愚甥のようなものだが、この叔父の手引きで門前の小僧程度の先生の門弟の末端に加わることができたのである。…
私は、現在4年がかりで論語の講義をしているが、今度はご褒美は戴けない。しかし、「文王ナシト雖モ猶興ル」ささやかな一灯を掲げることが不肖の門弟のせめてもの恩返しであると自覚して、息長く続けてゆきたいと思う。
(12月15日 先生密葬の朝記)

みなさんさようなら

「決心した時から実行することが肝要である…
私はといえば、新年からこのコラムをパソコンで自ら発信するつもりで、いま練習中である。
明日がある、来年があるというのは怠け者が口にする常套文句なのである。」
                  「増田周作のおはようコラム」 2000.12.25

「なにしろ、このホームページを初めとして、私の書く文章は質はともかくとして、
量はきわめて多い。省力化にはなるだろうが、当分の私の労力は倍加する。
…74歳のパソコン事始め、その経過は、このホームページでお知らせしてゆくことにする。」
                  「増田周作のおはようコラム」 2001.01.16



ブログ用

デジカメで、パソコンと共に被写体になった初めての写真。(2001年8月)

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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