みなさんさようなら

2013.10.28 20:07|「東京トラックショー」
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2009年の「トラックショー記念品」色紙 左から
・「行不由径 行くに径(こみち)に由らず」……人生の大道を歩もう
・「無信不立 信なくんば立たず」……信がなければ社会は成り立たない
・「一以貫之 一(いつ)もって之を貫く」……この不況の時こそ試される一貫性と忠恕のこころ
・「義利両全 義利両(ふたつながら)全(まったし)」……「適正利潤」について考えよう、「義」と「利」は両立する

2009.10.09
「増田周作のおはようコラム」

……
 東京トラックショー(2009)が、思いも掛けなかった131社の参加を得てようやく成立したものの、それぞれの出展規模は小さく、世帯のやりくりは極めて厳しい。開場式に招待する出展者や関係者にお贈りする記念品代の出費もままならない状態である。
 窮余の策で、私の肉筆色紙を差し上げることにして、約300枚を書くことになった。色紙の文字は論語から4種類選んで書く。その文字を説明するために、季刊誌『春夏秋冬・冬の部』のを一ヶ月繰上げ制作することにした。記事の執筆は既に済ませ、7日には添付するCDの録音取りも文化放送で終わった。取り上げる人物を伊達政宗にしたのは、書の達人で筆まめだった政宗にあやかりたい、との想いもあったからである。


ご出展ご来場、ありがとうございました! 
 10月24日~26日、東京トラックショーは無事終了しました。今回のように、会期中全日天気がぐずついたのはトラックショー始まって以来のことでしたが、出展者、来場者の皆さま、お疲れ様でした。
 昨年10月30日、父は病院から介護タクシーで「トラックショー説明会」会場に到着、力を振り絞って2013年の開催宣言をしました。30年の長きにわたり、父とともにショー発展にご尽力下さった皆さまのご厚情に深く深く感謝申し上げる次第です。(増田妙子)

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みなさんさようなら

東京トラックショー開催が目前なので、第一回目の模様を5回にわたって増田周作の文章でご紹介しました。(後日、9月10日にまとめました。)
この後も、超零細企業の一出版社が単独主催するわが国初のトラックショーに出展を決意してくださった各社の勇気と心意気には、常に感謝を忘れませんでした。
すい臓ガンが見つかって7月27日手術、2ヶ月半たった2年前のちょうど今頃書いたコラムを掲載します。
今日は周作の月命日、トラックショー開場式まであと3日。

①1071
(2011.10.10 周作撮影)

2011.10.12
久しぶり、秋色を求めて2kmほどの歩き

 10日、体育の日、手術後初めて小さなカメラを提げて2kmほど歩いた。自宅からほど近い江戸川に向かう途中、グラウンドがある。学校の児童が野球の試合をしており、盛んな声援が飛び交っている。病気上がりの身には、元気な子どもはまぶしい程だが、その元気が貰えそうな気がして、しばし観戦していた。
 江戸川放水路までの道の両側には、萩やススキ、コスモスなどの野草が茂って秋の気配である。この辺りは、元気な頃はウォーキングによく来たところで、東京湾に入る河口から上流の鉄道橋まで長い堤防を早足で歩いたものだが、今、その馬力はない。
 堤防に腰を下ろして、川面に遊ぶ水鳥や上下する漁船をしばらく眺めていた。高い空と川の水の青さ、水鳥の白さ、草の匂い、心地よい海からの風、しみじみ生きていてよかったと思うひと時だった。
 手術後の傷跡から滲液を受けとめる管も7日には外れて、傷の痛みも薄れている。仕事にかける時間も段々増やしてきた。病気前、とまではまだいかないが、その7割くらいまでは十分に復調して、有難いことだと思っている。

③1079

みなさんさようなら

2013.10.14 07:51|「東京トラックショー」
1984年(S59)月刊「New TRUCK」
『周作閑話』

興行師

 「ヤクザにも総会屋にもようならなんだが、興行師のはしくれにはなったらしいナ」若い者と一杯やりながら冗談を言って大笑いしたのはつい先日のことだった。
 どれを取っても余り上品な職業とはいえないが、ヤクザと総会屋にはひそかなあこがれを持っていたのは事実で、そのことをうちの者達はよく知っているから、こういう冗談が利くのである。
 つい先日出たばかりの文藝春秋11月号に「山口組顧問弁護士の手記」という一文が掲載されて非常に興味深く読んだ。
 「組織の構成員というのは、だいたい共通の人格的特性を持っている。
 反骨精神が旺盛で、向こう意気が強く、虚栄心に富み、侮辱されると著しく感情を損なう。粗暴の壁を有し競争心強く、身勝手。頑強にして尊大、また一方楽天的で決断が早く、見切りも早い。直情短絡的にして行動的、逡巡と思索を嫌い、常に行動力を鼓舞している。物を書くのは嫌いだが話し好きで陽気。お人好し…。」
 全くわがことを言われているようで恐ろしいほど、違うのは頑強でないこと、物を書くのが好きで現在のところそれでメシを食っている位であろう。
 「オレがもし、いい体で腕っぷしが強く、なまじの教育を受けなんだら間違いなくヤクザになっていた」酒の上の冗談も、こうしたデータを突きつけられると、冗談でなくなってしまう。
 ただ山之内弁護士が挙げた生活環境は彼等とはかなり異なる。両親の慈愛を一身に受けていたし、貧しいけれども由緒正しい血筋の家系である、という自信もあった。愛情の過疎、差別という問題は私には皆無である。
 だから、人格的特性はあっても、家庭的環境はヤクザになる要素はなかった、といえるかも知れない。しかし、私ときわめて血の繋がりの強い従兄、振作はその道に入った。振作、周作は従兄の父、つまり私の伯父の命名で、いわばセットだったのである。この従兄は身体は頑健、相撲も強く荒っぽいところもあったが、周ちゃん、周ちゃんと優しくしてくれた。いまはどうしていることか。
……
 総会屋と業界誌は似たようなもので、一方は陰の部分、一方は陽の部分を受け持つ二卵性双生児的なところがあり、この双方を持っているところも多い。
 私がヤクザにも総会屋にもなれなかったいちばん大きな原因はカネの出所にこだわったからだと思う。協賛金だとか、テラ銭などの名目のカネでメシを食いたくないし、子分達も養いたくない。
 そんなええ格好をして、企業からカネを貰うのは総会屋も業界誌も同じではないか、と反論されるかも知れない。しかし、私が企業から貰っているカネは広告料金であり、購読料金で、正当な商行為によるもので、決して強制、押し売りはしていない。
 朝日、日経ですら、新年や暑中といった協賛広告を貰っているが、私はそのようなカネは一度も受け取ったことはない。この本は名刺広告の入らぬ日本で唯一の商業誌の筈である。
……
 15年間、私は車体業界にお世話になった。協賛金でなく、広告という名目でも協賛金的要素があったことはよく承知している。この車体業界から受けた恩義は何としてもお返ししておかねばならない。…
 思索、逡巡でなく直情短絡行動のヤクザ的要素、世話になった企業、私の場合は業界に対する恩義を返す総会屋的感覚が、トラックショーという興行を生み出した大きな原動力である。
 人間の生地(きじ)というものはいくつになっても変わらないものらしい。
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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