みなさんさようなら

2014.01.17 06:57|記念行事
1972年(S47)「特装車とトレーラ」1月号 ドキュメンタリー
50号記念行事
フェリー航送見学試乗会始末記 

1972年はフェリー元年

 筆者は船が好きなのである。高知県西端の宿毛湾(すくもわん)は帝国海軍華やかなりし頃連合艦隊の太平洋での月月火水木金金といわれる猛訓練の基地であった。年に何回か、ある朝目が覚めると沖にびっしり軍艦が集まっている。文字通り海面を埋めつくしているのである。この宿毛湾には小さな漁港がいくつかあるが筆者の育った橘浦(たちばなうら)という優美な名前を持った漁村が、この連合艦隊を見るのに一番いい場所であった。こういう環境に育ったら、誰でも船キチになると思うがどうであろうか。
 戦争はこの連合艦隊のほとんどを海底に葬ってしまった。陸奥(むつ)とともに帝国海軍のアイドルであった戦艦長門(ながと)は生き残ったがビキニ水爆の実験に使われるという哀れな末路を辿ってしまった。今も保存されている三笠とともに残してほしかった軍艦であった。

 戦後の船は大型タンカーから始まったが、これは何ともバカでかいだけで興味をそそられるようなシロモノではない。海コン専用船も出現したが、度肝を抜かれたのは阪九フェリーの出現であった。1968年(昭和43年)8月のことである。
 それまでの瀬戸内海を航行する内航客船はせいぜい3千トンどまり、それがいきなり5千トンの大型船で出現したのである。フェリーというものはいわば渡し船であり、橋としての機能をもつものだと考えていた筆者にとってこれは大きな衝撃であった。“船が道路の代わりをする”早速、試乗したのはいうまでもない。この阪九フェリーはきわめて好調の辷り出しを見せた。

 いまの時点に立って考えると、この阪九フェリーの成功は当然であって、現在就航中または予定のどのフェリー航路をとってみても、この航路に優る航路は見出し得ない。しかし、そこがコロンブスの卵というもので、やはり最初に計画した人達にとっては冒険であったし、反対も多かった筈である。阪九フェリーの利点を簡単に挙げると、①第二国道が既に満杯に近く、東名、名神のような高速道がない、②阪神、北九州を結んで物流量が大きい、③瀬戸内海といういわば盥(たらい)のような水面を走るので、船客、貨物ともきわめて安定した輸送ができる、④航行時間が13時間で運転手の休息時間に充当するとロスが少ない、これだけの条件が果たして揃う航路があるだろうか。


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みなさんさようなら

2014.01.07 02:05|コラム・巻頭・社説・社告
1972年(S47)「特装車とトレーラ」1月号 コラム

一利を興すは一害を除くに如(し)かず
考え直したいモーターショーへの参加


「一害を興すは一害を除くに如かず」という言葉がある。新しい事業を興したり組織を作ることも大事だが、それよりも不要になったものを整理する方が、ずっとメリットがあるという意味である。この好例が、官僚組織であって、組織作りには一生懸命になるが、それが存在価値を失った場合でも、官僚の自衛本能というものが働いて整理、廃止には極力抵抗する。これに比較して、一般企業では採算性を重視するので、不採算部門の切り捨ては決して珍しいことではない。殊に現在のように経済環境が悪化すると、思い切った統廃合を断行する。

 特装車グループのモーターショーの参加もこれと同じようなことがいえるのではないだろうか。モーターショーに便乗して参加をした当初ではそれなりの意義もあり、効果もあったとは思うのだが、現在では果たしてどうであろう。昨年10月29日から11月11日まで晴海で開催の第18回モーターショーでは大型ディーゼル4社が参加していないこともあって、まことに閑散としたものであった。たまたま筆者が取材した日は雨であったから、野外会場では無理なかったかもしれないが屋内会場はそれなりに盛況であったのに訪れる人もなく、担当員はいたずらに無聊(ぶりょう)をかこっており、各出品社の担当員に直接聞いた話では、出品の効果はないし、意義はないということであった。

 展示会の意義は何よりも、関係者にその実物を見せて説明ができることである。これは他の宣伝方法に比較して、最も特長的なことで、特装車のように、複雑なメカニズムを持つ機種にとっては尚更である。この点、モーターショーはたしかに実物は展示しているのだが、その関係者にそのメカニズムを十分説明できているかというと首をかしげざるを得ない。まず、一般のモーターショー来場者は特装車に殆ど無縁の人達である。たまたま、特装車の会場へ来ても、珍しい車があるなあといった程度の関心しか示さない。いきおい、一般の来場者以外に、ダイレクトにお客を呼ぶという手段をとったりするのだが、あの会場構成が、本当の関係者の期待に応えるものになっているかどうか。やはり、特装車はその実演をしなければ効果は半減すると思うのだが。また、モーターショーは厖大な人員を収容するため、会期も14日間も取っているが、これも長過ぎる。そのために、いきおい経費もかさむ。貴重な人員や、車輛が、いたずらに空費されている。効果さえあれば1日でもよいのである。僅かな経費の支出でさえ、満足にできないようなメーカーが100万から200万円もの経費の支出に何の抵抗も感じないというのは何としてもおかしい。同業者間の面子(メンツ)を重んじるからであろうが、いまの特装業界はそんな悠長な環境に置かれているとも思えない。

 結論からいうと、これまでのいきさつはいきさつとして、モーターショーへの参加は一大英断をもって廃止すべきである。その後のことは後のこととして、ともかく、一害を除くことである。害というのは言い過ぎかもしれないが、支出に対してのメリットが出ないのは企業に対して害である筈である。一利つまり、新しい事業なり、試みはゆっくり考えればいい。無理に興す必要はさらさらないのである。

 無理をすることはないのだが、筆者は本誌の50号記念事業として本号にも報道したとおり、フェリーによる輸送システム見学試乗会をディーゼル4社、トレーラ主要メーカーの協賛を得て、ひとつの試みとして実行してみたのである。この成果については、さまざまの評価はあろうが、これまでの展示会にはない要素は含まれていたと思う。細かいことは記事の方を見て頂きたいのだが、(1)動きがあり、(2)関係者のみが集まった、(3)経費が安い、(4)会期が一日である、(5)船と車という異種部門の結合が比較的にスムーズに行われた、などはモーターショーには見られない点であったと思う。

 一般乗用車とは違って、特装車はその機種ごとにユーザーがすべて異なっており、それらのユーザーの要望を満たすような展示会場構成は到底不可能である。やはり機種ごとの専門展のほうに移らざるを得ないのではないか。また、会場も一般の展示会場ではなく、それぞれの機種にふさわしい場所で、実際に使用する状態を見て貰うのが望ましい。バラ積み、ゴミ、建設車輌など、実演、展示場には不足しないと思う。

 72年はまことに厳しい情勢を覚悟しなければならない。こういう時こそ「一利を興すは一害を除くに如かず」という格言をしみじみ味わって貰いたいと思う。オリンピックのように国際親善のため、参加することに意義があるなどと言ってはおれない。その効果をきびしく見つめて善処を促したい。


みなさんさようなら

2007(H19).01.01 おはようコラム
謹賀新年 今年も宜しくお願い申し上げます
干支を暗誦しよう

新年明けましてお芽出とうございます。旧年中は日新出版及び私に対して格別のご厚誼を賜り有り難くお礼申し上げます。
 日新出版の今年(2007)は、「東京トラックショー」が「東京モーターショー」と同時期開催になるという画期的な事態を迎える。23年前、今は消えた晴海の国際貿易センターの一郭の屋外で、僅かな出品車両だけで開催した第1回から考えると、今昔の感に堪えないものがある。社員一同心を引き締めて、完璧な「東京トラックショー」の開催を目指す覚悟を固めている。
 ここで、…お正月のお屠蘇気分のあるうちに少し勉強してみよう。何かの参考になるはずである。
 干支の干は木に例えれば幹で、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)(キノエ・キノト・ヒノエ・ヒノト・ツチノエ・ツチノト・カノエ・カノト・ミズノエ・ミズノト)の十干から成り立っている。甲乙丙丁あたりまでは昔の通知簿にあったし、ご存知の方もあるだろう。キノトなどは木、火、土、金、水の五行つまり地球を構成する5つの要素で、それを兄(え)と弟(と)に分けて十干にしたものである。丙のヒノエはこれに十二支の午(ウマ)をくっつけてヒノエウマという迷信じみた言い伝えを生んだのはご承知の通り。これに天体の月と日を加えたのが一週間の曜日で、五行は現在の我々の生活の中に生きているのを確信してほしい。
 支は枝で、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥(し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい)の12から成り立って、午の「ご」は午前午後で今も生きている。一方に動物に当てて(ネ・ウシ・トラ・ウ・タツ・ミ・ウマ・ヒツジ・サル・トリ・イヌ・イ)と読むのがあって、この方が一般的である。
…十干十二支だけはお正月休みに暗誦して頂きたい。

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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