みなさんさようなら

2014.05.30 13:11|「呉越会」
ミキサ車 ホール社長
1978年当時のアメリカのミキサ車とC.C.B.社のホール社長  photo「特装車とトレーラ 8月号」より
「チャレンジクック社のJ.E.ホール社長(写真)が提携先の極東開発工業と打合せのため来日した。たまたま筆者が同社を訪問した6月28日午後、宮原勲社長に通訳して頂いてホール社長と会った。
視察団の来られた時はNY出張中で失礼しました、というホール社長は、活力に溢れた長身の美丈夫であった。(増田)」

1978年(S53) 8月号 通巻127号
第5回 「呉越会セミナー 国際トラッキングショー 」③

PARTⅠ 見学/視察 5/9 ロサンゼルス チャレンジクックブラザーズ社

ミキサ車に新工夫
関連技術を活かした多角化


バスで極東開発竹中部長から概況を聞く
 5月9日、最初の視察訪問である。ロサンゼルスのハイウエイシステムは世界でも有名で、すべての社会活動、住民生活は車の上に成り立っている。その点ではアメリカの中でも最もアメリカらしい都市といえる。
 通勤のラッシュ時は過ぎたらしく、トレーラやトラックが目立つが、我々のバスはかなりのスピードでそれらを追い抜いてゆく。
 時と場所選ばず、セミナーを開始するのは「呉越会」のお家芸で、この場合もフルスピードのバスの中で、これから訪問するチャレンジクックブラザーズ社と提携関係にある極東開発工業の横浜工場技術部長の竹中利夫氏から同社との提携のいきさつ、現状などについて話を聞く。
 「極東がC.C.B社と提携したのは12年前の1966年、昭和41年で、提携した機種はコンクリートポンプ車。このスクイーズクリートタイプは他に例を見ないユニークなタイプとして、好評で実績も上げたが、その後同社でもピストンタイプを製造し、我々もピストンを開発した。

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みなさんさようなら

2014.05.26 07:57|「呉越会」
国際トラッキングショーマック
ブルドッグをトレードマークにしているトラクタで他のメーカーより一風変わったところがある。ブルドッグのぬいぐるみをプレゼントしていたためお客が列を作っていた


1978年(S53) 8月号 通巻127号
第5回 「呉越会セミナー 国際トラッキングショー 」②

PARTⅠ 見学/視察 5/10-12 サンフランシスコ

極限までのスペース利用 トラクタが圧巻
 翌11日、昼食をサンフランシスコヒルトンホテルの日本料理店“菊”で天ぷら定食を取り、見学に向かった。団員をABC3班に分けそれぞれ通訳をつけて見学をした。
 会場は、市公会堂の1階と、その前の広場の地下のブルックスホールBROOKS HALL全体を使い、控室や通路など、使用できるスペースはすべて利用し尽くしている。シェラード氏のいうサンフランシスコでは会場の都合で、規模をこれ以上大きく出来ないというのは誇張でも何でもない。ともかく盛況で、これほどスペースを利用し尽くした展示会を日本ではお目にかかったことがない。
 公会堂、ブルックスホールとも中央部はトラック、トレーラメーカーなどの大手が入っており、その周囲を関連機器メーカーの小間が取り囲む形になっている。
 デンと据えられた巨大なトラクタ郡はさすが量感があり、会場を圧倒している。公会堂1階中央部ホールには、フレートライナー、ピータービルト、ケンワース、GMCのトラクタがそれぞれ意匠を凝らして並んでいる。

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みなさんさようなら

2014.05.19 04:52|「呉越会」
日新出版 呉越会 S53年     増田周作率いる視察団、 トラッキングショー運営委員長ギャリーシェラード氏から歓迎の挨拶を受ける (1978年5月10日)

1978年(S53) 8月号 通巻127号
第5回 「呉越会セミナー」①

PARTⅠ 見学/視察 5/10-12 サンフランシスコ

個性的なトラクタと省エネルギーパーツ
運営方法にも参考すべき点が…


日米講和条約締結の地 官庁街の会場
 国際トラッキングショー THE INTERNATIONAL TRUCKING SHOWの見学は今回の米国自動車産業視察団のハイライトであった。
 5月10日、ロサンゼルスから空路サンフランシスコ入りをした一行はバスで市内に入り、サンフランシスコヒルトンホテルの最上階、金門橋から太平洋、市内の高層ビルなどが一望できるヘンリーズルームで、各人好きなものを自由に取って食べるビュッフェ方式の中食を取った後、トラックショーの会場に向かう。

 会場のシビックオーディトリウム、市公会堂は、サンフランシスコの目抜き通り、マーケットストリートを南西に少し行ったシビックセンター内にあり、写真などでお馴染みのワシントン国会議事堂をひとまわり小さくした市庁舎はじめ、関係諸官庁が集まっているところ。シビックオーディトリウムもクラシックな建物であるが、ホワイトハウスに象徴されるように、ともかくアメリカ人は白が好きで、この一体の建物も白色が多い。



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みなさんさようなら

2014.05.12 09:20|記念行事
日新出版「呉越会」セミナー、 第5回は初めて太平洋を渡る
今回からしばらく36年前の渡航、アメリカ視察の記事を連載します。

1978年(S53) 8月号 通巻127号
米国自動車産業特別号発行に当たって
他山の石 わが玉を磨くべし


 先月号でもお知らせしたとおり、本誌主催の米国自動車産業視察団は5月8日から27日まで、米国各地を精力的に視察して、多大の成果を収め無事帰国した。
 シャシ、車体メーカーを主体としたグループだったが、日通グループ、整備業者、それに本誌のような報道関係も加わった視察団は初めてのことで、単一構成の団体では見られない総合的な見地からアメリカを視察することが出来た。

 

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能登③ 何となく静かな海の写真を載せたくなりました。本文とは関係ありません。(2013年3月 能登)

1972年(S47)4月号
編集後記


 この編集後記もいつの間にか、筆者の生活後記とでもいうべきものになってしまって、本来の意味は失われてしまった感がある。しかし、普通のサラリーマンとは違って、自宅を主な仕事場とし、執筆をしている筆者にとっては、生活後記は即編集後記になってしまうのもやむを得ないことではあるし、読者の方も、型に入ったものより、この方が良いといわれるので、暫くは書きたいことを書いてゆくことにする。
 編集後記のない雑誌も多い。たとえ、あったとしても、ごくわずか、さしさわりのないことを書いてお茶を濁しているのがほとんど。傑作はやはり、文藝春秋の社中日記。垢抜けている。
 恒例によって一席。筆者の東京での住まいは、東京も北はずれ、荒川を越えればもう埼玉というところで、大家(おおや)の敷地内に建った二階家である。大家はさる自動車メーカーに勤務していて、筆者夫妻とほぼ同年輩で子供もそれぞれ3人。ただ筆者の方は、高三、高一、中一といった集中型であるのに対し、大家の方は、中三から小五、満三才位といささか分散型である。
 この大家のA氏を正月に訪ねて、いささか痛飲した。2時過ぎから7時過ぎまで、ジョニ黒をほとんど1本空にしてしまったのだが、その返礼に、2月20日の日曜日にお呼びした。今回は日本酒で、飲むほどに酔うほどに、連合赤軍から、自動車業界の今後、バーやキャバレーの遊び、週一か月二か、硬軟とりまぜた話を両夫婦で交わして、ご帰還になった。
 ワイフにもう何時だ、と聞いたら12時ですよ、という。5時前から始めたのだから、大体7時間位、デンと坐っていたことになる。一升近く飲んだろうといったら、何言ってんですか、一升瓶空にしてまだ5合位飲んだもんだから、翌日のこともあるんで止めたんですよ、と逆襲された。
 大体、7時間も飲んでいると、最初の方の酒は醒めてくる。中国でいう長夜の宴(または飲)は、こういう飲み方をいうので、これでは飲み潰れることはない。A氏の翌日を心配していたら、8時前、車を運転してご出勤。筆者も平常通り。
 筆者がバーやキャバレーの嫌いなのは、うまい酒と料理がなく、女どもに何の芸もなく、それで勘定が高いからである。
 女が坐っているだけでいいのなら、わが家には少々薹(とう)の立ちかけたワイフと、思春期に入りつつある娘が3人いる。ホステス4人に囲まれているようなもので、ワイフに僅かなアルコールをすすめながらグラスを傾けるのを楽しみとするのが最近の筆者である。お招(よ)ばれの時は夫婦で出かけるし、ご招待も夫婦でする。健全ムードの昨今である。

みなさんさようなら

2014.05.01 03:26|その他月刊誌記事
孔子祭    (孔子祭 中央は徳川恒孝氏 2014/4/27)
2014年の孔子祭、講経(こうけい)は里仁第四「徳は孤ならず 必ず隣あり」で、トラックショー実現の励みにした言葉のひとつです。数多の論語の言葉の中から「子曰、徳不孤、必有隣」を聖堂で耳にできたのは、懐かしく有難いことでした。(妙)

2003年(H15)6月号 社告
日本の教育を問い直す湯島聖堂孔子祭に
徳川宗家18代恒孝氏と増田が重要な役割を


 東京お茶の水にある湯島聖堂は、元禄3年に5代将軍綱吉によって創建され、江戸時代は幕府学問所であり、明治以降現在までは、日本の儒学の総本山として、常に道徳倫理の研究実践を目標に活躍して参りました。

 その最大の行事は、毎年4月に開催される孔子祭で、本年(2003年)は江戸開府400年の記念すべき節目に当たるところから、特別行事としてこれまでなかった新機軸が盛り込まれました。その第1は、徳川宗家18代当主恒孝(つねなり)氏の講演で、徳川当主による湯島での講義は5代綱吉以来、実に三百十余年ぶりの画期的なことでありました。
 さらに、孔子祭のハイライトともいうべき講経(こうけい)つまり論語の講義の大役を、初めて専門学者以外の民間人が努めることになり、私が選ばれました。

 徳川氏は、昨年まで日本郵船に勤務して、米国日本郵船会長などを経て副社長の要職にあり、国際会議三百数十回に及んだという国際ビジネスマンです。私はご存じの通りの、トラック専門誌を出版、トラックショーを主催する者ですが、職業的学者でないことは両者に共通しています。
 なぜ、儒学の殿堂である湯島聖堂での最も重要な式典の孔子祭で、初めて学者以外のビジネスマンの二人だけで、講義講演をすることになったのか、その意味するところは極めて大きいものがあります。

 もともと、湯島聖堂幕府学問所は、学者を養成する機関ではなくて、幕府や各藩で重要な役柄に就くべき人材を養成するためのもので、単なる知識を詰め込む現代の学校とは、その目的が根本的に違っていました。そこでは、「修己治人」つまり、己を磨いて行政に活かすことが要求されたのです。決して学問のための学問ではありませんでした。
 しかし、現代の学校教育は詰め込み式の知識偏重に傾いた後、その反動として、ゆとり教育が叫ばれると、学力低下を招くというジレンマに陥っています。やはり、江戸時代の全人的教育が、今こそ見直さなければならない時期に到達していると言えましょう。

 私は、現代人には珍しく、幼少時代から儒学的環境にあって、そのため社会生活に馴染めないこともありました。しかし、40歳代に入って、事業を一人で興し、自己の考えで運営できるようになってからは、私の思想を貫いて参りました。トラックショーにしても、「徳は弧ならず、必ず隣あり」の信念で、孤立無援のように見られる中を、志を理解する人たちの応援を得て実現に漕ぎ着けたものです。今年で第31回を迎える呉越会セミナーも、教育活動の一環であり、発信以来3年半経過して、アクセス数が依然として伸びつつあるホームページ「お早うコラム」も、利益を追求するものではありません。

 「利」よりも「義」を大切にする私の経営方針でしたが、創立以来33年間、日新出版としては欠損を計上することなく、現在に至っています。この姿勢を、湯島聖堂もよく理解して、民間初めての講経の大役を私に委嘱したものであると信じています。
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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