みなさんさようなら

2006年11月25日
「俳聖」芭蕉の古典咀嚼力の凄さ

 「奥の細道」(「おくのほそ道」など出版物によって異同がある)は、日本の紀行文の最高傑作であり、俳句の宝庫である。
「月日は百代(はくたい)の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。」の冒頭部分は、教科書にも使われて、暗誦している人も多い。
 論語の「子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや…」と共に、日本人にもっとも好まれた和漢の古典の冒頭部分だろう。
 俳句の世界では、芭蕉以来現在まで、幾多の俳人宗匠が出現しているが、人々の記憶にある俳句といえば、「古池や蛙とびこむ水の音」「夏草や兵どもが夢の跡」「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」「五月雨を集めて早し最上川」「荒海や佐渡に横たふ天の河」など、みな芭蕉の句で、「古池や…」以外の句はべて「奥の細道」に出ている。
 芭蕉以外では「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規の句くらいが、人口に膾炙した俳句であることを思うと、芭蕉が「俳聖」と呼ばれるのも当然で、芭蕉は空前絶後の存在である。「書聖」といえば王羲之で、書を習う者は王羲之に始まって王羲之に終わるとされ、私も羲之の書を数十年来臨書して、現在も毎朝書いている。
 「詩聖」は杜甫、こちらは「詩仙」の李白と李・杜と併称されて、後代の詩文に大きな影響を与え続けている。「奥の細道」冒頭部分の「月日は百代の過客にして…」は、李白の「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」(それ天地は万物の逆旅なり、光陰は百代の過客なり)を明らかに踏まえている。逆旅は宿屋の意味で、百代を「はくたい」と漢音で読むのは、原典の「古文真宝」が中国の古典であるためである。
「夏草や兵どもが夢の跡」の句は、明らかに杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草木深し」を、春を夏に置き換えて詠じている。「詩聖」「詩仙」に和文で堂々と挑戦しているところに「俳聖」芭蕉の凄さを感じる。
 「象潟(きさがた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」の句の前には「松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし」の文があって、古来解釈に様々の見解があるところである。西施は中国古代の有名な美人、詳細は省くが中国の大詩人蘇東坡の詩文を踏まえている。このように、「奥の細道」には、至るところに古典の引用ないし芭蕉の工夫が散りばめられて、その注釈書もまた数多い。芭蕉の咀嚼力の見事さには驚くばかりである。
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みなさんさようなら

 11月21日は祥月命日、父が亡くなってからまる2年が経ちました。13日10時少し前、3回忌法要のため延光寺に向かう車の中で通り雨に遭い、すぐに上がったあとには虹が現れました。
43年間の活動に共鳴、協力してくださった多くの方々に、改めて心より厚く御礼申し上げます。(妙)


2004年11月24日
西日本トラックショー盛大に開催、地元市長など出席して開場式

 11月23日午前9時過ぎ、西日本トラックショーが、晴天に恵まれて西日本展示場で華やかに開場式を迎えた。主催者として立った私は、トラックショーの簡単な歴史に触れて、従来の東京モーターショーが、出品者と来場者との間にまったく人と人との交流が見られなかった。乗用車の場合は、一般不特定の市民が対象だから、それで良いとして、商用車では心の交流がなければならない。トラックは、物流の担い手であるが、顧客と事業者、事業者とトラック関係者との間に心の流れ、心流が必要である。少年時代から論語を学んで来た私は、論語の説く「義」と「徳」をトラックショーの場で実現したいと念願して、万難を排してトラックショーを昭和59年に開催した。トラックショーは、回を重ねるごとに盛大になり、第4回からは、全日本トラック協会のご後援を頂くことになり、現在にいたっている。東京モーターショー商用車は、本年開催の第3回で中止となったが、中国・韓国・インドネシアなどでもトラックショー開催への動きがあり、アジアのトラックショーの母胎としてのトラックショーの使命は、ますます重要になる。ご協力に対して厚くお礼申し上げる、と挨拶した。
 その後、末吉興一北九州市長から、物流に重点を置いている北九州市にとって、西日本トラックショーの開催はまことに有難い企画であること、二又大栄全日本トラック協会副会長から、誠に意義のある催しであると、祝辞が述べられた。出品者を代表して、九州日野自動車守直人社長から新製品の展示の最高の場を与えられたことを感謝すると挨拶され、テープカットに移った。

2004年11月25日
西日本トラックショー成功の陰の恩人 安岡先生同門の高田氏

 西日本トラックショー成立の陰の恩人は高田厚一郎氏である。安岡正篤先生を尊敬する同門の相弟子で、会場の西日本総合展示場の担当者から、北九州市にトラックショーを誘致したいという申し出があった時、展示場のパンフレットに高田厚一郎理事長の名前を見いだして、不思議なご縁に驚いた。北九州市に出向いて、高田氏と会い安岡先生の思い出話に花が咲いたのだが、高田氏始め担当の皆さんの熱意に動かされた私は、何としてもショーを成功させねばと決心して、私なりの努力を傾注した。
 ところが、その後間もなく、高田氏の経営する名門企業である㈱高田工業所が経営不振に見舞われて、高田氏は社長を退任、北九州市商工会議所会頭などの公職を全て辞任した。
 高田工業所は製鉄関連の仕事をしており、最近の鉄鋼の大活況で、高田氏の会社もメキメキ業績を回復、厚い人徳の持ち主である高田氏の公的な活躍を望む声が起こり、地元のために奔走することになった。西日本トラックショーにはぜひお越し頂きたいと、親書をお出ししたところ、開場式にお見えになり、参加者の席の一番前に着席して、じっと私の挨拶を聞いておられた。高田氏との信義を守ることが出来たショーの成立が嬉しい。



みなさんさようなら

(毎週/月曜・木曜 更新)

2003年12月6日
「朋遠方より来たる有り また楽しからずや」金鶏神社の社稷祭

 「歴代総理の師」と尊敬された安岡正篤先生が、旧姫路藩主家当主酒井忠正伯爵の邸宅の一郭に「有為の人材を育成」することを目的に「金鶏学院」を創立したのが昭和2年(1927)、先生30歳の時であった。酒井伯爵は戦後、日本相撲協会会長、横綱審議会委員長などを勤めて「相撲の殿様」として知られる人物である。不世出の横綱双葉山の連勝が79戦でストップした時、世界の旅に出た船中の安岡先生に対して「ワレイマダモッケイタリエズ」の電報を、双葉山が発信したことは有名な話。モッケイは木で作った鶏、つまり相手を全く意識しない境地に達することができずに敗れた、という意味の電報だった。

 一方、鎌倉時代の武将畠山重忠の館跡に先生や酒井伯が「日本農士学校」を設立したのが昭和6年、この埼玉県武蔵嵐山の地に現在、財団法人「郷学研修所」、安岡記念館と金鶏神社などがある。金鶏学院所在の東京小石川の酒井邸内の八幡太郎義家ゆかりの地にあった「金鶏祠」を、日本農士学校の中に移して、後に金鶏神社となった。主神は天照皇大神、産土神は源義家と畠山重忠、学問神は孔子・孟子・王陽明・藤原惺窩(せいか・徳川家康師事の儒学者)・中江藤樹・熊沢蕃山・安岡正篤他、金鶏学院以来の道縁者で、今年も10数名の物故合祠者があった。
 大東亜戦争敗戦後、幾多の曲折を経て、安岡先生を師と仰ぐ全国師友協会が東京に、関西師友協会が大阪に生まれた。東京の青年部代表幹事が浜田清氏、関西の青年部長が私だったという縁を頼って、東京もトラックも全く知らないままに、浜田氏の経営する会社の机を一つ借りて取材を開始したのが、日新出版のルーツである。爾来、浜田氏は無報酬の日新出版監査役として現在に至っている。

 11月23日、勤労感謝の日に行われた金鶏神社の社稷祭(しゃしょくさい)には、旧日本農士学校、金鶏学院、師友協会出身のいわば安岡門下の道縁に連なる人たちが多数集まった。まさに論語冒頭の「学びて時にこれを習って来た朋友」が、東京の池袋からでも1時間半を要する武蔵嵐山の金鶏神社の社稷祭、秋祭りに全国各地から集まったのである。
 神事には、私もご指名を受けて玉串を捧呈したが、終了後に秋の実りに感謝するお供え物のお下がり、まだ土の着いていそうなサツマイモなどが入っているのを頂いた。

 講堂での、吉田宏成安岡記念館館長の講演を拝聴後、庭園で恒例の祝宴。といっても地域婦人奉仕の豚汁、握り飯、漬け物の簡素なものだが、神事だけにお神酒はふんだんにあり、この日は雨に遭ったことがないという陽気に恵まれて大いに歓を尽くしたのである。

みなさんさようなら

2003年11月29日
「書物を読むだけが学問ではありません」孔子と子路の問答

 孔子の弟子の子路は、師より若いこと9歳、他の弟子のようにひたすら師の教えをかしこまって聞くというだけでなく、時には遠慮なくズケズケと直言するところがあって、それが論語を躍動的に一層面白くしている。さすがの孔子も、ギャフンとやりこめられて、返答に困っている様子が窺えるのが次の問答である。

 孔子より30歳(一説に40歳)若い子羔(しこう)という弟子がいた。身長は低く醜男で、孔子が「柴(さい)や愚」と論語にも言っているくらいだから、見映えも良くないし、愚直なところがあったのだろう(柴とは子羔の名である)。兄弟子の子路は、官僚として高官の地位にいたので、子羔を費という町の代官に抜擢した。
 それを聞いた孔子が子路を咎めて言った。「『夫(か)の人の子を賊(そこな)わん。』子路曰く、『民人あり、社稷(しゃしょく)あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然(しか)る後に学と為さん。』子曰く『この故に夫の佞者(ねいじゃ)を悪(にく)む。』」
 佞者とは口先の上手い人。【女】が文字の中にあるのは、女の言葉は優しいところがあって、つい真実から離れる場合がある。奸佞の人といえば、油断のならない人物を指す。
 孔子が、「子路よ、お前はあの若い男を駄目にしてしまうだろう」と言ったのに対して子路は猛然と反論する。「費には、良い政治を待っている民衆がいます。土地の神様(社)もありますし、五穀を司る神様(稷)もあります。政治を行うことも、社稷を祀ることも学問の成果を活かすことなのです。どうして、書物を読むだけが学問と言えるのですか。」費はなかなか治めにくい土地であると聞いていた孔子は、風采押し出しも貧弱で、愚直な子羔が政治に当たることになれば傷つくことを恐れた。子路は、やらせてみて失敗なら、それも良い薬になるのではないか、何事も実践だと考えたのであろう。

 孔子が、子羔の受けるダメージが大きいのではないかと恐れたのも当然だし、元もと実践をモットーにする子路から見れば、実地を踏ませることで、学問にも磨きがかかるだろうとしたもので、弟子を思う心情は同じである。その結果がどうなったか、論語は何も伝えていない。さて私ならどうするか、実地体験を踏ませる方を選ぶだろう。
 社稷は現在では死語のようになっているが、かつては国家の意味にも使われて「社稷の臣」といえば、国家にとって重要な人物を指した。勤労感謝の日は、かつて天皇がその年の新米をお召し上がりになった新嘗祭が変わったもの。次週は、ある社稷祭をお伝えする。


みなさんさようなら

2011年10月26日
明日から東京トラックショー。モーターショーとの違い

 「東京トラックショー」は「東京モーターショー」のトラック版だと思いこんでいる人は意外に多い。車のイベントであるという共通点だけを除き、性格は全然違うのである。
 東京モーターショーがあくまでも自動車メーカーが主導権をもって、日本でも最強の業界団体である(社)日本自動車工業会(自工会)が主催してきたのに較べて、東京トラックショーの方は、極小出版社に過ぎない日新出版の主催である。これだけ主催者の規模が違う例はない。
 その大きな原因は日本の自動車メーカーの中で、乗用車メーカーとトラックメーカーの地位の極端な格差であり、欧米のようにトラックメーカー主体のショー開催は不可能に近く、車体や機器部品装置などの周辺機器を動員しなければショーは成立しないからである。
 それらの周辺機器を網羅する業界団体はないので、メーカーの業界団体には一切関係なく、自由に取材して交流のできる日新出版が、まとめ役としては最適であった。
 それでも、普通の自動車業界専門誌なら業界団体の自動車工業会に恐れをなして、トラックショーを開催するなどとても言い出せないところだが、日新出版主が「いごっそう(土佐人気質)」の持ち主だから、辛うじて東京トラックショーは成立して、今に継続した。

みなさんさようなら

2007年09月29日
業界誌記者こそジャーナリストとして一本立ちできる

 27日午後、丸の内の日本工業倶楽部で、専門誌記者を集めて、開催要項の固まった「2007東京トラックショー」の発表会を開催した。
 一応の説明を終えた後、記者に次のような話を付け加えた。同業者の社長と言うより、多少論語的な、人の生き方に話の重点を置いたのは、先輩としての老婆心からである。

 今年は同時期開催になった「東京トラックショー」と「東京モーターショー」は、商用車と乗用車の違いはあっても、同じ自動車の展示会である。
 しかし2つのショーは、わが国で開催される多くの展示会の中でも、その内容は天と地ほどの違いがある、と言い切ることができる。
 主催者はトラックショーが小さな専門誌出版社、後援団体としては全日本トラック協会だけ。モーターショーはわが国最大の工業団体である日本自動車工業会(自工会)で、これに車体や部品の工業会が加わり、後援協賛の官庁団体は数え切れないほどである。
 出展者で見ると、トラックショーの主体はかつてボデー屋と蔑称されてトラックメーカーや販売会社の下請け、隷属の地位に甘んじていた車体メーカーである。モーターショーはトヨタ、日産、ホンダなど日本を代表する自動車や部品の巨大企業が出展する。
 来場者で見ると、トラック事業者が大多数を占めるが、その90%以上は規模が小さく、大手業者や荷主の過酷な要求を引き受けざるを得ない。モーターショーは、自動車マニアなどの若者が殺到するが、彼らにはトラック関係者の苦悩は理解の外である。
 トラックショーにマスコミは冷淡だから、来場者の誘致に骨を折るが、モーターショーは放っておいてもテレビ、新聞、雑誌の取材が殺到して、大々的にPRしてくれる。
 私は40歳代で業界誌の世界に這入った。そこで先ず感じたのは業界誌、車体メーカー、中小零細トラック事業者の自主性のなさ、意識の低さであった。
 業界誌の記者にも、マスコミに対する卑屈感を持っている人が多い。朝日新聞の記者なら大手を振って何処にも行けるし、人に会うこともできる。それだけ尊大になり、人の心が分からなくなる。しかし、業界誌記者はそうではない。取材に行っても断られたり、また広告かと毛嫌いされることが多い。そこで、劣等感を抱いたり、卑屈になったりする。
 そこを踏みとどまって、学問したり修養すると、マスコミ人よりずっと鍛えられて優れたジャーナリストに成長する。マスコミ出身のフリージャーナリストは大成しないが、業界誌出身で活躍しているフリージャーナリストや評論家は、マスコミ出よりずっと多いのである。

みなさんさようなら

2005TS 屋外JPG     2005TS 屋外展示場

2005年10月29日(土)
トップの理解が必要なこと、担当レベルで済むことの分別

 論語には、往々誤って一般的に解釈されている箇所がある。もっとも典型的なのは「子曰く、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。」の章である。「民衆はただ信頼して由らせるべきで、知らせてはいけない。」つまり政治的な向きについては、民衆をお上に従わせることが大切で知らせてはいけない、と解釈する。だから民主主義に反する封建的な独裁主義を説く論語はいけない、と短絡的に取る。先だっての抜き打ちの衆議院選挙で、自民党が圧勝したのは、郵政民営化の詳しいことは分からないが小泉首相なら間違った方向に日本を持って行くはずはないだろう、という信頼感を抱いていたからで、民主党の惨敗はその逆で、信頼感を得られなかった結果であった。

 「2005東京トラックショー」が盛況裡に閉幕して、筆者はそのお礼を兼ねて「2007東京トラックショー」の新たな展開の説明のために、主要各社のトップとお会いする計画を立てた。これはすでに実施中で、11月中旬までには終わる予定である。
 「2007東京トラックショー」は、「東京モーターショー」と同年同時期開催という、これまでに予想もしなかった新展開を余儀なくされることになった。各社には、ショーについての担当セクションもあり、ベテランの責任者がいる。しかし、今回の新展開は車体業界のあり方に関わる問題で、そうなると担当レベルの問題ではなく、トップの判断が重要になってくる。もちろん、11月11日開催の「2005東京トラックショー報告・2007東京トラックショー説明会」で担当者にはそのことを説明するのだが、その前に、トップの方々の了解がなければならないので、筆者が直接出向くのである。

 論語に「中人以上には以て上を語るべきなり。中人以下には以て上を語るべからざるなり。」の言葉がある。ここで言っているのは、天分学力が中以上の人は高尚な哲理道理を教えても良いが、中以下の人に説いてはいけない、ということである。中以下の人に、高尚なことを教えても、「猫に小判、烏に説法」で理解させることはできないし、かえって知ったかぶりにする危険性を伴いかねない。

 筆者は担当レベルの人が中以下だと言っているのではない。身分上、その考えが会社の経営、あるいは業界のあり方にまで責任を負う立場にないことを言っているのである。
 「東京トラックショー」が、従来通りの方針で実施されるのであれば、相手先も日新出版でも担当者レベルで済むことで、筆者が出向く必要はまったくないのである。新展開の場合は先ずトップに理解して貰わなければならない。筆者が説明するのは礼の問題でもある。

2005TS 会場      2005TS 屋内会場

みなさんさようなら

2005年10月22日(土)
朋(とも)遠方より来る、学びて時にこれを習う 日中交流会での論語

 「東京トラックショー」最終日15日、中国から来日した車体業界視察団約30名に、日本側の車体メーカー代表とを合わせた交流会を、会場内で開催した。
 冒頭、挨拶に立つ前に筆者は、論語の次の言葉を筆写したコピーを全員に配布した。
 「學而時習之亦不説乎。有朋自遠方來亦不樂乎。」言うまでもなく、論語の最初に出てくる孔子の言葉で、日本と中国では使用する漢字が異なっているため、旧漢字である。
 「日中は、漢字という世界でもっとも優れた文字を共用するが、それぞれで字体が多少異なり、読みはまったく別になっている。しかし、ご覧になれば論語の言葉であることはすぐお分かりのはずである。」として、むしろ日本人向けに読み下した。
「学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。」通訳が読む時間は僅かの数秒、漢字の国の人には漢字で示すのが一番早い。
 「『朋』は、普通の『友』でも良いが、志を同じくする同志、皆さんのようにトラック車体という同じジャンルの仕事をしている同業者という意味に取っても良い。中国からこうして大勢でお見えになったのは楽しいことである。また、トラックショーを熱心に見学した後に、このように意見を交換してお互いに学ぶ機会を持ったのは、喜ばしいことである。中国の皆さんは、これから日本の幾つかの車体メーカーを視察することになっているが、帰国後、お国のトラック車体の技術向上に貢献できるよう、しっかり学んで頂きたい。」と述べた。
 また、中国側全員に贈呈したトラックショー記念品の『従心日録Ⅳ』について、従心とはやはり論語に出る「七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」から取ったもので、70になったら言動を自由にしても、ルールから外れないようにという意味である。論語から15歳の志学、30歳の而立、40歳の不惑、50歳の知命、60歳の耳順の別称が出ており、私は70歳代なので、それを書名にした。
 さらに、その本の扉に「不器」と書いているが、これも論語に出ており、良くできた人間は一定の容器のようなものでなく、型に入らない大きな器量の持ち主でなければならないという意味である、と付け加えた。

 中国の人たちが、どれだけ論語を知っているか分からないが、皆さん熱心に聞いていて、中にはコピーに署名をしてくれと頼むのもあり、会が終了して記念撮影の段階になって、個別にカメラに収まって欲しいという依頼が殺到、一躍人気者になったところをみると、かなりの人は話の内容を理解していたと思われる。論語ばかりの挨拶は成功したようだ。
プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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