みなさんさようなら

2015.02.23 06:00|その他月刊誌記事
1977(S52)年9月号
街道シリーズ
東海道その(8)
箱根八里①

箱根道のうつりかわり
金太郎がいた足柄道


 箱根八里は馬でも越すが
   越すに越されぬ 大井川

 よく知られた箱根馬子唄である。箱根八里とは、日本橋から算えて9番目の小田原宿から箱根宿までの上り4里8丁、さらに三島宿までの下り3里28丁、あわせて丁度8里(約32キロ)の東海道第1の難所をいう。箱根山は富士火山帯に属する典型的な三重式火山で、最高点は標高1438mの神山で、その他たくさんの火口丘や外輪山が聳え、その中に芦ノ湖があるという複雑な地形で、関東圏と西部を隔てる大きな壁になっている。現在でも高校野球などで関東勢が優勝すると、優勝旗が箱根山を越えた、というような形容語を使う。

 私の習った昔の教科書では、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国を征伐したとき、いまの三浦半島から対岸の千葉県へ舟を進めていく途中で海が大荒れとなった。妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)は「女が乗っているので海神がお怒りになったのでしょう。お怒りをしずめにまいります」とザンブと荒海へ飛び込んだところ海は穏やかになった。

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みなさんさようなら

2015.02.12 06:00|その他月刊誌記事
1977(S52)年8月号
街道シリーズ
東海道その(7)
大磯から小田原まで①

―大磯―
惚れて通った化粧坂(けわいざか)
 私は自他ともに許す音痴である。音程を外さずに歌える唄はひとつもない。どうしても歌わねばならなくなったときは郷里土佐の「よさこい節」をやる。民謡はきまりきった音符はなくて、却ってその土地の人が方言や地方なまりで歌う方が実感の出るものである。
 その私が長唄や三味線を習ったことがあると言うと、読者は驚かれるであろうが、これは事実である。大学生のある時期、歌舞伎に熱を上げていたが、たまたま同窓生の姉さんが長唄の名取りであり、稽古に1年ばかり通ったことがある。しかし、生来の音痴はどうしようもなくお師匠さんも弟子も互いにあきれ果てて、中止してしまった。
 この長唄のおさらいの初めにあげたのが「五郎」である。
 “さるほどに 蘇我の五郎時致(ときむね)は”出だしは武張った声だが、一転して艶っぽくなって、“濡れて、くるわの 化粧坂(けわいざか)名うてと聞きし 少将の…”に続く。
 その化粧坂を東海道の取材で見つけ出し、歩くことになろうとは全く思いもかけなかった。



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みなさんさようなら

於久田幸雄氏 が「トラックショー」創立者になりすまし!!

於久田氏がトラックショー事務局長として権限を振るっていたのは2007年度まで。
2009年度は実権なく、2011年度は全く参画していない。

「東京トラックショー(1984年立ち上げ)」は(株)日新出版主催の展示会。創立者は増田周作。
◎ MPI会員で(株)MICEジャパンアドバイザーの於久田氏は、自らが1984年に晴海会場でアジア初のトラックの展示会「東京トラックショー」を立ち上げた、 とセミナー講師として喋っていますが、全く事実に反していて、強く抗議します。
◎ また、“晴海から東京ビッグサイトへ会場を移し、大規模展示会に成長させた”などと自己紹介していますが、晴海会場は閉鎖されてビッグサイトが開場したのだから当然の成り行きであります。 

於久田氏にパラボックス(株)を譲りました
パラボックスは平成元年に増田周作が作った日新出版の子会社です(社長は増田)。創立以来43年間、二人三脚で経営してきた現社長(代表取締役・増田孝子)は、於久田氏の仲人も務めましたし、お問い合わせがあれば、本人が採用後の彼の人物、働きぶりについて正確にご説明致します。

「日新出版」も「東京トラックショー」も増田周作が立ち上げました。
今回は、かなり長いのですが『論語之友』H10年4月号に掲載された講義の一部をご紹介します。増田社長の生き方の片鱗がお分かりいただけると思いますので、なにとぞ最後までおつき合い下さい。(妙)

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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