みなさん さようなら

2012年(H24) 「NewTRUCK」8月号

日新企画の正義を問う

支離滅裂の増田追い落とし理由
論語の師匠の傍にいながら論語を学ばなかった悲劇

現職官僚まで動員の退陣要求
 この半年余り、身辺には実に様々の事が起こり、消えてゆきました。中には、どうしても理解が困難なものも混じっている。
 その顕著な例が、経産省の敏腕中堅官僚 I 課長補佐(※注)の動きで、昨年末近くにきつい口調で退陣を要求されました。それも、差し迫った年内にという命令口調です。
   ※注 I 課長補佐…伊藤慎介氏 (妙)

 少し前、秋林路専務(以下、本名横路美亀雄の横路と呼びます)から、「私の気持ちはIさんから聞いてください」と言われていたので驚きはしなかったのですが、経産省の中堅官僚が零細企業出版社の人事に介入する権利があるのか、また官僚の口からそれを言わせる横路の思考方法に、大きな違和感を感じたものです。
 I課長補佐からは半月ほど前にも会いたい、と携帯に電話がありましたが、もちろん拒絶しました。

 今年、6月末に横路が出したNewTRUCK7月号には、「珍談奇聞」と題するいわば独立宣言文が掲載されています。

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みなさん さようなら

2012年(H 24) 「NewTRUCK」7月号 
社告 

 月刊誌「NewTRUCK」は、増田が43歳の時に「特装社とトレーラ」の誌名で創刊して、今年で43年目を迎えました。
 一般月刊誌、専門誌、業界紙を通じて、40年以上の命脈を保っている例は少なく、まして創刊者が健在で執筆活動を継続中である、という日新出版のような例は他にないと思われます。

 増田色の強い月刊誌のプラス面が出たのが「東京トラックショー」で、マイナス面が出たのが、貧乏暮らしが長く続いて、今もせっせと記事を書き続けていかなければならない、後継者育成が困難である、などが挙げられます。
 このマイナス面について、増田が気付かなかった、あるいは後継者育成を図らなかった、といえば決してそうではありません。
 20数年前に日新企画を分離して、横路美亀雄を責任者に任命したのが一例です。

 すべてに秀でた人間というのはあり得ません。技術、営業、管理、人事など、企業はそれぞれの才能を最大に発揮できる部署に配置して、それぞれの総合力で発展してゆきます。 それらの、一芸一能に秀でた人も、その地位が上がってゆくにつれて○○畑という限られた範囲の人間から脱皮して、より高い見地から物事が見られるようになり、社長ともなれば、全人格的存在になる、これが理想です。

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みなさん さようなら

2004年(H16)7月17日
「やる気」のない者に対する教育の限界 
橋本左内の墓に詣でて

 永平寺参籠を済ませ、福井市に出て小松空港に向かう連絡バスを待つ時間が30分ほどある。たしか、橋本左内の墓がある左内公園が近くにあったはずだと想い出して、タクシーを雇って行った。堂々と刀を提げた左内の銅像の後ろに左内の号である「景岳先生墓」ほか橋本家一族の墓がある。橋本左内といっても、知る人は少なくなったが、福井藩医の家に生まれて、大坂の緒方洪庵の適塾で医学洋学を学び、藩主松平春嶽の腹心として藩経済再建などに活躍、西郷隆盛などと交わり、将軍継嗣問題では徳川慶喜擁立に動き、井伊直弼による、安政の大獄の弾圧事件で吉田松陰などと共に25歳の若さで刑死した。吉田松陰が松下村塾で幾多の人材を養成、その門弟が維新から明治期に大活躍して、師を大いに顕彰したのに比べると、左内は藩主の黒子的な役割を果たしていたため、松陰ほど有名になり得なかった。しかし、大変な見識の持ち主であり、福井の人たちは今も左内を尊敬しており、タクシーの運転手も誇らしげに左内の偉大さを語っていた。

 左内はまだ10歳代の時に『啓発録』を書いている。「稚心を去れ」つまり甘えの心を捨てて勉学修養せよ、というような自戒の書物である。現在はどうか知らないが、大阪に啓発尋常小学校があって、私はごく短い期間だが、在学したことがある。

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みなさん さようなら

2005年07月11日
運不運の明暗を画然と分けた
日産ゴーン社長 & 三菱ふそうポート前社長

 経営者には運不運が付き物で、日産自動車のカルロス・ゴーン社長と前三菱ふそうトラック・バスのビルフリート・ポート前社長は、同じ自動車メーカーの外人社長として明暗を画然と分けている。ゴーン社長については今更言うまでもないことだが、不振の極にあった日産再生の切り札として全権を与えられ、思うままに大鉈を振るうことができて、見事な業績を挙げた。一方、三菱の自動車は乗用車部門もトラック部門も、リコール問題と欠陥車問題で官庁とマスコミの袋叩きにあって、ポート前社長は頭の下げっぱなしだった。
 40歳を出たばかりのポート前社長は、株主のダイムラーグループが三菱ふそうに送り込んだ新進気鋭のエリートビジネスマンだったはずである。ところが、その手腕を全く発揮するチャンスに恵まれずに日本を去るのだから、その無念は想像するに余りがある。
 トラック関係会社に登場した社長には、例外なく対談してきたのに、ポート前社長だけはその機会が得られないままに終わった。「教訓は新経営陣に伝える」と語っているそうだが、それは苦い苦い教訓であったに違いない。三菱ふそうが、真に再生を果たすためには、ポート前社長が噛みしめた苦い教訓にこそ学ばなければならないと思う。

みなさん さようなら

2006年(H18)7月12日
悪党は1人でも悪党 力が必要な北への対応

 およそ一世紀前の李氏朝鮮は、儒教社会で軍事的には非力であったから、清国やロシアの力に頼って、日本に対応した。世襲政権が続き、支配階級と民衆との貧富の差が極端に大きいことも、李氏朝鮮と北朝鮮は似たようなものだが、悲惨な民衆生活を無視してミサイルなどの破壊兵器の製造に精を出して、恫喝に一役買わせていることが、大きな相違だ。
 北は国家そのものが、強力武器を備えた暴力団になったようなもので、脅しをかけながらシノギの資金を強請り取ろうとする。その背後には、さらに強力な日本から千島を奪い取ったロシアや、靖国などで日本に圧力をかける中国がいるから、一層始末が悪い。「世界の警察」を自負するアメリカも「力で捻じ伏せる」のを得意にするが、北の後ろ盾の中国ロシアには多少の遠慮があって、イラクに対して取ったような決然たる態度を示すことができない。それを、見透かされて、北の恫喝戦術は際どいところまでエスカレートする。

 恩師安岡正篤先生の語録「一日一言」が最近発行された。その中に「悪党は1人でも悪党というが、善党の言葉はない。悪の力は強く、善は弱々しい」とあるが、まさに北朝鮮はその悪党の標本のようなもので、後押しする勢力もいるから面倒なのである。

みなさんさようなら

2004年7月10日
昭憲皇太后の御歌「磨かずば」と論語の「切磋琢磨」

 明治神宮のお神籤は「大吉」とかの吉凶を示すものではなくて、明治天皇と昭憲皇太后の御製御歌を引用して教訓とする。12日の明治神宮崇敬会の時に私が引いたお神籤は昭憲皇太后の御歌で「みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし」であった。明治天皇は10万首の御製をお作りになったが、皇太后もご在世中に3万首もの御歌をお詠みになっている。歌曲になった「金剛石」も御歌を元にしたもので、教訓だけでなく、北陸地方をご巡幸になっている天皇をおしのびになった「初雁の御歌」は、神宮絵画館に鏑木清方(かぶらぎきよかた)の絵のテーマにもなり、明治の美人画として、彼の「築地明石町」と共に有名である。御歌は「はつかりをまつとはなしに この秋はこしじの空のながめられつつ」で、絵もまた凛として気高い美貌の皇后を描いた名作だ。

 「みがかずば」の御歌は論語の「切磋琢磨」の章を連想させる。原文は次の通り。

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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