みなさん さようなら

2015.12.31 06:00|その他
大晦日の今日、律儀にこのブログを開いてくださった方のために写真を掲載します。
平成13年12月の浅草羽子板市です。あの顔もこの顔も…話題の人でした。
今年1年、おつき合いいただき有難うございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。(妙)


H13年12月浅草

H13年12月浅草②




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みなさん さようなら

前回アップを早く言えば、特許庁は「まとめ」の中で、商標法4条第一項第十号のとおり出願の「東京トラックショー」は、
登録されてはいないが皆さんによく知られた名称なので、ヨコロさん、アンタは使えませんよ、と言っているのです。



2005年12月30日 黄山

2005年(H17)12月28日
念願の叶った人生中締めの年でした。良いお年をお迎え下さい。

 今年最後のコラム発信です。皆さんにとって、2005年はどのような年でしたか。
 さて私にとっては、ほぼ満足できる平成17年、70歳代最後の年でした。出版事業は順調、2005東京トラックショーは予期以上の大成功、インターネット事業も伸展が見られるようになりました。「日替わりコラム」をまとめた『従心日録』は、目標とした4部作を10月に完結して、関係者に配布しております。さらに、終世の道楽である旅については、取って置きのシルクロードとペルー双方の訪問を果たしました。日本人男性の平均寿命までは、現役で毎日出勤して頑張るという目的も、今年達成しております。

 そういう意味で今年は、私の人生の一応の中締めのようなものでした。一般の方では、定年を迎えた時が中締めでしょうが、私は20年ほど遅れたということです。人生の方向が定まらずにうろうろしていた私が、東京での出版の世界に身を投じたのが43歳の時。それから本当の意味での社会生活がスタートしたのですから、中締めが人より20年遅れて当然で、辻褄はきっちり合っています。

 さて正月休み、私は中国黄山に初日の出を拝みに行きます。良いお年をお迎え下さい。

みなさん さようなら

お知らせ!! 2015年12月24日
特許庁はヨコロ氏へ使用禁止の通達 「実体審査」の結果ヨコロ氏を認めず
横路美亀雄氏は不正競争防止法にも違反

ヨコロ氏の動き、お知らせの続報&まとめ
・ ヨコロ氏は 2012年、日新出版発行と同名の月刊『NewTRUCK』を発行して版権侵害する。
・ 同年7月、主催者の日新出版に無断で特許庁に「東京トラックショー」商標出願。
・ 特許庁は審議の末、却下。拒絶理由を公式Webページに掲載。(以下の青字部分)


3年余をかけて粘りに粘ったヨコロ氏も、法の前に敗れたわけです。
続いて、商標権者として日新出版の名前でこの名称が商標原簿に登録されました。
(出願番号 商願 2013-042131)
 
以下記載のとおり、特許庁からヨコロ氏へ「東京トラックショー」使用禁止命令が出されたため、来年開催のイベント名を「NIPPONトラックショー」(代表 横路美亀雄氏/事務局長 於久田幸雄氏)に変えました。

※ 横路氏主催「2016NIPPONトラックショー」は出展者が集まらず中止。
2017年6月、幕張メッセで「特装車とトレーラ展・TTS」に名称変更してどうにか開催したもようです。


審決 … 商標 2012-53143 拒絶査定不服審判事件について、次のとおり審決する。
結論 … 本件審判の請求は、成り立たない

理由
……日新出版が、1984年から2013年までの前身の「トラックショー」を含めた全ての本件展示会主催者であるのに対し、出願人は、本願の登録出願時から審決時の間である2013年(平成25年)10月24日ないし26日に開催され、約4万人の来場者と約100社の出展者数の実績を有する前回の本件展示会において、その企画・運営に係わっていない。
(中略)さらに、日新出版が…請求人が主張するとおりに廃業に至ったとしても、前回開催にあたる2013年(平成25年)10月まで本件展示会を主催してきた日新出版の実績を勘案すれば、本願の審決時においても、引用商標は、日新出版の主催する本件展示会を表すものとして周知であるというのが相当である。

まとめ
以上のとおり、本願商標は、日新出版の業務に係る役務を表示するものとして需用者の間に広く認識されている引用商標と同一又はこれに類似する商標であって、その使用に係る役務と同一又はこれに類似する役務について使用をするものである。
 したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第10号に該当するものであるから、登録することができない。
 よって、結論のとおり審決する。




日付は今年の8月31日です。この3度目の、特許庁からの通知をヨコロ氏は受取拒否していました。
そんなことが許されるはずもなく、代理人弁理士宛に再送され、ヨコロ氏が受取から30日以内に「特許庁長官を被告として、提起」しなかったことにより、特許庁の拒絶が確定しました。上記の結論・理由の詳細をご覧になりたい方は、特許庁·商標検索 - PSN (PSインターネットサービス) で検索できます。

父のすい臓全摘手術直後に押しかけて、執拗に隠居を迫ったヨコロ氏。飲み仲間の経産省・伊藤慎介氏も電話攻勢で彼に加勢しました。「増田さんとは体力勝負だ」と言って展示会を我がモノにしようと粘った挙げ句の、法的決着です。出願したことによってヨコロ氏は自分で自分の首を絞めたんですね。

本作りをイチから教えて貰い、自分の力量以上の仕事を与えてくれた恩人への裏切りに、一部ではありますがようやくケリがつきました。この審決までの長い3年余は、彼の執着の強さでもあります。
ヨコロ氏の謀略によって、父と日新出版の名誉はズタズタになり、私達も業界で笑われることになってしまいましたが、少なくとも法は正しく機能しました。有難いことです。
すべては時間が解決して、恐らく私が最後を見届けることになるでしょう。(妙)

★ またまた長くなってしまったので、父の原稿は次回に…




 

みなさん さようなら

2001年12月17日(月)

東洋の男子と生まれ、志す所未だ十中の一二を為さず  岩崎弥太郎遺言

 『文藝春秋』新年号は、同誌の80周年を記念して、特集「遺書 80人の魂の記録」を掲載している。論語に「鳥のまさに死なんとするとき、その鳴くや哀し。人のまさに死なんとするとき、その言うや善し」とあるように、死という人生でもっとも重要な事柄にたいして、述べている言葉なり文章は切々として迫るものがある。

 有名な芥川龍之介や太宰治などの文人の遺書が多い中で、ひときわ異彩を放って迫力があるのは、三菱の創業者岩崎弥太郎のそれで、遺書というより胃ガンに冒されての死の直前に発せられた遺言である。
 享年50、三菱商会がほぼ独占していた海運業に対して、政府と三井が共同して設立した共同運輸会社との間に壮烈な死闘が展開されている中で迎える死であった。

 「我も東洋の男子と生まれ、我が志す所未だ十中の一二を為さず今日の場合に至る。もはや仕方なし。(中略)我は旧故を棄つる如き不人情は嫌いなり。(中略)もう何も言わん、宜しきか。腹中裂くがごときを覚ゆ、何も言わん。」の言葉を最後に、医師団に手を挙げ礼を表して絶命した。弥太郎は土佐の下級武士に生まれ、学者になろうとして江戸に出て漢学の修業をしたことがあるだけに、遺言も武士らしく漢学調である。

みなさん さようなら

お知らせ!! 特許庁は横路氏に使用禁止令

**横路氏の出願に特許庁は3度目の拒絶、商標「東京トラックショー」
代理人を立ててヨコロ氏が違法に申請していた、2012年7月2日付商標出願番号2012-053143「東京トラックショー」に、拒絶審決が下されました。彼は特許庁長官を(「に」ではなく「を」です)訴えて審決取消訴訟に持ち込む手もありましたが、高額になる訴訟費用に加えて、勝算のないこの仕事を受ける弁理士はいないだろう、との見通しでした。(今年10月の見通し)

3年前の夏、父の存命中にヨコロ氏は「東京トラックショー」の特許を主催の日新出版に内密で出願.
審査の結果、特許庁は拒絶。ヨコロ氏は拒絶されるたびに再手続きをして、3度目は通知書受取拒否で時間稼ぎをしました。(公式文書も受取を拒否するとは、ヨコロ氏らしい…。)

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みなさん さようなら

論語2010.12.11
家で死にたいが、諦めた現実

 この暮れは例年より喪中欠礼のハガキが多かった。かつては、親の喪中であったのが、近年は本人、または連れ合いの死の知らせが増えている。

 先月、大阪での同窓会に出席したら、半数以上がすでに鬼籍に入っていて、生存者も療養中というのが多い、という幹事の報告だった。大正15年西暦1926年生まれ、満84歳を過ぎた同期生だから当然で、年々減って行くだろうなあ、と話し合ったことである。

 9日、新宿のホテルで営まれた堀政樹自動車精工相談役の「お別れの会」に出席した。享年92歳は天寿というべきだが、父君の堀久氏は満99歳、数えの百歳まで生きて、その最晩年に、私が生まれる前の大正時代の揺籃期のクルマの話をよく聞いたものである。
 堀政樹氏は施設で療養中だったが、死の数日前、本人の希望で自宅に戻り、家族に看取られて安らかな死を迎えたと、娘婿の宮幸朗社長の話だった。

 人生の最期をどこで迎えるか。戦前は圧倒的に在宅死が多かったが、09年では85%もの人が病院で、自宅は12%、老人ホームなどが4%、完全に戦前と逆転している。
 今や死は病院で迎えるもので、遺体は葬儀会場に直送されて、人生の最期も通夜も葬儀も、自宅は関係のないものになった感じである。
 小さい頃、自宅で療養中の人が臨終を迎えると、家族親族の号泣の声が近隣に響いて、出棺の葬列には家族は泣きながらついて行ったものだった。
 今や、病院で死を迎える時代になると、家族は大きく声を挙げて泣くこともできない。
 私自身死ぬ場所はともかくとして、通夜と葬儀、といっても家族だけのものだが、絶対に自宅ですることに決めて、その手はずも整えている。
 在宅死を希望しているが、どんな病気で死を迎えるか、長期療養か突然死か、こればかりは予測できない。だが、最期はやはり住み慣れた自宅で、庭を眺めながら最期を迎えるのが願望である。

 「自宅看取りは可能か」についての調査によると、国民は「困難」と考えている66%強、可能がわずか6%強であるのに対して、末期医療に携わる看護職では、可能が37%強、困難が43%強で、可能の割合は国民では減少、看護職では年々増加している。(08年厚生労働省「終末期医療に関する調査」資料)
  一般の国民は在宅看取りを諦め、末期医療に携わる看護職は、その可能性に大きな希望を持っていることが、この調査であきらかである。終末期患者を第三者的に観察することが多い看護職に、在宅看取りの可能性拡大の意見が多いことは注目に値する。私は、この可能性に賭けたいので、近く現住所の自治体や医療関係に当たってみたいと思っている。



みなさん さようなら

2015.12.03 02:20|「周作閑話」
1984年(S59) 「特装車とトレーラ」 11月号

周作閑話
親方の涙 将軍の涙

 東京蔵前国技館では最後の興行になった大相撲秋場所は、西方幕尻から数えて2枚目の多賀竜が優勝という大番狂わせに終わった。
 ハワイ出身215キロの巨体の小錦の活躍も目覚ましく、先輩の高見山を凌駕する存在になることは確実だろう。
 私は野球に関心はなく実況中継も見ないが、相撲は好きで、休みの日に放映があると大体テレビの前に囓りついている。

 9月23日、多賀竜1敗、小錦2敗で迎えた千秋楽、小錦が琴風に敗れたことによって多賀竜の優勝が決定した。朝潮に敗れたことは残念だったが、少し負け越せば十両陥落という位置での優勝は立派である。
 最近の力士は、若島津、琴風、蔵間などのような美男といっていい用紙の持ち主が多くなっている中で、多賀竜はお世辞にも美男とはいえない。ただ、にこっと笑うと、人の好さそうな何ともいえない愛敬のようなものがあって、好きな力士の1人であった。

 表彰式に移って、優勝旗を多賀竜に手渡す審判部長の鏡山親方の様子がおかしい。泣いた後のような、必死に涙をこらえているような顔である。
 鏡山親方は元横綱の柏戸。大鵬と並んで現役当時は柏鵬時代と言われて人気があった人だが、鏡山部屋を興して15年、弟子達の出世の遅さに鉄拳を振るったこともあると聞く。



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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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