みなさん さようなら

2016.04.28 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1977年(S52)「特装車とトレーラ」
社説
減速経済の本格化
―毎日新聞経営危機の教えるもの―

 野球には全く興味のない筆者も、一時期在籍したことがある高知の中村高校が選抜に初出場して、しかも第一回に出る、というのでテレビを見ていた。どうせ1回戦で消えると思っていたら、ラッキーにも準優勝したのはご承知のとおりである。

 試合の前に開会式があり、平岡毎日新聞社長が挨拶したが、これが奇妙なものであった。「毎日新聞」は伝統ある新聞であり、今後もそのよき伝統を保持して頑張るという、およそ開会式挨拶には似つかわしくない内容で驚いた。その前日、「朝日新聞」はじめ各紙に「毎日新聞」は経営危機を打開するために、新会社を作り、債務は旧会社に残して段階的な処理をはかるという記事が載っていたので、平岡社長は全国視聴者に「毎日」健全なりと訴えたのであろう。「毎日」の看板行事である選抜と時を同じくして危機が公表されたのであるから、タイミングが好すぎるというか、まことに皮肉なものであった。

 「毎日新聞」の危機説は今日に始まったものでなく、かなり以前から流布されていた。筆者は30代の数年間「サンケイ新聞」に在職したことがある。その間に経営危機が起こり、財界から水野成夫氏が入って、残酷ともいえる人減らしが始まり、多くの人が辞めていった。「サンケイ」は朝・毎・読の3大紙に迫るべく全国紙の体制を布いたのであるが、脆くも敗退して東京、大阪を中心とするブロック新聞に転落した。

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みなさん さようなら

2016.04.25 06:00|NANDEMO「YOGUS」
NANDEMO「YOGUS」
1985年(S60) 「NewTRUCK」 4月号
雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケヌ 日野商品開発三人男

男どもありけり。
その名を森田和良、小林卓、島田政博という。とらっくのとっぷめえかあ日野自動車の商品開発部に勤務せり。東に特装車の相談あれば飛んで行き、西にこんなとらっくが欲しいと話があれば駆け付けて、どるふぃん及びれんじゃあの販売に大いに貢献せり。
それぞれ酒を好む。いと静かなる好ましき飲みっぷりにて、同席する人ことごとく感嘆して、斯くのごとき人達と又もや飲みなんと、お座敷相継ぎ、断るに困れり。
小林、島田の二人はいたく碁を好む。歳月経ても、はかばかしくは上達せざるに、日新出版なるぼろ出版社のおうなあ増田なにがし、あれよあれよとゆうまに4段をとりたりと、聞くほどに、やけ酒飲みて歌つくれり。

 名にしおわば いざこと問わん 
 増田うじ 碁の強くなる 道のありやなしやと

すなっくばあになみいる人びとみな哀れをもよおして、涙せきあえず、おんざろっく、いよいようすくなりなりて、ついに、水割りになりにけりとなん聞きはべり。
(伊勢物語に寄せて、戯れに作りて侍る。)
S60 日野
                 左から島田、小林、森田の3氏


みなさん さようなら

2009年4月23日
シリーズ「運命を開く」 その⑯
牧野伸顕、吉田茂、麻生太郎、安岡正篤の関係

 外交官としての吉田茂が親英米派を貫いた姿勢は、岳父牧野伸顕に負うところが大きい。牧野伸顕は維新の元勲薩摩の大久保利通の次男で、外交官を経て宮廷官僚になり、昭和天皇の側近として仕え、軍部の台頭により隠退した。牧野の娘雪子は吉田茂の妻で、その娘の和子が九州の財閥麻生家太賀吉に嫁いだ。太賀吉と和子の息子が麻生太郎だから、現首相には土佐と薩摩の血が幾分か入っていることになり、大変な名門である。

 私の恩師安岡正篤先生は、牧野伸顕にも吉田茂にも知遇を得て、特に吉田茂からは「老師」の尊称を奉られている。吉田茂の漢学の素養と書の上手さは群を抜いていた。年齢は下だが、その道の権威である安岡先生を「老師」と呼んだのだろう。

 皇居外苑に立つ吉田茂の銅像の銘文は、安岡先生によるものである。先生の銘文は、国家社会主義者で2.26事件の精神的主導者であるとして死刑になった北一輝の生地佐渡にある碑など数多い中でも、吉田茂のものは特に優れている。「…剛明事ニ任ジ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ挙用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ尽瘁…」この銘文の一節ほど、吉田茂の性格と生涯を活写している文章は他に例がない。

2009年4月24日
シリーズ「運命を開く」 その⑰
「臣茂」最晩年の姿を見た伊勢神宮駅

 昭和42年(1967)に89歳で亡くなった吉田茂に会った人は段々少なくなっていると思うが、私は偶然、晩年の姿を近鉄の伊勢神宮駅で見た。

 ハッキリした記憶がないので、吉田茂の評伝『人間吉田茂』(吉田茂記念事業財団編・中央公論社刊)によると、その日は昭和38年(1963)5月14日だったらしい。吉田茂85歳の時である。伊勢神宮に参詣するため伊勢神宮駅に出たところ、回りを何人かに囲まれた小柄な老人が、ステッキをついて駅の階段を降りてきた。すぐに吉田茂だと分かってその足取りを追って行くと、迎えの人が最敬礼する中、軽く会釈してスッと迎えの車に乗り込み、前方を凝視したまま回りには目もくれない。

 「臣茂」と言ったように、吉田茂は皇室には特別な畏敬の念を持っていた。敗戦後進駐米軍は、神道こそ日本軍国主義の源泉であるとの誤った観念から、官立だった神宮皇學館大学の廃止を命令した。その再建の先頭に立ち、募金運動のために大阪や京都にまで足を運んで、彼の弟子の池田勇人首相(当時)他、政財界の協力で私立の皇學館大学として再建された。その入学式に総長として臨席するためにこの日伊勢を訪れたもので、後にも伊勢行きの予定はあったものの、これが彼の最後の伊勢神宮参詣になった。

みなさん さようなら

2016.04.18 05:49|コラム・巻頭・社説・社告
1974年(S49) 「特装車とトレーラ」 3月号

ああ憂(う)き世

 国会で企業の責任者に対する追及が急である。大企業の社長さん達が喚問されてギューギュー油をしぼられている。便乗値上げがけしからぬとか、品不足感をあおったとか、要するに儲け過ぎがけしからぬということらしい。

 社会主義社会はいざしらず自由主義経済のもとにあって、利益をあげることは決して罪悪ではない。むしろ利益をあげようとして経営者も従業員も協力、努力して、効率性を高めることが自由主義経済の特長とされていることはご承知のとおりである。
 では、社長連が何故法廷に引き出された被告のように打ちしおれて、頭を下げねばならないのであるか。財界のご意見番、石坂泰造老ならずとも、そのだらしなさに腹を立てたくもなろうというものである。

 筆者はこう言ったからといって、便乗値上げや不当利益が決していいと言っているのではない。むしろ、それらを憎むことにおいて人後に落ちないつもりで、昨年1月号のこの欄において「浮利を追う日本列島」というテーマで、企業が正常な営業活動によらず、土地、株、投機、などの営業外の収入を上げることを論難した。

 しかし、これらのことが国会で華々しく論じられる筋合いのものである、とは断じて思わない。このことを疑わないマスコミもおかしい。殊に野党議員が提出する暴露的書類はおそらく企業内部の人間が資料を持ちだしたものと思われるが、これは毎日新聞西山某氏が卑劣な手段で情報を手に入れたのと同工異曲で道義的に最も責められるべき性質のものである。

 筆者の情けなく思うのは、テレビで見た社長連の卑屈な態度、手段を選ばず、企業内の人間をそそのかして情報を手に入れようとする議員達、企業でサラリーを貰いながら企業を売る社員、そういう風潮である。日本はいつからこのような情けない国になってしまったのであろうか。ああ憂(う)き世、である。


みなさん さようなら

論語 2011年4月16日
月刊誌作りの腕の見せ所 流石の「文藝春秋」5月号

 震災発生から1ヵ月と少し経った。毎日の新聞、テレビ、ラジオに週刊誌、月刊誌は震災と原発の記事情報で埋め尽くされた感じである。その記事・情報の中で、読者の印象に強く残っているものが果たしてあるだろうか。
 大きな事件、災害、戦争、さらに乱世は、「物書き」や写真家にとって、腕の振るい所であるが、得てして画一的な事実描写、悲惨さを訴えるだけの平板なものに終わる傾向がある。

 それには、写真や映像が報道の主役を占めてきたことが大きい。リアルに津波などの恐ろしさを伝えるテレビ映像を超える文章を書く、というのは実に難しいことである。
 避難所の悲惨な生活を映像や写真で伝えることは易しいが、記事にはなかなかできない。新聞が写真グラビアのようになるのは仕方がない面もある。しかし、それでは「物書き」としての記者が育たないのは当然である。さらに、日刊という制約があって、記事をじっくり書くことができないことも文章力を養う上ではマイナスである。

 週刊誌は、日刊の新聞より多少時間的ゆとりはあるものの、じっくり取り組むには不足気味だし、センセーショナルな記事に流れやすい。

 月刊誌はどうか。私自身が月刊誌の発行者でもあるので、こういう大災害の時にどのような編集をするのか、大いに興味がある。「NewTRUCK」の場合、地震発生の3月11日はちょうど「4月号」の締め切り日が迫っていて、掲載する記事はほぼ出来上がっていた。しかし「物書き」を仕事にする人間が、この大災害に全く触れないわけにはいかない。そこで急遽、予定していた4ページ記事を外して25日発行に合わせた。月刊誌ベースでは、かなり早い震災記事の掲載誌であったはずである。

 月刊誌は発行日がマチマチだから、それによって記事締め切り日も違う。「文藝春秋」の発行日は毎月10日で、震災発生時には5月号の記事組みは出来上がっていたはず。どんな5月号が出るか楽しみにしていたら、流石「文藝春秋」、識者60余名の寄稿からなる200ページ余りの震災特集記事を組んでいた。やはり日頃の幅広い交流が、こういう緊急時の記事依頼に有効に働くのだろう。凄いものだと感心する。巻頭の写真グラビアは、新聞、テレビ、週刊誌がイヤというほど被災写真を掲載している中で、災害に遭わなかった2009年当時の美しい東北の写真を載せている。これも1つの見識である。



みなさん さようなら

2010年4月10日
上野の花の下で

 今年の桜は3月下旬から寒い日が続いたせいか、開花宣言が出てからもなかなか散らない。お陰で例年より長い間、満開状態のサクラを見続けることができて嬉しい限りである。4月5日は我々の57年目!の結婚記念日で、上野の花を見に行こうと計画していたのだが、生憎の寒さと雨。1日延ばした翌日でも、まだ桜は散り初めといった感じで、花の下には例によってグループが陣取って酒盛りを始めていたが、やかましいオーディオ類の使用を禁止したせいか、随分静かになっていた。

 レストランで花を見ながら、無事この日を迎えられたことに感謝してワインで乾杯する。「花も嵐も踏み越えて」の57年、特にこの1年は嵐ばかりだったが、ようやく前途に明るさが見えた中で、また花を見ることができた。

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みなさん さようなら

2016.04.07 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1971年(S46) 「特装車とトレーラ」 3月号

ポリ牛乳は公害の元兇か
朝日新聞に反論する

 3月17日付け朝日新聞は、環境を守ろうという同社のキャンペーンの中で、牛乳、乳酸菌業界のワンウェイ方式(容器使い捨て方式)を取り上げて、深刻プラスチック公害、巻き返すポリ牛乳、不燃ゴミに拍車の恐れ、という大見出しのもとに8段抜き記事を掲載している記事内容はお読みの方も多いと思うので詳細は省略するが、このワンウェイ方式に厚生省が待ったをかけたのに、ヤクルトがそれの対応策を具申し、他の乳業メーカーも追随する気配があるのはけしからぬ、というもの。

 ヤクルトがあの容器にふみ切ったのは省力化も勿論であるが、ツーウェイでは温度管理が十分にできない、需要家に適正な温度の製品が届けられない、この目的の為に、ヤクルト仕様の冷蔵車を作ったのであって、単なる省力化ではそのような車は要らない筈である。ヤクルトは別としても、一般牛乳のあの重い壜がいかに大きな労働負担を当事者に強いているか。


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みなさん さようなら

ご意見番 2011年4月4日

被災地企業への励まし
復興支援の前に「猶興」の志を全員が共有すること

 「復興」という言葉が氾濫している。「復興支援のために今、何が必要か」などと、「復興」の言葉には行政なり他者の援助を前提にするニュアンスが感じられる。
 もちろん、復興には国、自治体その他の援助が必要なことは言うまでもない。しかし何より大事なのは、被災地なり被災者の自ら起ち上がろうとする意欲である。その意欲を助けるのが国自治体などの援助措置でなければならない。

 地震の被災地の仙台には「仙台鈴木自動車工業」、地震と原発の複合被災地の福島県いわき市には「花見台自動車」などの企業がある。工場は軽微な被害に留まったが、燃料不足や資材の問題で、まだまだ本格的活動には入っていないらしい。
 従業員の皆さんを力づけるお見舞いの品を何にするか、書を贈ることにして書いた文字が「猶興」(なお興る・ゆうこう)である。
 「猶興」と「復興」とは、似たような言葉だが、どこがどう違うのか。

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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