みなさん さようなら

2016.06.20 06:04|その他月刊誌記事
6月2日にアップした中で名前の挙がる100年企業パブコの前身、加藤車体工業の記事です。この倒産劇にからむ三菱など大企業の非情さに対する父の義憤は、当時社会人になって2年目、三菱系の会社に入社、三菱村(丸の内)に通勤していた私に向けられました。書かれている以上の内情を詳しく知っていたのだろうと思います、亡くなった松井氏への同情もあったのでしょう。「三菱は…」「大企業は…」と言って、恐い顔をしていました。(7月11日まで7回にわたってアップしたものを6月20日にまとめました。妙)


1976年(S51) 「特装車とトレーラ」 6月号
ドキュメント
加藤車体工業(株)

 [Ⅰ]4月1日 債権者会議
超満員の会場、沈痛な加藤社長の釈明
 4月1日、午前10時、加藤車体工業(株)の債権者会議の会場にあてられた厚木市労働福祉会館は超満員で、入りきれない人はドアの外まで溢れている。煙草の煙がもうもうと立ち込め、後ろの方は霞んでよく見えない位。600人もいるであろうか。

 加藤武社長が沈痛な表情で、事情釈明をしている。椅子席は全部塞がっているが、たったひとつ、最前列正面が空いていた。重役陣が首(こうべ)を垂れて居並んでいる中の加藤社長の真ん前である。さすがに誰も遠慮して席に着かないのであろうか。私も一瞬躊躇した。私が正面に坐ってはさぞ辛かろう、武社長とはお互いによく知っている仲である。しかし、私がこの会議に出席したのは、僅かな債権がどうなるとか、単なる取材の為でもない。…私には心中期するところがあった。私の出番がなく、すんなり議事が進行すれば結構なことであるが、どのような人が来ているかもわからない。紛糾したとき、その仲裁役というか鎮静させる役割の人間が要る。それを買って出ようというのである。もちろん加藤から頼まれたわけでもなく、加藤に対して、それほどの義理もない。車体メーカーの中でも加藤は、私の雑誌についてはきわめて冷淡で、広告にしても1年に1度位のもの。後に述べる理由によって、加藤に対して広告の依頼に訪問することを私の方から避けていたのである。1年余り、空白期間があって、ガイドブックに貰った広告が未収になり、債権者の資格を得たのである。

 万一、私の出番があった時、隅の方では声は通らぬし、皆さんから姿も見えない。ずいと通って腰をおろす。
 武社長の釈明が続いている。車体メーカーが厖大な資材をかかえていなければならないこと、石油ショック以来の景気停滞による需要落ち込みが大きく、しかもその回復の見込みがなかなか立たないことなどを挙げてこのまま放置すれば再建への足がかりが失われてしまいかねないので、会社更生法の申請に急遽ふみ切ったものである、と時には声をつまらせながらの説明である。

松井副社長の死
 司会は佐々木修総務部長(現営業部長)である。続いて田中七平監査役の経過報告に移った。キレ者と言われた田中氏だけにさき程の加藤社長の沈鬱な釈明と違って、テキパキと事務的に話を進めてゆく。

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みなさん さようなら

2004年6月5日
◎ホームページ論語<第57回>

「過ちて改めざるを過ちという」
とんでもない代償を払う三菱自の過ち処理

 5月下旬の地中海の10日間の旅から戻って、もう三菱関係の記事は鳴りを潜めているだろうと思ったのに、相も変わらず、乗用車の各車種にリコールが発生した、新たに三菱ふそうの旧トップの刑事責任追及の動きがある、などの記事が大きく紙面に載っている。
 企業の不祥事件は、これまでにも数多く発生してマスコミを賑わせたが、今回の三菱自動車とふそうについての報道量は、群を抜いていて例を見ない。三菱というネームバリューの大きさ、商品としての自動車の大衆性などが紙面を彩るのに相応しい面もあろう。

 問題の三菱ふそうのトラックについては、「NewTRUCK6月号」に、自動車技術に詳しい西襄二氏に依頼して、問題のハブについて書いて貰った。その後も、大型トラックメーカー各社のベテラン技術者にこの問題について質問したが、大型4社のうち、やはり三菱ふそうのハブには問題があったと回答している。

 かつて、大型トラックは過積載が常識であって、しかも道路事情が現在とは比較にならないくらい劣悪であったから、トラック自体かなりの酷使に耐える構造になっている。その一方で、過積載が厳しく取り締まられることになり、積載重量を少しでも多く取るために車体の軽量化が図られ、当然使用部品もこれに準じることになる。さらに軽量化は経営環境の厳しさからのコスト軽減要求にも応じられることになる。そういう環境の中で、他の大型トラックメーカー3社に比べて三菱トラックの問題のハブなどでは、明らかに行き過ぎた軽量化があって、技術関係者にはそれが分かっていたはずだと指摘する。

 検察側が、当時のトップ以下の品質管理の技術陣を大量に逮捕した背景には、組織ぐるみで欠陥部品の使用を隠蔽したという容疑によるものだった。しかし、よしんば欠陥部品であるかも知れないとの自覚が関係者にあったにしても、すでに相当の完成品が市場に流通しており、さらに新たな部品を生産工程にのせるコストなどを考えると、その生産を中止して、既存製品のリコールに応ずることは、責任を一身に背負う覚悟のトップが決断しない限り難しいだろう。組織の三菱では、そのような人材を育てていない。

 人間は過ちを犯すものである。問題は過ちだとの自覚を持った時に、直ちに改めるか、そのままにして置くか、何とか言いつくろって済ませようとするか、それぞれについて論語は述べている。「過ちて改めざるを過ちという」「改むるに憚ることなかれ」「過ちを弐(ふたた)びせず」「小人の過つや必ず文(かざ)る」などである。過ちの処理を怠った三菱自動車の代償の大きさを思うときに、これらの言葉の重さが理解できるはずである。

※ 三菱ふそうポート元社長について、2015年7月13日アップのコラムで少し触れています、こちらもご覧下さい。(妙)


プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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