みなさん さようなら

2016.07.28 06:00|記念行事
(7月28日と8月1日アップをまとめました。)
孔先生書 書斎
右・ 孔徳成先生 『苟日新
左・ 孔徳懋(とくぼう)先生 『徳不孤必有鄰


「まこと」「タケノコ」

ヨコロ氏の会社(株)日新のWeb中、会社案内のページに2カ所、「タケノコ」の字があります。
NIPPONトラックショー」で検索して日新会社案内をご覧下さい。笑えます。

正しくは「(まこと)」なのですが、どうして「(タケノコ)」になった?
ふたつの字の間には、“草かんむり”と“竹かんむり”、“口”と“日”の違いがあるんですけどね。
その上「又日に新たなり(新たならん)」であってヨコロ氏の「又日々新たなり」ではありません。(「又日新」ですから)
      ※ 苟日新、日日新、又日新
人の真似事で箔を付けようとするからこうなるのでしょう。(妙)


1994年(H6)「NewTRUCK」4月号 日新出版25周年記念特大号

<表紙説明>
悠久2500年
孔子直系ご姉弟の書



表紙の右の文字は  
   苟日新  まことに日に新たなり
孔子77代の直裔孔徳成先生の書である。

左は、
   徳不孤 必有鄰 (隣も同じ)   徳は孤ならず 必ず隣有り
で、孔徳成先生の姉に当たる孔徳懋(とくぼう)先生の書。いずれも私のために書いて下さったものである。

 『苟日新』は日新出版の社名の源であり、中国の古典である四書五経の中の『大学』にある、
   湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新
   湯(とう)の盤の銘に曰く、苟(まこと)に日に新たなり、日日に新たなり、又日に新たなり

の一節である。実在が確かめられている中国最初の殷王朝の始祖で、聖王とされる湯王は、洗面のたらいに、右の文字を彫りつけて、毎朝顔を洗うたびに肝に銘じていたといわれる。(現代からおよそ3600年以前のことである。)
 昭和54年、創業から10年経って、従来の個人の自動車車体通信社から株式会社組織にした時、躊躇なくこの言葉を社名に採用した。20周年記念特別となった平成元年4月号の表紙は、恩師安岡正篤先生が書いて下さった

   学道業日新   道を学べば業は日に新たなり

の文字を頂戴した。

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みなさん さようなら

2016.07.25 06:00|「周作閑話」
1986年(S61) 月刊「NewTRUCK」 7月号 周作閑話

死亡公告

 年のせいか、新聞の死亡記事や公告に目が行くようになった。80歳、90歳の天寿を全うした人もいれば、まだまだこれからという50歳代の人もいる。
 それらの中で、5月16日の朝日新聞の死亡公告はかなり異色で印象に残った。
前田久吉、横矢勲両氏の大きな死亡公告に並んで、犬の写真と手書きの公告が並んでいる。飼い主というか、喪主はスペイン舞踊の長嶺ヤス子さんである。

 前田久吉といっても知っている人は少なくなったと思うが、一介の新聞店主から身を起こしてサンケイ新聞を創刊、東京に進出して東京タワーを建て、房総開発やマザー牧場など不動産レジャー部門にも手を染め、自民党から全国区の参院選に出馬して当選している。
 葬儀委員長は福田赳夫元首相、友人代表には岸信介元首相、松下幸之助、稲山嘉寛、芦原義重各氏の東西財界の元老がズラリと並ぶ豪華版である。



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みなさん さようなら

2002年7月19日(金)

「海の記念日」 海に関心が薄い日本人  

 明日7月20日は土曜日で、海の記念日であることを知らない、気づかない人が多いのではないだろうか。島国でありながら我々日本人は、海に対する関心が薄い。イギリス、オランダはもとよりアメリカ、フランスでも立派な海洋博物館があり、古い船が保存されているが、日本には江戸時代の船は全く存在しない。保存船、それも陸上に固定された東京商船大学にある重要文化財の明治丸が最も古い日本の船である。

 明治元年に初めての洋式灯台が建設、増加する灯台の巡視船がイギリスに発注されて、明治8年(1875)横浜に到着した。明治丸はもちろん巡視船として使用されたが、軍艦でない最新の洋式船であることから、明治天皇のご座船として度々航海した。

 明治9年、明治天皇が青森から乗船されて、横浜に到着が7月20日。昭和16年に、この日を「海の記念日」として制定した。その後の明治丸は、繋留練習船として海の男たちの訓練に使用されて、関東大震災や第二次大戦の空襲下の住民の避難所にもなった。

 重要文化財指定といっても、明治丸の保存状態は良好ではない。保存場所の東京商船大学の卒業生が海でなく陸上勤務が多いという現状では仕方がないだろうが残念だ。


2002年7月22日(月)

夢と消えた海国日本

 西欧諸国が、新しく開発された航海術を利用して大洋を渡って新大陸に進出し始めた頃、日本は鎖国政策で海外に渡航することが禁止された。従って、日本の船は沿岸沿いに航海する和船が主体で、遠洋には乗り出せなかった。国内の平和は保たれて、それなりの発展は遂げたが、国際進出には遅れをとっていたので、明治以降の急激な海外進出が主として中国韓国など、それまで日本との関係が深く、しかもある時期まで文化的に先進だった地域に向かったことが、その後に大きな影響を及ぼして現在に至っている。

 西欧諸国の海外進出は、未開の国家形態をとっていない地域に向かって、キリスト教とともに時には武力を駆使した。人類として恥ずべき奴隷貿易が平然として行われたのもこの時期である。日本のアジア進出とその点が全く異なっていた。

 海国日本と言われたのは明治末から第二次大戦までで、「帝国連合艦隊」と「日の丸商船隊」がその象徴だったが、その双方が大戦で消滅して、また元の鎖国状態に戻り、十分回復できないままに現在に至っている。ただし、私は海が大好きだから、日新出版のイベントは「呉越会」始め、海と関係の深いものが多い。海は大らかでなにものも包み込む、海は良い。




みなさん さようなら

2003年7月3日(木)

加賀藩算用武士
年収2倍の借金を家財道具処分で皆済

 江戸時代の武士は百石取りというように、米によってその家柄や給料が規定されて、これは200年あまりに渡って変わらなかった。しかも米価はほとんど上昇しなかったし、武士の生活もだんだん派手になったから、武士階級は慢性的に貧乏生活を強いられた。農民や商人と比較すると、彼らの生活水準は確実に向上している。相対的な地位の低下を武士が甘受したのは、「利」を言うことを憚る儒教道徳が彼らを律していたからである。

 武士の親分に当たる大名も同じで、参勤交代など経費のかさむ公務もあり、その遣り繰りは容易でなかった。財政担当も当然武士だったから、御算用者と呼ばれる彼らは刀をソロバンに持ち替えて、一部の武士からは軽蔑されながら勤務していたのである。

 磯田道史氏が解説出版して人気を呼んでいる『武士の家計簿』の主人公は、加賀前田藩の御算用者、つまり財政係で、ご多分に洩れず厖大な年収の2倍にも達する借金を抱えていた。しかも金利が年18%という高利で、算用者として家計が破綻するのは失格だと、主人公猪山直之は書籍茶道具妻の嫁入り衣装果ては脇差しまで一斉処分、妻の実家から援助も受けて借金を皆済したのだが、猪山家の運が開けてきたのはそれからだった。


2003年7月7日(月)

猪山父子の教えるもの

 東大の赤門は将軍家から加賀藩に姫様がお輿入れになった記念であった。、その財政担当を命じられたことから、主人公はその才能が認められ、さらに幕末、加賀藩は京都に派兵したり、猪山直之の役割は益々重要になった。その内に幕府が崩壊、加賀藩も解体されるが、直之の息子の成之は新政府の海軍財政担当に任命されて、禄を離れた武士たちの窮乏をよそに、現在の3600万円にも当たる年収を取る身分になった。金沢に残った武士たちの年収は120万円ほどだったから、実に30倍もの収入を得ていた。
 『武士の家計簿』が面白いのは克明にそれらが記録されていることで、さらに東京に出ている息子成之に宛てた父母からの書状もそっくり残っていて、明治初期の金沢藩士のその大リストラの時代をどう生きていったか、その姿が実に生き生きと描かれている。
 本書は、どういう時代になっても人に負けない技能を持つ者は強いこと、家財道具を整理して借金を皆済した決断、リストラばやりの現代に必要な生き方を示していると思う。

 薩摩出身の大久保利通を暗殺したのは石川県士族島田一良らだが、成之の勤務する海軍は薩摩閥そのものだった。暗殺犯人の彼らの遺体を引き取る侠気ぶりも成之は見せている。
(『武士の家計簿』加賀藩御算用者の幕末維新 磯田道史著 新潮新書)


みなさん さようなら

2011年7月19日
男の約束は死んでも守る 浜口雄幸

 『文藝春秋』8月号の特集記事「心に灯がつく人生の話」は、故人を含む作家、識者10名の講演集で、中でも城山三郎の「浜口雄幸 死を賭して守った国民との約束」は、菅首相の保身と政権維持のためにクルクル変わるその場限りの約束にうんざりしていただけに、日本の首相も時代が変わればこれだけ変わるものか、と暗然とした気持ちで読んだ。

 浜口雄幸は土佐出身、昭和恐慌の後の首相の時に緊縮財政で国民の不満を買い、東京駅頭で右翼に狙撃されて重傷を負った。その時に発した「男子の本懐」の言葉を城山三郎は、浜口の伝記小説の題名に使い、何度かテレビドラマ化されている。
 当時は軍閥政治に入る直前の政党間の争いが続いていた時代で、瀕死状態の浜口首相の国会出席を求めて、それができなければ野党に政権を渡せ、と強要する。
 絶対安静を言い渡された浜口は、国会に出席するのは、国民に対する義務であると言い張って、医師と家族を説得、靴が重くて履けないので、黒い靴に見せかけた布を足下に巻き付けた幽鬼のような凄惨な姿で宮中に参内した翌日、国会に出席、間もなく死んだ。

 「武士に二言はない」約束を破ったら死で償う、それだけ「信」を守ることに命を賭けた日本の政治家の、何という変わりようであることか。
 浜口雄幸が死んで80年、菅首相を80年後に想い出す人が果たしているだろうか。


プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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