みなさん さようなら

お礼
このブログコーナーの、時系列メチャクチャな原稿の選択におつき合い下さった皆さま、今年もまことに有難うございました。
父の没後、初めて穏やかな年末になりました。
平成24年、横路氏が騒動を起こしたことで下記、22日のコラムにお名前の上がっている岡村先生がご自分の事務所から、お二人の弁護士さんを指名、先生方は「NewTRUCK」版権侵害や特許庁へ「東京トラックショー」の商標無断申請ほか、横路氏ら無法の数々に辛抱強く対処。
今年1月、ようやく商標登録が日新出版へ許可されたことで彼の野望はどれも霧散したことになりました。
(昨年12月24日に特許庁の、横路氏に対する「本件審判の請求拒否の理由」をそのままアップしてあります)
来年も取材記事を中心に、このままのペースで続けてまいりたいと思います、皆さまも健康に留意なさって良いお年をお迎え下さい。(妙)


2006年12月22日
本領を発揮する土佐人

 土佐人高知県民の反体制的な生き方は現代にも引き継がれている。土佐人がその本領を発揮するのは、体制に属することなく、また意識することなく、自己の能力を発揮する仕事を見つけた場合である。当然、俸給生活者でなく、一匹狼的な活動のできる分野に限られることになる。具体的にいえば、作家、マンガ家、弁護士などの筆舌を駆使する仕事に向いていて、横山隆一・泰三兄弟や最近亡くなった「はらたいら」まで、日本のマンガ家の半数以上は土佐人であると言われている。女性作家の一人者宮尾登美子さんや最近メキメキ売り出してきた山本一力氏など、土佐出身の作家は断絶することなく続いている。
 弁護士も土佐人に多い職業で、私の良く知る岡村勲氏は最愛の奥さんを殺されたことで被害者を守る会を結成、今やわが国でもっとも知られた弁護士の筆頭である。
 牧野富太郎は小学校中退で植物学に志し、世界にその植物学者としての偉業は知られながら、学歴がないために日本の学界からは冷遇されて、文化勲章を授与されたのは91歳のその死去の後だった。私事になるが、「論語」と言えばこの人となっている叔父伊與田覚にしても、そのための学歴はなく、一介の市井の論語学者として学会の外の存在である。

2006年12月25日
土佐人増田周作の終焉

 私が土佐人としての自己を強烈に意識し始めたのは、30歳代の半ば、新聞社勤めをしていた時だった。かつて土佐人はジャーナリズムで活躍した人物が多かったが、それはミニコミの時代で、マスコミでは思う存分の論陣を張ることはもはや出来なくなっていた。
 自分の主張を通せる新聞雑誌を作りたい、という念願はあったものの、大阪でそれを果たすキッカケもない。そこへある縁で月刊誌「特装車」の話が持ち込まれて、東京で発行することになった。特装車やトラックのことは余り分からないが、業界内の不合理さ、体制の矛盾はよく分る。広告主も余りいなかったので、誰に気兼ねをすることもなく、思う存分に書きたいことを書いた。当然、反発も出て話題にもなり、たった一人の業界誌でも知名度は上った。業界団体や官庁がらみ体制の「東京モーターショー」の矛盾を突いた「東京トラックショー」開催は、土佐人の反骨反体制思想と、論語の「徳は孤ならず必ず隣有り」精神の合体したものであったが、増田の土佐人らしさが存分に発揮できたのはそこまで。
 一旦「東京トラックショー」が成立すると体制そのものになり、以後は思い切った論陣を張ることもできず、土佐人としての増田周作は終焉した。反骨反体制精神の堅持は難しい。

2006年12月26日
土佐人が完成させた『日本のトラックの歴史』

 暮れも押し迫った25日、2年余の歳月と日新出版の資本金(と言っても僅かなものだが)を超える費用を投入した『日本のトラックの歴史』が完成した。
 当初は、トラックメーカーや業界団体になどに買い上げて貰って制作費用を捻出する計画だったが、このような文化的事業に拠出する資金は計上できない、という意志が段々判明してきた。資金の目処が付くのを待ってから制作にかかるのでは何時着手できるか、あるいは着手できないかも知れない。しかし、論語の「温故知新」の精神を信条とする私が、1世紀を超えた日本のトラックの歴史をまとめることを断念したら、制作の機会は永久に訪れないのではないか。土佐人として、トラック専門誌発行者としての「一分」をここは通すべきである、そう考えて、自費出版の決意を固めて取り組んだ。37年間、私なり日新出版を支えてくれたトラック業界に対する恩返しを、こういう形で果たすことができれば、という考えもあった。
 その代わり、この種の業界史に有り勝ちな奇麗ごとの羅列だけでなく、私の体験した官庁業界メーカーの恥部も容赦なく書くことができた。せめてもの土佐人の意地である。




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みなさん さようなら

2008年12月20日
皇室民主化のツケ 天皇のご心痛

 例年、12月23日の天皇誕生日の前に行われてきた陛下の記者会見が、今年は行われないと宮内庁が発表した。理由は、心身のストレスが原因とみられる胃腸の炎症が確認されたことによる。体調不全による記者会見中止は、ご即位以来初めてであるという。

 そういえば、テレビで拝見するお顔も心なしか、生気に乏しいように見られて、ひそかに案じていたところである。
 現在の日本の置かれている状況については、陛下もお心を悩ましておられるだろうが、ストレスの原因は、やはり皇室内部のことだと思われる。電車の中吊り広告で見る週刊誌は、皇太子妃の問題について大きく報道していて、陛下のご心痛も察せられる。

 日本の皇室は戦後、アメリカの影響下に大きく変わった。皇族そのものが、天皇のご兄弟とそのご子孫に限られることになり、皇族間のご結婚は事実上不可能になった。
 華族制度も廃止になって、旧将軍大名家、公家出身、その他の功労者によって構成された公・侯・伯・子・男の五つの爵位を持つ貴族階級も消滅した。

 皇族や上級華族の結婚は、ほぼその階級間の男女に限られていた。昭和天皇の内親王ではご長女は皇族、次は公爵、末女は島津の分家の男爵家にそれぞれ嫁がれた。昭和天皇皇后は久邇宮家から入内れされたが、ご生母は薩摩の島津家から久邇宮家にお輿入れされている。昭和天皇の弟宮秩父宮には会津松平家、高松宮には徳川慶喜家から妃殿下をお迎えになっている。徳川恒孝徳川宗家18代当主が、我々には皇室、大名家、公家の血が入り交じっています、幕末で敵味方に分かれたといっても、親族同士の争いのようなものです、と言っておられた。
 戦後は、皇室民主化の名の元にこの垣根が取り払われて、ご本人のご意志も加わって、民間からお妃が選ばれることになり、国民もこれを歓迎した。

 現在の陛下のご苦悩は、この行き過ぎた皇室の民主化、サラリーマン化に原因があると推察される。一般家庭と違って皇室、しかも天皇、皇太子妃ともなれば、その重圧感は、想像を絶するものがあるに違いない。相当にご意志が強いと考えられる皇后陛下が失語症になられたり、ヘルペスを患われたことも、重圧、激務が原因であろう。

 かつての、高貴の家に嫁ぐ娘の教育には徹底したものがあり、結婚後もそれは続けられた。篤姫を幾島が鍛えているシーンはNHKドラマにも出ていた。教育問題は、子どもの学力低下だけでなく、皇室のあり方についても大きな影響を及ぼす国家的課題である。

みなさん さようなら

2016.12.22 05:38|「今月の論語」
1993年(H5) 月刊「NewTRUCK」12月号

反省を要するマスコミ姿勢

浅はかな大衆迎合のマスコミ論調は大きく政治を歪める。
マスコミ記事は国民の声でもない。皇室はもっと超然と。

 マスコミの言論がマスコミを賑わせている。
 ひとつはテレビ朝日による偏向報道問題であり、いまひとつは一部月刊誌週刊誌の報道に対する皇后陛下の反論が出された直後の失語症で、20日後の今日(11月9日)も回復されていないという。
 テレビ朝日の椿とかいう前局長の発言は思い上がりも甚だしいものである。マスコミの報道なり、論調が社会に与える功罪について考えると、功より罪の方が大きいと思う。

 今でこそ平和平和と叫ぶマスコミが戦前戦中どのような報道をしてきたか、ソ連や中国の社会主義礼賛、安保、文化革命問題、美濃部ばらまき放漫都政の容認、消費税反対など結果としては、殆ど的外れの論調ではなかったか。いわゆる55年体制の打破についても、それによって誕生した野合内閣がこの不況に対してどのうような有効な手段を講じているのか。支持率の高さを言うなら発足当初の近衛内閣、東条内閣など、挙国一致といえるほどの支持率を誇っていた。マスコミは、支持率は低くても、本当の意味で国益になる政策にこそ支持を表明すべきであろう。

 大宅壮一はテレビ社会を一億総白痴化現象であると評したが、この言葉は至言である。テレビをあまり見ない筆者がこのようなことを言う資格はないかも知れないが、政治はお茶の間で、ひとときの喝采を浴びるような性格のものではない。
 新聞はまだしも活字を通じて読者に訴えるので、若干の判断を下すことができるが、テレビは一方的即断的に視聴者に迫ってくる。お笑い番組やスポーツ番組ならそれでいいが、政治番組となるとそれでは困るのである。今、政治評論や解説ができる相当の識見を持ったニュースキャスターが果たしているだろうか。政治と芸能の番組が同次元で論じられてないか。今回の事件を好機にマスコミは猛反省すべきである。

 皇后陛下の反論は正直いって全く意外であった。ご自身でその種の雑誌にお目を通しておられるという事実についてである。筆者がそのような記事があるのを知ったのは通勤電車の中吊り広告によってで、これは否応なしに目に入ってくる性質のものである。
 国民の声に耳をお傾けになるのはおよろしいが、福田元総理の名言のように、天の声にもおかしな声がある。ましてや、百家争鳴、針小棒大、火のないところに煙を出させる雑誌はおかしな声の方が多い。そのような声は無視なさればおよろしいし、掲載記事が全くの事実無根であれば、宮内庁が記者会見を通じて反論を加えるだろう。

 皇后陛下はかつて国母陛下として国民敬慕の対象であり、一般民衆とは隔絶した超的存在であった。その当時と現代では背景は大きく異なるけれども、民衆レベルとははっきり一線を画して頂きたいと思う。
 九重の奥深く(この言葉も死語となってはいるが)その種の雑誌をご覧になっている光景を想像すると、背筋が寒くなる。まさかご自身で売店に買いに行かれるわけもなく、それを命じられた者がどのような気持ちでお届けするのかとも思う。
 それに、天皇陛下がなぜお止めにならなかったか、これも理解に苦しむところである。

  民ハ之(これ)ニ由ラシムベシ。之ヲ知ラシムベカラズ。(泰伯第八)

 民衆にすべてを知らせようとするのは難しいから、その由るべきところを示すべきであるとは孔子の言葉で、皇室もマスコミも民衆も、つまらないことを知ろう知らせようとしているように思えてならない。


1993年の「皇后陛下バッシング」はネット検索で事情が詳しく見られます。
ちなみにマスコミがよく使う「美智子さま」「雅子さま」など、“様・さま”ではなく「皇后陛下」「皇太子妃殿下」が正しい敬称のようですね。
大宅壮一氏の言葉「総白痴…」を入力しようとしても「白痴」の字が出ませんでした。差別用語、放送禁止(自粛)用語に分類されてしまったみたいです。入力作業していると、たまにこういう単語にぶつかります。
言葉は時代と共に自然に変わっていくものでしょう。一部の人達が弱者の味方のフリをして、今まで使っていた自国語を悪玉に仕立て上げ、勝手に強制的に別枠にくくってしまう。これは検閲であり横暴で、怖ろしいことだと思います。(妙)



みなさん さようなら

2016.12.19 06:00|「今月の論語」
1995年(H7) 月刊「NewTRUCK」 12月号
展示の名分は正しいのか
モーターショーの商業車

RVを商業車展示に含めるのはおかしい

 「第31回モーターショー」を見た。
 若いカップルやカーマニアらしい人達が多いのは例年の通りであったが、物流で大きな役割を占めるトラックのウエイトは更に低下した感じを受ける。

 屋内の商業車館はRV( レクリエーショナル・ビークル)の氾濫であり、大型車メーカーでも趣向を凝らしたバスや、物流とあまり関係のなさそうなデコレーションのトラックがあって、物流事業者にとって参考になると思われるトラックの展示はごく少なかった。
 物流事業者には「トラックショー」があるからということであれば、「トラックショー」主催者の日新出版としては有難いことだが、それでは乗用車と商業車の併存を建前とする「モーターショー」の姿勢が問われるのではないか。

 RVが果たして商業車であるかについても、疑問のあるところだ。車種分類では小型トラックの中に入っている4WDの乗用タイプのワゴン車を、どれだけの人が商用に使っているだろうか。要するに、遊び用として一般に考えられている車を、登録分類がそうなっているからという理由で商業車展示の中に含めることは、入場者を欺くことになると思う。
 RVは乗用車の中に含めるべきだが、それが困難ならRVだけの展示スペースを作ればよいことで、人気のあるRVで商業車の展示は充分であるとメーカーが考えているとしたら、「モーターショー」に商業車館は要らない。

 さらに、商業車展示の屋外版といもいうべき車体の展示に「特種車」という名称を使用しているが、「特装車」という呼称はあっても、一般的に「特種車」という呼び方はしないし、日本自動車車体工業会(車工会)の分類では別の狭い範囲の車種を指している。このことについては以前にも注意しておいたが、改まっていない。

 「名は体を表す」というし、「名実ともに」の言葉もある。名と実体が離れることは、物事の乱れの元になる。
 商業車にRVの展示が多くなり、屋外展示が僅か17社と、「トラックショー」の十分の一程度まで落ち込んでしまったのも、名と実の乖離(かいり)に鈍感、不感症になった結果であると私は思う。「モーターショー」が国民的イベントであるとするならば、一般入場者に対して、充分納得のできる展示分類と名称を使用すべきである。単に、若者に人気のある車を並べておけばいい、というものではない。

 『名を正す』『正名』という言葉が論語にある。
 孔子は弟子の子路が、「先生が衛の国の政治をなさるとすれば、先ず第一に何から手をおつけになりますか」と聞いた時に「名を正そう」と答えた。当時、衛の国は殿様の地位を父子で争うなど大いに乱れていたので、「これだから先生はまどろこしい、(この急場に)正そうなどとは」と不服顔の子路に、じゅんじゅんと名を正すことの重要性を説くのである。
 名分を正す、というのは廻りくどいかも知れないが、政治も経済もイベントも、このことを常に念頭において運営しなければ、名と実とが乖離して乱れが生じることは明らかだ。


みなさん さようなら

伊與田先生は100歳、と思っていたら、101歳におなりだったんですね。
今年2月には、東京モーターショー商用車との同時期開催や2008年リーマンショック、2011年東北大震災など、うち続く苦難時の「東京トラックショー」開催に多大な支援をしてくださった元日本フルハーフ社長の古河隆氏が、また父の没後も変わらずご厚誼を頂いていた加藤寛氏も10月には他界されました。寂しい年の暮れです。
またこれから父の原稿に戻しますが、時おりは伊與田先生のコラムも載せたいと思います。(妙)


1986年(S61) 月刊 「NewTRUCK」 9月号 1冊の本 

幼き日、事業、そして愛妻への『追憶』
北村治作北村製作所前社長が自伝を刊行

 「とらっく人国記」の山形取材を酒田で終えて新潟経由帰京の途中、北村製作所を訪ねたところ、泰作社長から手渡されたのが治作前社長の自伝『追憶』である。新幹線に乗車するなり本を開いて、ひたすら読み続け、上野へ到着する迄の2時間ほどの間に読了した。他に何もすることがない車中という事情があったにせよ、2時間も私の目を釘付けにしたのは、やはりこの本の持つ引力の強さであったと思う。

 北村製作所といえば、小型バンボデーの分野では他の追随を寄せつけないトップメーカーである。新潟という決して地の利を得ているとはいえない土地で、その座を確立したのは、序文で述べているような、好運の連続によるものだけではない筈だ。たしかに、行き詰まったときなど、思いもかけぬ形で救いの手がさし伸べられている部面もあるが、それは決して偶然ではなく、人柄と日頃の行状の評価があったからに違いない。

 何回となくお会いした前社長は、会社の基盤も確立した後のことであったためか春風駘蕩(たいとう)、大人(たいじん)のような風格を感じた。しかし、『追憶』を読むと、そこに辿り着くまでの道程が決して平坦なものでなかったことがよく分かる。
 そういうピンチを切り抜けたのは北村さんの「誠実さ」と「粘り強さ」であったようだ。工場用地の取得、技術協力者の誘致、新潟交通のバス受注などに遺憾なくその特質は発揮されている。

 北村さんのお家はおじいさんが人力車の修繕、お父さんが車鍛冶屋をしていたというが、この血筋から仕事に対する厳しさ、働くことの尊さを受け継いだのであろう。お父さんが一介の職人でなかったのは、当時としては数少ない旧制中学へ入学させていることでも理解できる。新しいものに挑戦するのは母親譲りと書いているので、ご両親の良い所を北村さんが大きく発展させた、出藍の成功者と言うべきだろう。

 昨年先立たれた良き伴侶キヨ夫人への追慕の情の表現は手ばなしに近い。泰作社長はじめ良き子女とお孫さんに恵まれた北村さんなのに、と思うのは所詮、喧嘩をしながらも女房が健在な男の窺い得ぬ心境かも知れない。
 最近は自伝、自費出版が多いが、内容、装幀とも他書に決してヒケを取らぬ著作だ。


最晩年、父は2012年10月号「忘れ得ぬ人たち」の北陸編で北村治作氏を思い出しています。そして最後に氏の自伝『追憶』に触れて、

― 周辺への心遣いに満ちた人柄そのままの文体で、自己顕示欲の出ることが多い自伝の中では、出色というべきだろう。 ―

と結んでいます。(妙)



みなさん さようなら

2016.12.12 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)に101歳でお亡くなりになった伊與田先生を偲び、2012年6月まで日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。次回から増田の原稿に戻ります。
安岡先生・伊與田先生 3395
      右から 伊與田先生、安岡定子氏、安岡正泰氏、増田 (2003年4月 安岡氏お宅)

2007年12月10日
人間修行は脚下照顧からはじまる  伊與田 覺

 先日私は、ある真摯な宿泊研修会に、老骨を引っ提げて参加いたしました。その開会式は広い日本間で行われました。そして入口のスリッパは整然と脱がれており、流石にと感心させられました。
 ところが夜、共同風呂へ行きますと、殆んど足のままに脱がれており、これが同じ人間かと淋しくなり、そっと直しておきました。

 犬が二匹寄った文字に「犬犬」がありギンとかゴンとか読みます。吠え合い、噛み合うという意味です。ケモノ偏は犬から変ったものです。それで桑の葉にくっついて離れない虫を加えると「獨」となります。犬は一匹でも生活し、社会性を持ちません。それに対して人間が二人寄ると「从」となり、「從」の本字です。人間は犬と違いお互いに従い合い、譲り合って「群」即ち社会を構成するわけです。群は、君と羊の合字です。立派な人物を君子といいます。そして羊は同じ草原で、お互いに草を分け合って仲良く集団生活をする代表的な動物です。そういう羊の下に大(人)を書くと「美」という字になります。又譱」は二人が話し合いをするときに、一方的に自分の考えを相手に押し付けるのではなくて、相手の言うことをもよく聞いて両方が譲り合い、従い合うことによって人間関係はうまくいくわけで、これを略したのが「善」です。
 たとえば、スリッパを共用する場合、人のことを考えて、人が履(は)きやすいように脱いでおくのが、人間の在り方だと思います。

 犬と並んで人間に近い動物は猿です。猿は頭脳的にも発達して所謂「猿知恵」があります。昔の偶話に、猿の好きなどんぐりを朝三つやって夕方四つやる。次には朝四つやって夕方三つやる。ところが何と言っても朝四つで夕方三つの方でないと受け容れない。要するに刹那主義で、後のことを考えないのが猿知恵です。ところが「朝三暮四」についての話が納得できるのが人間の知恵です。例えばスリッパにしてもそうです。足のままに脱いでおけば、次に履くときに具合が悪い。だから後のことを考えて脱いでおくのが猿と違う人間の在り方です。

 修行を主とする禅寺へ行くと、よくその玄関に「脚下照顧」と書いた立札があります。脚下とは「足元」、照顧とは「振り返って見る」。履物がちゃんと脱げているか振り返って見よ。これが人間生活の第一歩だぞと暗に教えているのです。



みなさん さようなら

2016.12.08 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)にお亡くなりになった伊與田先生を偲び、2012年6月まで日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。

2010年(H22)12月13日
當下一念 (とうかいちねん)   伊與田 覺
  
 毎年正月を迎えて必ず思い出すのは、日本に於て学者にしてはじめて聖人と称せられた中江藤樹先生の遺語「當(当)下一念」です。
 その先生が十一歳の時に読んで、立派な人になろうと志を立てるきっかけになったのが、『大学』の「天子自り以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本と為す」の一句でした。

 かつて明治天皇が、創立間のない東京帝国大学をご視察された時、国家の柱石となるべき人物を養成する学府に、自分を修めるための学科、修身科がないことを大変ご心配され、後に「教育に関する勅語」を発布されました。その末尾には「朕爾(ちんなんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ拳拳服膺(けんけんふくよう)シテ咸其徳(みなそのとく)ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ」とあります。天皇も国民も目指すところは一つであり、相共にその徳を積んでいくことを願うというのであります。教育勅語にはこの『大学』の精神が息づいていたのです。
 戦後は教育勅語がいち早く廃止され、いまはその存在すら知らない者が大半だということです。ぜひ一度その尊い内容に触れていただきたいと思います。

 『大学』には「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し」という一節があります。
物には必ず本と末があり、事には必ず終りと始めがある。何を先にし、何を後にするかをわきまえて実行すれば、人の道を大きく踏み外すことはないと説かれています。

 毎年めぐりくる正月になると、誰でも心が清らかになり、新たな決意が湧いてくるものです。その尊い一念を続けて行くところに真の人生があると思います。至聖孔子はもとより僅か四十一歳で逝かれた中江藤樹先生が聖人と称されて不滅の光を放つ所以もここにあると思います。

 藤樹先生道歌
    くやむなよありし昔は是非(ぜひ)もなし
         ひたすらただせ當下一念



 

みなさん さようなら

2016.12.05 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)にお亡くなりになった伊與田先生を偲び、2012年6月まで日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。

2007年12月3日
當下一念の相続  伊與田 覺

 我々人間社会は、善悪の相対関係で動いていることが多いが、これを越えて正邪という絶対の世界があります。 天には天のルールがある。これを「天道」という。地には地のルールがある。これを地理という。この天地のルールを合せて道理といいます。その道理に叶った人間の道を「義」といいます。更に宇宙根元のルールを道ともいいます。つまりこの道を素直に受容して実践されたときに「徳」となるのです。道理、道義は、時、処、位を越えて変らないものです。これを至善と言います。相対は、「二」の世界、「至善」は「一」の世界であります。だから「至善に止まる」というのは「一に至って止まる」という意味で「正」という字になります。従って自分に都合が善いからといっても必ずしも正しいとはいえない。逆に自分には都合が悪いけれども、正しいこともあるのです。

 われわれはよく「正邪・善悪」と言いますが、厳密にいえば、大きな差異があるわけです。そこで世のリーダーたるべき立派な人物即ち大人(たいじん)は、物事を見る場合に先ず、これは正しいかどうかを考え、次に自分に都合が善いのか悪いのかを考えて行動するのです。次の人物は、自分に都合がよいが果して正しいかどうかを考えて行動する人です。ところが道理を無視して自分の都合のみによって動くものは「険を行って幸を徼(もとめ)る」最下の小人(しょうじん)です。

 今年も、はや年末を迎えましたが、果して自分はどうだったかと謙虚に反省すべきときです。クリスマスは、神の心にかえる日です。日本では正月があります。これはその名の如く正しい心・神の心にかえる月です。特に元旦の正念を継続することを「當下一念の相続」と申すのであります。



みなさん さようなら

2016.12.01 06:00|伊與田先生コラム
(毎週/月曜・木曜 更新)
11月25日(金)にお亡くなりになった伊與田先生を偲び、日新出版Web『トラック・X』に掲載された先生のコラムをアップします。伊與田先生
左: 妙典の増田家新築祝いに伊與田先生が書いて下さったお軸。(『論語』 述而第七から)
(憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂(うれい)を忘れ、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らざるのみと。)
中: 伊與田先生 (平成5年4月)
右: 湯島聖堂・斯文会での伊與田先生、後列左から4人目 
   (前列は、左から故・宇野精一先生、徳川宗家第18代ご当主徳川恒孝様、石川忠久理事長)


2008年12月1日
「誠」とは自分も他人も欺かないこと 伊與田覺

 四書の『大学』には、「意(こころばせ)を誠(まこと)にすとは、自ら欺くなきなり」とあります。意をこころばせと読んでおりますが、これは意識や感情のことです。内側に心があって、それが表面に現れてくるのです。感情もまた内側にあるものが、何かの拍子に喜怒哀楽となって外に現れるのです。

 忠という字は、中の心と書いてありますけれども、本来の意味は「自分が自分を欺かない」ということです。我々はうっかりすると自己弁護して自分を庇(かば)っている場合があり、又自分を欺いている場合もあるんですね。
 「忠」という字は、本来、自分に対するものなんです。そこから全力投球することをいうようになり、更に人に対して全力投球することをもいうようになります。
 それがだんだん後の時代になると、国家や主君に対して全力を尽くすことを忠ということになってきたのです。
 戦前の日本では「忠義」ということを鼓吹(こすい)しました反動で、戦後になると「忠」という言葉を使うことすら反対されるようになりました。辞典から「忠」がなくなったといってもいい位です。

 これに対して「信」は他人に対するものですね。自分の言ったことは必ず守る。嘘偽りのないこと、二枚舌を使わないことです。余談ですが「偽」は元来人為という意味で音は「い」で悪い意味ではありませんが、人知が発達するにつれて、行為が言葉と違う即ちうそいつわりが多くなり、音も「ぎ」と変るのです。

 自己に対しては「忠」、人に対しては「信」で、これを併せて「誠」というわけです。
 日に人倫道徳地に墜ちて暗澹(あんたん)たる現代、その教育の根本は、特に人間本具の忠、信-誠の心を幼少の時から培養することは今も昔も変わらないと思います。



プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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