みなさん さようなら

2017.04.27 05:16|NANDEMO「YOGUS」
昭和62年4月号記事中の「とらっく人国記 香川県の巻」をアップしてさらに、つづきの「香川とらっく人群像」を連載しようと思いましたが、時はすでに平成29年、もはや取材を受けた方々も引退または父と世界を同じくされているでしょう。ということで、取材先のお名前を並べて香川県をお終いにして、今回は鹿児島の龍馬像です。
・ 県下最大手企業 三豊運送 北野孝雄取締役
・ 食品で急成長 加ト吉物流 加藤義清社長
・ 重量吊り 北四国クレーン 木村博徳社長
・ 青果物重点 四国青果高速 森川義春社長
・ 高く広い視野から 加藤陸運 加藤達男社長
・ 石材輸送一本で 丸さ運送笹尾義輝社長
・ 海陸に広い業務領域 湊海運 湊保社長
・ 関西弁で奮闘中 関西陸運 平岡正三社長
・ 叩き上げの迫力 福井興業 福井正雄社長
・ 歴史の古さ堅実さ 三共運輸 三木清社長
・ 引越にも進出 瀬戸内陸運 楠木寿社長
・ 外に向けて勉強も 橋本運送 橋本修洋専務

龍馬 鹿児島

お知らせ
東京都墨田区にある「江戸東京博物館」では4月29日(土)~6月18(日)に、特別展「坂本龍馬」が開催されます。
龍馬没後約150年、愛刀の「吉行」も展示されるとのことです。詳しくは博物館のHPで。

1987年(S62) 月刊 「NewTRUCK」 4月号
NANDEMO 「YOGUS」

龍馬のハネムーン銅像 (鹿児島)

 ハワイだグアムだ、誰もが新婚旅行に出かける時代だが、昔はそうはいかなかった。 この小さな銅像に書いているように、坂本龍馬とおりょうは慶応2年春3月から約3ヵ月間鹿児島に滞在してハネムーンを送った。新婚旅行のはしりといわれるが、暢気に結婚式を挙げて薩摩へ、となったわけではない。

 この年の正月、龍馬は京都伏見の宿、寺田屋で町奉行配下に襲われた。入浴中のおりょうは裸のまま飛び出して急を告げ、護衛の武士や高杉晋作から送られたピストルによって辛くも死地を脱出して、薩摩藩邸へ匿われたのである。
 陸援隊長中岡慎太郎の媒酌で2人は正式の夫婦となり、西郷隆盛や家老小松帯刀らと共に船で薩摩入り、小松邸に滞在して霧島温泉などにも出かけている。

 このあと、長崎へ出て龍馬は国事に奔走、わずか1年半後には京都近江屋で中岡と共に暗殺された。
 おりょうはこの旅行から40年も生きて、落莫の中で横須賀で死んだが、海軍の父龍馬の妻として、海軍関係者らによって立派な墓が建てられている。
 龍馬研究の宮地佐一郎氏は萩原健一と吉永小百合に似ているというがあなたは?


スポンサーサイト

みなさん さようなら

2017.04.17 06:00|その他月刊誌記事
1987年(S62) 月刊 「NewTRUCK」 4月号

全国縦断長期シリーズ 17
とらっく人国記
香川県の巻

穏和な風土、勤勉で貯蓄好きの県民性
 宇高連絡船で高松へ渡って土讃線で郷里の土佐へ、中学生の頃からかれこれ50年、連絡船は大型になり、SLはヂーゼルに、坂出あたりの塩田はすっかり姿を消して瀬戸大橋がもうすぐ来年には開通する。
 香川県の交通地図は大きく変わりつつあるが、穏やかな瀬戸内海と、美しい小さな山が点在する讃岐平野のいわば箱庭的風景は昔と同じである。若い頃、早春のお四国88ヵ所詣りをした時、雪がまだ残る雲辺寺から一気に菜の花の一面に咲く讃岐の国に入って、ああいい国だなあと実感した記憶が鮮やかである。(雲辺寺は香川県と徳島県の西端に近い県界の海抜911メートルの山頂にある四国66番の札所)

 こういう香川県の風土は、太平洋側の高知県と全く違った県民性を生む。
 思いがけないお金が入ったとき、香川は貯金する、愛媛は物を買う、徳島は元手にして商売する、高知は飲んでしまう、という四国の小ばなしがある。高知はわが故郷なので、金がなくても飲むお国柄だからこれは当然として、香川の場合は統計的に立証されている。
 1世帯当たり貯蓄額で香川県は全国第4位、徳島は10位、愛媛は28位、高知31位で全国的に見ても高水準である。(ちなみに1位は奈良、2位東京、3位兵庫、5位福井)




続きを読む >>

みなさん さようなら

(毎週/月曜・木曜 更新)
4月12日、ペギー葉山さんが亡くなりました。今、YouTubeで「南国土佐を後にして」を流しながらアップ作業しています。
父は、この歌詞と自分の人生がダブったようでした。
昭和31年、夜逃げ同然で土佐から大阪へ。その15年後、家族と犬一匹を連れてフェリーで上京。今は郷里の遍路道にある第39番札所、延光寺の墓地に眠っています。
今週14日の金曜日、ペギー葉山さんが母の住むマンションで歌うことになっていたので一緒に聴く予定だったのに…。とても残念です。(妙)


論語2006年4月22日
悪事とも言えないような悪事を白状せよと強要された時 論語の実践

 自動車の車体を袈装するメーカーが組織している業界団体を日本自動車車体工業会(車体工業会)と言い、社団法人の資格をもっているから、公的にも認知された団体である。
 この車工会に対して国交省が、車検後不正工作をしたとして、「極めて悪質」「不正行為」「極めて遺憾」の烙印を押した文書を発送、先ず手始めに三菱ふそうの子会社パブコを槍玉に挙げた。昨年末近く、読売新聞が一面トップ記事として取り上げたので、ご記憶の読者もあるだろうから、この間の事情について少しだけ要点を述べておく。

 トラックは車検を受けた時、総重量から車両重量を差し引いた積載量が定められる。その積載量を、少しでも多く取りたいトラック業者の要望が、先ず前提にある。
 トラック業者にトラックを売る会社は、それに応えて、車両重量をできるだけ減そうとする。トラック会社から提供されるシャシはいじれないので、荷台と箱に工夫をするのだが、一般的に多く使われるのは、燃料タンクを1個だけ取り付けて車検を受けた後、もう1個か2個取り付けるという方法で、2~300㎏程度、規定より積載量が多く取れるという手法である。現実に燃料タンクを増設するのは車体メーカーがほとんどだが、車体を袈装する仕事を貰うのはトラック販売会社だから、その命令には逆らえない。この慣習は、40年以上も続いており、それを放置した監督官庁の責任は免れない。
 その監督責任には一切触れずに、一番弱い立場にある車体メーカーの業界団体の車体工業会に対して、それは法律違反の極めて悪質な不正行為であるから、傘下会員会社が、過去3年間にどれだけの不正行為をしたのか、社名と件数を出せと、文書で命令してきた。

 こういう場合、読者がもし車体工業会の会長だとか、事務局の代表者であれば、どう対応するだろうか。ひたすら、唯々諾々と命令に従って、我々の会員はこれだけ極めて悪質な不正行為をしておりました、というような資料の提出をするものだろうか。
 論語を学んでいる人には、対応方法が示されているのだが、車体工業会の人たちは残念ながらそれを知らずに、もっとも拙劣な情けない方法でお上の命令に従ったのである。

 論語に次の言葉がある。「葉(しょう)公、孔子に語りて曰く、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者あり。その父、羊を攘(ぬす)みて、子これを証す。孔子曰く、吾が党の直き者は是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中にあり。」
私が、国交省文書のコピーを見た瞬間、先ず頭に浮かんだのは、この論語の言葉だった。単純に考えれば悪事のかばい立てを奨励しているようだが、それは違う。


論語2006年4月29日
人情に乖離(かいり)した正直はない 喝破した渋沢栄一

 問題になっている「車検後不正工作」というのは、少しでも余計に荷物を積みたいトラック輸送業者に対するサービスとして、トラック販売会社が車体メーカーに指示して工作させるもので、その工作で車体メーカーが儲けているというわけではない。

 国交省は、この車体メーカーの行為を“悪質極まる不正行為である”と決め付けてその業界団体である日本自動車車体工業会(車工会)に、過去3年にわたる傘下会社が工作した件数と社名の資料の提出を命令、車工会は即座に応じて、国交省はこれを公表したから、その社名と件数が日経他のマスコミに大々的に掲載した…、のが事の顛末である。
 トラック専門誌を発行する私は、もちろんこの事実を知っていた。「車検後工作の目的は、トラック事業者の過積載だから、それを撲滅するには徹底した取り締まりがもっとも有効であり、法体系の不備を訂正すべきである」と、30数年前から論じてきた。

 先週の論語に出た話は、ある男が「私の父は羊を攘(ぬす)みました」と、証言したことを挙げて、その殿様が、我が領民にはこういう正直者がいると自慢した。それを聞いた孔子は、「私の考えは違います。子は父のために隠し、父は子のために隠す、これを直というのです」と答えた、という内容だった。古くから、この攘(ぬす)んだのは家に迷い込んだ羊をくすねたもので、積極的に外に出て盗んだものではない、それをいかにも悪事を働いたかのように証言するのは、人倫人の道に外れる行為である、と解釈されてきた。

 論語ソロバン両立、道徳経済合一説を唱えた渋沢栄一は、その著『論語講義』で、この章を次のように明快に断じている。「罪を隠すは不直なるがごときも、これ人情の至りなると同時に天理なり。直にあらずして、しかして直の義存す。父子あい隠すはこれ活理、活理は即ち真理なり、即ち天理なり。(中略)真理は古今東西に通用す。某のごときは馬鹿正直なるのみ。真正の正直にあらざるなり。安(いず)くんぞ、人情に乖離(かいり)する正直あらんや。」さすが栄一、馬鹿正直だと一刀両断に斬り捨てている。

 羊をくすねたことと、車検後工作は同日の談ではないが、少なくとも業界団体が、官庁に命令されて証言しなければならない内容の悪事ではない。官庁、トラック事業者、販売会社にも責任がある。その責任を、もっとも立場の弱い車体業界に集中して、資料提出を強要すること自体、直と情に反する行為であり、官庁の言い分を跳ね除けて、傘下会員の名誉を守ることが車体工業会の義務であり、決して恥ずべき義と直に反した行為ではない。
 車検後工作は、世界の情勢に合わなくなった現行車両法規の改正で解決する問題である。




みなさん さようなら

ホームページ論語<第48回>
2004年(H16)4月3日

中国を知り尽くした谷本氏の論語&銀座サクラ花見

 一杯機嫌でこの論語ホームページを打っている。今日4月2日は日新月例論語講座の23年目の第1回だった。昨日のホームページでお知らせした通り、お天気が良ければ論語の講義の後、銀座の花見を楽しもうと予告していた。天気は上々、花も満開、月も上弦に出て、ビルの谷間の花見としては最高の条件が揃っていた。

 最近の論語講座は、講師の私が横着を決め込んで持ち回りに聴講の方々に講義をお願いしているのだが、今回の講師役は谷本光生氏、私と同郷の高知県宿毛市出身で東大工学部電気学科卒業、八幡製鉄後の新日鐵に入社して中国上海の宝山製鉄所建設の電気関係を担当することになった。当時の中国は、毛沢東、周恩来などの革命指導者が死去して、政治的に安定する段階に到達しておらず、宝山製鉄所は政治情勢に振り回されることになった。谷本氏はその間にあって中国側と息詰まる折衝を重ねて、その経過は作家山崎豊子氏が谷本氏他に取材した小説『大地の子』の中に生き生きと描かれている。後にテレビ化されたことはご存じの通りだが、谷本氏は宝山製鉄所建設を通じて中国の裏を知り尽くすことができた数少ない日本人なのである。

 谷本氏に論語の講義を依頼することは、同氏の日頃からの言動に照らし合わせて、多少の危惧がないわけでもなかった。とんでもない論語講釈が出る危険性もあったのである。しかし、どのような論語に対する見解が出ようとも、判断するのは聴講生の皆さんであり構わないのではないかと私は考えていた。

 日本と違って中国は想像もできないほどの広さ、気候条件の均一性があって、一旦飢饉になると夥しい流民が発生して、骨肉合い食む惨状を呈することになる。これは欧州も似た状態であり、言葉にしても先ず「私は食った」というのが先に出て何を食ったのかは後になる。日本語は、「何を」が先であるが、彼らは「食う」方が先なのである。

 谷本氏は、中国側とつばぜり合いの折衝を通じて、中国とその民族について良きにつけ悪しきにつけ、表面上でない奥底まで知り尽くしてきているのである。
 従って論語のきれいごとの表現には納得できないところがあるのだろうし、この点は私もよく分かる。論語などの儒教が為政者のために利用されたのも歴史的事実だが、論語の説く仁の教えは古今東西に通じてあやまるところはないのもまた事実である。

 講義を終えて、近くの公園の満開のサクラの元で酌み交わす酒の美味しさ、都心のビルの合間から月も出て、参会者が盛り上がった論語講義の後の最高の銀座の花見であった。



みなさん さようなら

2017.04.03 06:14|コラム・巻頭・社説・社告
1987年(S62) 月刊「 NewTRUCK」4月号

月旦短言

金剛製作所の終焉を弔う
貴重な犠牲を無駄にしてはならない

 特装車メーカーの灯がひとつ消えた。
 創業50年を超えた名門金剛製作所の閉鎖解散である。倒産という最悪の事態を回避したのは賢明ともいえるが、埼玉県与野市の本社工場を売却して、群馬県前橋市に移って1年、皮肉なことに同社の主力製品のダンプ需要は昨年以降上昇に転じている、というのにである。経営陣の見通しの甘さを指摘されても仕方のないところであろう。
 この全責任を最後の小林社長に帰するのは酷であって、抜本的解決を図れないまま、現在に至らせた歴代の経営陣もその責めを負うべきである。

 同社を解散に追い込んだ遠因は労務対策のまずさで、かなりの長期にわたって正門脇に赤旗が立っていた。対外的な信用を考えた場合、これは大きなマイナスであったと思う。そのような経営陣の消極的な及び腰の姿勢が、いろいろな対応策のうえで、後手後手と廻ることになったのだろう。
 筆者が同社に出入りするようになって、16年になるが、第一次、第二次のオイルショックを経てゆく中で、同社の経営陣は確固とした方針を定めることができないまま、時勢に押し流されていった、という感じを受け続けてきた。
 同社の主力製品であるダンプなどの建設型特装車が退潮してゆくなかで、このような消極的な姿勢を取る限り、企業の発展は望むべくもないのは自明である。

 じりじり追い込まれてゆく中で、起死回生の策として断行されたのが、60年11月の与野から前橋への移転だった。
 しかし、この移転も結果としては裏目に出て、厖大な治療代を払いながら死期を早める役割しか果たせなかった。優秀な従業員は地震を予知した動物のように社を去ってゆき、生産性の向上も思うにまかせなかったようだ。さらに同社にとって不運なのは、同社の旧所有地が最近の首都周辺の土地急騰で、売却時より大幅に値上がりしていることである。泣きっ面に蜂とはこのことだろう。ダンプなどの架装工場として建設した交通不便の現工場の売却も困難が予想される。最後まで金剛に運命を托した人達や、その取引先等に対して、筆頭株主であるいすゞ自動車や金剛の経営陣が誠意を尽くすよう希望してやまない。

 名門金剛製作所の解散は“他山の石”以上の重大な教訓を車体メーカーに残した。
 「寄らば大樹の下」というが、自動車メーカーの傘下にあっても決して安泰であり得ない以上、大樹の枝に過ぎないディーラーに全面的に依存する愚かしさは言う迄もない。
 「天は自ら助くる者」しか助けない、という平凡な真理を改めて噛みしめたい。
 さらに、これを機会にダンプなど建設型特装車メーカーが流通問題に真剣に取り組むべきである。そのことを姿を消す大先輩金剛製作所に捧げるせめてものレクイエム(鎮魂)としなければならない。


プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ