FC2ブログ

みなさん さようなら

2007.01.09
飛鳥Ⅱ 硫黄島へ①12264
写真左: 大荒れの船出
写真右: 荒波の向こうに見える「八丈富士」

大荒れの海上 
さすが「飛鳥Ⅱ」の船体と悠々の船客


 12月26日夜、「飛鳥Ⅱ」は大風雨と雷鳴の横浜港を出航した。東京湾を出るとますます激しくなり、翌日の昼すぎまで海は大荒れに荒れた。

 台風銀座といわれる土佐の海岸に育ったので、大波は珍しいことではないが、風速30余メートルにも達する荒波の中を航海するのは初めて。この夜、伊豆諸島に向かう客船は運航を中止したそうである。夜中揺れつづけて朝にやっと甲板に出ると、白波がそそけ立ち、5万トン余の「飛鳥Ⅱ」も大きくピッチングとローリングを繰り返している。

「飛鳥Ⅱ」 硫黄島へ②12277

 5デッキのレストランに下りて行くと、いきなり大波がバーンとガラス窓を直撃したのには驚いた。やわなガラスなら粉々に砕け散るだろうが、そこは荒海を行く大型船、十分設計済みでも、我々の船室のある海上20メートル余りの9デッキの船尾のベランダ付き客室には室内にまで海水が浸入した、というのは想定外であったらしい。世界一周クルーズでもこのような荒天はなかったという。船で荒天の体験したのは南極に行く途中の「魔のドレーク海峡、吼えるドレーク海峡」だったが、それ以上の大波だった。さすが「飛鳥Ⅱ」の乗客で、窓を叩く大波を観賞しながら悠々と食事を取っていたのである。

「飛鳥Ⅱ」硫黄島へ③12278


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ