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みなさん さようなら

今年最後のアップは、論語で〆ました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。(妙)

黄山 旅
           2006年の中国。天気が悪いのか空気が悪いのか、殆どモノクロ写真のようです。

論語 2003年12月27日
孔子の嘆き

 歳末、論語の言葉ですぐ思い出すのは、
「子、川の上(ほとり)に在りて曰(のたま)わく、逝く者は斯(かく)の如きか。昼夜を舎(お)かず。」
である。80歳に近くなって、ますますその感が深い。
 卑近な例では、喪中につき年賀欠礼のハガキがこの暮れには例年の倍くらいにもなった。以前は、本人の親というのがほとんどだったが、本人の死を伝える夫人のそれが増えてきた。同級生の三分の一はすでに鬼籍に入っているし、毎年誰かの訃報を聞かないことはなく、いずれ後先があっても、そう長い期間にわたることはないだろう。

 この有名な「川上(せんじょう)の嘆」は、読む人それぞれで、解釈が異なる。
 行く川の流れのように、歳月は人を待たない。だから、怠らずに勉学しなければいつの間にか老人になってしまう。「少年老いやすく学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」的な、青少年を戒める言葉として解釈されるのが、教訓論語としては一般的である。

 しかし私のように、すでに老いてしまった人間にそういう教訓を垂れても、白々しい感じになるだけである。言葉通りに、川の流れを見て移ろい逝った歳月を思う老年の孔子の詠嘆だと、率直に解釈して差し支えないだろう。孔子の言葉を、何が何でも教訓に取らなければならない、という解釈は道学者に委せておけば良いと思う。

 美空ひばりの晩年、といってもまだ50歳の頃だったが「川の流れのように」という心に沁みる良い歌があった。論語の「川上の嘆」が影響しているかどうかは知らない。

 作家で『孔子』の著書がある井上靖氏の「川上の嘆」のお話を聴いたのは、平成2年に開催された湯島聖堂創建300年記念式典の特別講演会の会場だった。当時既に井上氏は重病に冒されていてかなり憔悴した感じだったが、晩年の孔子の嘆きを1時間に亘って説いた。井上氏の訃報を聞いたのはそれから間もなくである。文化勲章受章、日本作家クラブ会長など、作家としては最高の栄誉に輝いた生涯83歳最後の講演が、孔子の「川上の嘆」であったことを今改めて想っている。

 平々凡々と、大きな起伏もなく晩年を迎えた人にもそれなりの感慨があるだろう。私は今年1年だけをとってみても、さまざまのことがあった。11月11日に江戸東京博物館で開催した日新出版35年記念講演会では、ザッとかいつまんで35年以前からの50余年の足跡をお話したが、次から次へと想い出が重なって、要約するのに苦心した。
 まして、孔子である。川の流れを見て、弟子たちに「歳月人を待たずだよ。もっと学習しなさい。」と言ったとは、私には到底思われないのである。

黄山 旅2


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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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