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みなさん さようなら

2007年1月19日~24日 (硫黄島・サイパン ⑩~⑭)

 30日朝サイパンに着岸した「飛鳥Ⅱ」の船客のうち、大半は戦跡めぐりの半日コースに参加した。帰途一部の人がショッピングセンターに立ち寄った程度で、船に戻り午後5時には出航した。観光とレジャーには無関係でサイパンを離れていて、クルーズ船ならではの、きわめて敬虔なサイパン訪問者だろう。

 戦跡見学に向かって最初に訪れたのは、島の最北端のサバネタ岬とラグア・カタン岬の間の断崖ブンタン・サバネタで、通称は「バンザイクリフ」、サイパン陥落の時、米軍の投降の呼びかけを無視して「天皇陛下万歳」と叫んで多くの民間人が身を投げたところである。

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青い海と白波のラグア・カタン岬 
サイパン最北端のサバネタ岬の断崖通称バンザイクリフ(崖)


 天皇皇后両陛下は硫黄島、サイパンに慰霊のために訪れておられる。特に多くの民間人が「天皇陛下万歳」と叫んで身を投じたバンザイ・クリフの巌頭に立たれた時のお気持ちは、どうであったろうか。深々と頭を下げておられる写真が新聞に載っていた。
 多くの慰霊碑が断崖の上の広場に建っていて、その中には韓国人のものもある。

 サイパンには砂糖工場などがあって、多くの日本人が働いていた。その一部だけが本土に引き上げて、ほとんどの人は残留して軍に協力した。硫黄島では少数の民間人は引き上げて戦闘員だけの戦いになったが、サイパンでは民間人に多くの犠牲者を生み、それが悲劇に連なった。

 現在から考えると、戦闘員でない民間人がアメリカ軍に投降するのが当然ではないかと考えるが、戦時中の教育では軍民の区別なく「生きて虜囚の辱めを受けず」、敵に投降するのは日本人として恥である、という観念が徹底していた。まして、鬼畜米英兵に捕まったらどのような目に遭うかもしれないという恐怖感も大いにあったのだと思う。

 サイパン最北端のマッピ山周辺に追い詰められた民間人が、投降呼びかけにも応じることなく粛然として身を投げる光景は、米兵を戦慄させたであろうことが想像できる。

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          慰霊の観音像と日本人が最後に追い詰められたマッピ山


 司令部跡からバスでクネクネした道を登るとマッピ山の尖端に出る。スーサイド・クリフ(自殺崖)と呼ばれているところで、眼下に見える平地には日本軍の飛行場があった。

 この崖まで追い詰められた日本の民間人は、沖合いの米軍艦艇や陸上の米軍からのマイク放送による投降勧告を無視して、次々に高さ100メートル余の断崖から身を投じた。砲弾と投降勧告のマイク放送、上空を飛び交う航空機、騒然たる戦場の雰囲気の中で、子供を交えた民間人が次々に空中に身を躍らせる光景を、この地で想像することは難しい。

 バンザイ・クリフの下は海だったが、スーサイド・クリフの下は平原。米軍は累々たるその死骸の上に、ヘリコプターから促成植物のタネを蒔いて覆い隠したと言われる。

 十字架をバックにした仏像の慰霊碑がある。この悲惨な民間人の集団自決のニュースは戦後まで日本には伝えられず、学生の勤労動員で駆り出された私が軍需工場で聞いたのは、サイパン防衛軍の玉砕と「本土防衛」の掛け声だけであった。

 サイパンを飛び立ったB29による空襲が始まって、住んでいた大阪は焼け野が原になり、敗戦直前に陸軍に召集された日に原爆が落とされ、日本はボツダム宣言を受け入れて無条件降伏をした。

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写真左: スーサイド・クリフの下には日本軍の飛行場があった
写真右: 十字架を背にした仏像のあるスーサイド・クリフの慰霊碑



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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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