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みなさん さようなら

硫黄島 12539
                       「飛鳥Ⅱ」から 2007年撮影

2007年(H19) 月刊「NewTRUCK」 3月号 図書紹介

文藝春秋3月号記事と『十七歳の硫黄島』

 「飛鳥Ⅱ」で、年末から年始にかけて、硫黄島沖、サイパン、グアムを訪ねたことは本誌にも書いた。その後も、出版会での「硫黄島ブーム」は一向に衰えを見せない。
 月刊誌『文藝春秋』3月号には栗林忠道中将を主人公にした『散るぞ悲しき』の著者梯久美子さんが2月号に続いて、「硫黄島三人の若き指揮官の肖像」と題する記事を寄稿している。燃えるような夕陽に浮かぶ摺鉢山が今も強烈に筆者の瞼に残っている硫黄島には、まだまだ隠された事実、世の中に知られない事実があるようだ。それだけドラマ性にも富んでいたということだろうか。

 「飛鳥Ⅱ」に持ち込んだ硫黄島関連の図書は、映画の原作になった『父親たちの星条旗』を始め、梯さんの著書2冊、城山三郎の西中佐を描いた『硫黄島に死す』などであるが、その後もさらに月刊誌やここで紹介する『十七歳の硫黄島』などの出版が相次いでいる。

 梯さんが文春2月号で紹介した硫黄島の若き指揮官3人のうち、折口春洋については、石川県のその養父折口信夫(しのぶ)と共同の墓に詣でたこともある。その墓には「もつとも苦しき たたかひに最もくるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋ならびにその父 信夫の墓」の文字が刻まれている。春洋が小隊長として、硫黄島で戦死したのは38歳の時だった。
 この歌碑から、戦後に折口信夫の逝去する昭和28年の少し前に建てられたことが分かる。戦時中に、このようなわが子の戦死を悲しむ詠嘆の墓碑など建てられるわけがないからである。
 折口信夫は釈迢空のペンネームを持ち、戦時中に大津皇子を描いた『死者の書』を出版、筆者は強く打たれたもので、その折口父子の墓に参った10数年前が、硫黄島の戦死者を意識した最初であった。

 特攻隊もそうだが、陸海軍双方とも、死地に赴いた下級将校には、陸士、海兵卒業のいわば軍内部でのエリートコースより、一般の大学を卒業した幹部候補生、予備仕官上がりの将校が多かった。軍としては消耗品として扱ったのだが、その芽を摘み取った悲劇は数知れない。
 梯さんが若き指揮官として名を挙げた3人の折口以外の2人は、河石達吾と森茂である。

 硫黄島ではロサンゼルスオリンピックの馬術障害で金メダルを取ったバロン西竹一中佐がよく知られている。慶應義塾大学3年の時に、西と共に100m自由形で銀メダリストだった河石達吾陸軍中尉も、エリートコースの道を捨てて、新婚早々の身ごもった妻を残し、硫黄島で戦死した。32歳。
 30歳で戦死した森茂陸軍中尉は、昭和電工など森コンツェルンの後継者と目されて、東大・京大卒、三木武夫元首相の睦子夫人の弟に当たる。硫黄島では、約1000人の生還者がいるが、森の指揮した部隊では、米軍に対する組織的抵抗が終結した後、総員86名中、67名が生還したという事態が起こった。これは、森中尉が戦死した時、部下には投降するように勧めていたから、と言われる。

 『十七歳の硫黄島』は、少年通信兵として17歳で志願、硫黄島に渡り、最後の攻撃には負傷していたため参加することができず、境内で奇跡的に生存、生還した現在79歳の秋草鶴次さんが、帰国後書き留めた記録を出版したものである。硫黄島の最後を克明に追ったこの本は、摺鉢山に星条旗が揚がった後も、日の丸が掲揚された事実などの新たな事実も述べている。

 生と死の極限状態に置かれた兵士たちが何を考え、どう行動したか、読み進めていくのが恐ろしいような記述が続く。硫黄島関連の出版物には、伝聞によるものが多い中で、珍しい体験者の実録であることに本書の価値がある。

硫黄島 12324
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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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