FC2ブログ

みなさん さようなら

2018.04.12 06:00|社長の軌跡/人に四季あり
1990年(H2) 月刊「NewTRUCK」 5・6月号
人に四季あり

岡本利雄氏 ⑤

いすゞ自動車(株) 顧問

身を以て知る人事の難しさと身の処し方

増田 昭和51年に社長にご就任になりました。その時はたしか67歳で。
岡本 頭が悪くてスタートが遅かったから、何もかもそのままで、社長を辞めたのは75歳のときでした。
 この年代で社長になるというのは余り良くないですな。思い切った大きなことはできない。
―― いすゞのような大きな組織で社長が独走して思い切ったことをやるとかえって困るんじゃないですか。我々のような小さな企業ですと、社長の独断で引っ張ってゆかねばならんところもありますが。
岡本 その辺のところになると、どうお話ししていいか難しい。こうしてお会いしていても、自分の心の中にはよく思って貰いたいという気持ちと、嘘を言ってはいかんと思う矛盾したものがあります。
 前にもお話ししたように、私はここに掲げている「万変ニ処スルニ一敬ヲ主トス」の信念で、これまでやってきたのですが、今になって思い返してみますと、経営はこれだけではいけない、相手を大事にすることは勿論ですが、時には思い切ったこともやらねばならなかったのではないか、という気がします。
 その点で、自分自身の身の処し方についても甘いところがあったんじゃないだろうか、67歳で社長になって、何期目かにそれ迄の無配を脱して復配することができた、その時に辞任すべきではなかったか、今になってそう考えるのです。
―― 折角、復配に漕ぎつけたのだから、それを安定化するためにもう少し頑張ろう、ということも経営者として立派な身の処し方でしょう。
岡本 先日お話の出た尊敬する瓦斯電の大先輩の内山直さんは、ケタ外れの人で、古い人間はその過去の功績に応じて敬意を払って処遇すると同時に、若い人材もどしどし登用しました。
 私も経営者になってみて、このふたつを両立させることがいかに難しいことか、身をもって体験しました。どっちかだけならできるが、両方うまくやるのは、これは大変なことです。
―― いすゞのように歴史の古い会社では尚更でしょう。
岡本 社長在任中、よく職制改革をやりましたが、副社長を8人作ったことがあります。
 まだ若い本社技術部次長の頃、イギリスのルーツ社とヒルマンミンクスの国産化提携のための技術習得に大森工場長だった興津さん(故人)と派遣されました。ところが、工場長の下の部長のそのまた下の次長に見られるし、興津さんはスマートな紳士、こちらは小男ということもあって、お付きのように見られて、非常に損な立場で折衝しなければならなかった。
 まあ、そんな苦い経験もあるものですから、その人のキャリアと能力に応じたポストに就いて貰って、思う存分働いてほしい、ということで、8人の副社長を作ったんです。
 社長が強力な統率力の持主で自由自在に使いこなせればいいんですが。
―― 下手をすると八岐大蛇(やまたのおろち)みたいになって、ばらばらの動きをすることになりかねません。
岡本 皆さんそれぞれ立派な仕事をされて、その後も活躍されました。時々、懐かしくその当時のことを思い出すことがあります。

福通渋谷さんGMス氏
心に刻まれた人間群像

―― この対談シリーズの次のお相手は福山通運の渋谷昇会長にお願いする予定で、4月18日に福山に参ります。
 岡本さんは渋谷さんと随分親しくされていたようですね。
岡本 そうですか、お会いになったらよろしくおっしゃって下さい。
 大変な方で、東京の越中島などに、当時としては桁外れの巨大なターミナルを次々にお作りになって、福山通運の今日を築かれました。
 東海道路線に進出されることになって、箱根の山で通過するトラックを見て、購入する車を決められたという話もありますが、そのうちにいすゞの車が採用されるようになり、いすゞトラックのいいPRをさせて戴きました。
 私が社長を退任する日に合わせて500台ものトラックのご発注があって、びっくりしたこともあります。
―― それは凄いことです。余程岡本さんに惚れ込んでたのでしょう。
岡本 渋谷さんから、ある人を頼まれてお世話してさし上げたことがあります。私の在任中はずっと良くして戴いて、よく福山へも参りました。その時には役員さんを連れて駅までお出迎えになったり、恐縮したものです。
 数年前、こちらに見えて、箱根にあるいすゞの迎賓寮にご案内したら非常に喜ばれまして、うちにもこういう施設がほしいとおっしゃっていました。
―― 渋谷さんもそうですが、岡本さんは内外で随分沢山の方にお目にかかっておられます。その中でも印象に強く残っているのはやはり提携先であるGMの方々でしょうか。
岡本 現在のR・B・スミス会長が7月末で引退されることになり、後任会長にはR・C・ステンベルさんがご就任になると発表されています。
 ステンベルさんとはオペルの社長をされている時にお会いしています。2mもある堂々とした体躯の持主ですが、細かな心配りのできる方で、技術畑のこの新会長でGMは立派に立ち直るでしょう。
―― 56歳でまだまだお若いですね。社長のL・E・ロイスさんが53歳、副会長のJ・F・スミスJrが51歳、もう一人の副会長のR・J・シュルツさんが59歳、大GMのトップ層がすべて50歳代で占められているのは日本の巨大企業では余り見られない現象でしょう。
岡本 私が社長を辞める1年程前にGMで話したことですが、日本では長幼の序列を大事な要素に考えていると言うと、あちらでは候補者の中で若い方を社長にする、と言う。
―― 日本でも、序列を超えた大幅な若返り人事が話題になるようになりましたが、まだまだ少ないですね。
 あちらはトップダウンで強力な指導力を発揮しなければなりませんが、日本ではボトムアップでトップは社内の和を先ず考えるという相違がありますから、長幼序列はやはり大事でしょう。
 新聞などで見ますと、GMもなかなか大変なようですね。
岡本 何しろ従業員80万人、世界に跨がる巨大企業で、現在のような技術革新の激しい時代にトップの座を維持してゆくのはなかなか難しいことです。世界中のGMをまとめてゆくには時間がかかる。その代わりに動き出せば大きな力を発揮できるというのですが、その間に技術の方が革新して先へ進んでいって、投資が無駄になったり遅れたりすることになりかねません。GMも、もう少しスケールを小さくする必要があると思うのですがね。
―― スケールメリットを出し切れるか、企業でも国でも同じようなことが言えますね。
 GMではどなたが印象に残りますか。
岡本 提携話から現在迄、会長はローチ、ガステンバーク、マーフィー、スミスさんと4人替わりましたが、エリオット・エステス社長はずっとそのままで、昨年、空港で心臓麻痺で急死されました。この方は日本人の心情をよく理解しておられて、増田さんが論語のお話をされてもそのまま通じ合えるような方でしたよ。
 ある年、デトロイトのGM本社を訪ねたら、エステス社長は休暇を取って、別荘地にいる。会いたいと連絡すると専用機を廻すからすぐ来るように、と返事がありました。別荘はメキシコの国境に近いフェニックスにあって、東京とシンガポール程もの距離がある。そこへ軍用機を改造して、中に会議室もある専用機で飛んで行って3時間滞在しただけで、とんぼ帰りです。
―― どうも日本の社長とはスケールが違いますね。
岡本 一ヶ月位休暇を取って、アフリカへ猛獣狩りに行ったりする人もいるし、エステスさんの前任の社長さんはご自分で飛行機を操縦して事故死をされています。
―― 働くことと遊びについての考え方が、日本人と欧米人とでは根本的に違うような気がします。
 「みなさんと共に」を拝見しますとフィリピンのマルコス元大統領にも会っておられますね。
岡本 昭和53年に東京で開催される予定だったGMの海外市場についての会議が、成田開港の反対闘争で急にマニラに変更されて、その時にお会いしました。
 ちょうど治安情勢の良くない時で、国会を開く前の臨時閣議の部屋に通されまして。皆さん立ったまま、5分程して我々に気付いて握手されて、私はイメルダ夫人への宝石の入ってない宝石箱をおみやげに差し上げたのですが、率直な方という印象でした。
 そのマルコスさんがフィリピンを追われて、ハワイで客死したという報道には感無量でした。
(つづく)


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ