FC2ブログ

みなさん さようなら

2018.05.10 06:00|「周作閑話」
1990年(H2) 月刊「NewTRUCK」 5月号
周作閑話 

春の憂鬱
 毎年、春先になると憂鬱になる。人生の煩悩が生じるとか、花粉症が心配というようなデリケートなことではない。総合健康診断の時期だからである。
 別に誰から強制されて受けるのでもなく、嫌なら止めてしまえばいいようなものだが、ちっぽけな会社でも経営していれば、健康様態をチェックしておいて、もし具合が悪いとなると打つべき手は打たねばならぬ。大企業のように、社長の候補者が沢山いて、いつトップに異変があっても、スムーズに選手交代できる、という結構な環境にはない。
 しかし経営上の問題は建前であって、安心して酒を飲みたい、という方がホンネである。60代の半ばともなると、医者から止められた、翌日に酒が残って苦しい、すぐ酔ってしまう、などの理由で禁酒したり節酒している例が多いが、私の場合は相変わらず酒はうまいし、多少過ごしたなと思っても朝はすっきりしている。これだけ飲めるんだから体は大丈夫だろうと思ってみても、裏付けの保証は欲しい。

 検査を受けているのは、ある生命保険会社の診療所で、その会社が売り出している大型保障保険の私は加入者である。この保険は中小企業経営者向きのもので、保険料は掛け捨て、満期の払い戻しはない。中小企業の場合、経営者が倒れると、信用不安が起きて経営危機を招くこともある。そのピンチを回避するためにまとまった金を払うというもので、生きていては一銭も手元には入ってこない仕組みなのである。

 保険会社と加入者との賭けのようなもので、加入者がいくらも掛金を支払わないうちに、ポックリいけば保険会社は丸損、加入者が長生きして代表者を退くということになれば、掛金はすべてパー。経営者はある程度の高年者なので、会社のリスクも小さくはない。しかし、この保険はそれなりに儲かっているらしく、相当の配当金がついてくるが、これも保障額に繰り入れられて、手元には還付されない。どこまでも会社のための保険で、万一の時に会社から退職金代わりにその金を支給されても、当人は既にあの世、である。

 受診の前夜はアルコールぬきで、軽い食事だけという指示なので、うどん一杯だけ、朝は茶も水も飲まずに、日本橋にある受診所にに出向く。
 毎年1回だけの受診だが、愛想のいい受付の女性も婦長さんも、古参の看護婦さんもすっかり顔馴染みである。
 今日は少し混んでおりまして、と案内されたのは女性専用更衣室、受診は男性ばかりであるらしい。

 小水を取って、待合室で暫く待つ。昨年はスイスイといったのに、今日は先客のグループがあり、たてこんでいる。企業の定期検診者らしく、若い人もいて、病院の待合室のような暗いイメージは全くない。
 身長171cm、体重63kg、これは昨年と同じで、5年ほど前から急速に腹のあたりに肉がつくようになり、昔は随分体は軽かったのに、やや鈍重になってきた。
 裸眼視力左右とも0.4、眼鏡使用では0.7、これも変わっていない。若い頃から軽度の近視で、メガネをかけてもかけなくてもよかったが、今も読書や字を書いたり碁を打つのにはメガネは使わない。私のような仕事をしている人間にとって、メガネ不要というのは実に有難いことである。
 次いで眼底、心電図と肺活量などの検査…。

 いよいよ苦行のレントゲン撮影となる。ここの技師さんは私の知る範囲で3人目、最初はもう初老の小柄な人だった。初めてこの検査を受けたとき、前日の夜は軽い食事で、という注意書きを真に受けて、ひたすら酒を飲み、ほんの少しのおつまみだけを食べた。
 バリウムを飲んで、レントゲンを見たその技師さんが、こりゃいかん!と怒り出した。胃の中のアルコールの膜に遮られて、バリウムが都合よくゆきわたらないらしい。もう一度やり直しましょうか、と申し出るとこのままやるとの返事、殆ど喧嘩をしているようなレントゲン検査だった。具合の悪いことに私の胃には以前から小さなポリープ状のものがあるので、その実体を掴むため、検査は余計に綿密になる。

 右だ、左だ、斜めだ、もっと腰をひねって、矢継ぎ早の指示にはこちらの体の方がついてゆくことができず、終了したときはもう気息えんえん、ぐったりしていた。
 お水を余計に飲んで下さい、と注意されて、ビールでもいいだろうと、そのあとすぐビールを1本飲んだのだが、これだけでは足りなかったらしく胃の中のバリウムが固まってしまって、その排出にまた死ぬほどの思いをした。
 これに懲りて、翌年からはアルコール抜きで検査を受けたので、レントゲン技師さんも今年はきれいです、と喜ばれ、バリウム排出も楽になっていった。この技師さんはそれから2回ほど見てくれて、退職したように思う。

 毎回そうだが、詳しい結果は2週間程してから送られてきて、検査直後に、所長の所見と注意がある。
 現在の前の所長さんは元軍医で、心電図や血圧結果を見ながら、お酒は止めよとは申しません、せめて毎日2合以下に押さえて下さい、とこんこんと注意して頂いたが、この所長さんが、脳溢血か何かで倒れたという。医者の不養生だったのだろうか。
 肺にも肋膜炎の後遺症がはっきり残っており、心臓には異常があり、胃にはポリープ、それでいて、これまで1日も病気で寝たこともないし、医者のメスが入ったこともない。歯も生まれた時のままである。われながら不思議な体だと思う。
 現在の所長さんはなかなかのダンディで、お酒はお好きなだけお飲みになったらいいですよ、私もやってますから、とおっしゃる。

 検査の日、3月13日は火曜日で、毎週午前11時からお茶の水の湯島聖堂で山崎道夫先生の論語講義がある。毎週火曜には論語の講義を聴き、毎月第一金曜の夜は銀座の日新出版で、私が講義する。この日は今年度の最終講義で、その後、有志の懇親会がある。検査が手間取って、12時近くなった。タクシーを拾って湯島へ。講堂に入ると先生が、「増田さんもお見えになりましたからこれで講義は終わります」と恐れ入った終講のご挨拶、唇のところにバリウムがこびりついていると女性会員が大笑いする。

 老舗のうなぎ屋で恒例の講義納め。腹の中のバリウムはそのままで、ひたすらアルコールを注ぎ込む。昨夜はうどんだけ、朝から湯も茶も飲んでいないので、酒の回りは早い。
 85歳の先生も84歳を頭とする弟子達もいずれも芸達者揃い、大したグループだ。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ