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みなさん さようなら

2018.05.14 04:17|社長の軌跡/人に四季あり
1990年(H2)月刊「NewTRUCK」5月号

社長の軌跡 〈古往今来〉こおうこんらい
自動車精工 堀 正樹社長
自動車精工 堀氏
                     右: 堀正樹社長と堀久氏 (昭和62年5月)

― 技術の源流70年 父子二代の開発精神 ―

自動車作りひと筋の父久氏
名古屋から京都の学生時代


増田 私の郷里、高知県の柏島に戦争末期、特攻隊長として駐屯していた半谷さんが社長と八高(第八高等学校、名古屋大学の前身)の同期だと聞いてびっくりしました。(NewTRUCK2月号「周作閑話」に掲載)
  半谷君は近年、同窓会に出ても漢詩と柏島の話ばかり。増田さんが昨年20周年記念号で柏島のことを書いていたのを読んで、あれ、と思って連絡しました。
―― 縁とは不思議なものですが、名古屋の八高に行った理由は。
  大正の中頃から昭和の初期にかけて自動車の技術者として多少は知られていたオヤジ(堀久氏)が、名古屋の日本車輛に招聘されたものですから、家族も移った。私も名古屋の中学から八高に入り、京都大学というコースです。
―― 亡くなられた日本車輛の天野社長(春一氏)からお話をお聞きした時、高級乗用車を日本で初めて作ったのはウチで、昭和7年にアメリカのナッシュをモデルにした“アツタ号”を30台ばかり製作して、宮内庁や役所、陸海軍に納入したと聞きました(昭和45年1月号にも掲載)。そのあと、ご尊父にいろいろ昔話を伺ったのですが、“アツタ号”を作る時に家族も名古屋に行かれた、ということですか。
 ご尊父の自動車人生は多彩ですね。第1次世界大戦が終わったあと、農商務省の海外留学生としてフランスへ行き、ヨーロッパ各国とアメリカを廻って帰国して、ヤナセに入りますね。
  そこのところは前後関係がちょっと違う。ヤナセさんに自動車を作る計画があって、オヤジが大正7年に入社、9年から11年にかけて会社の使命と留学生両方の勉強で行ったということです。
 ただ、5台か10台は作ったようですが、7000円かけた車が3500円にしか売れない。それでヤナセさんでは自動車は作るものじゃなくて売るものだ(笑)となって、輸入車販売で発展されたわけです。
―― 1000円もあれば立派な家が買えた時代ですから、大変な値段ですな。
 ご尊父はヤナセとの間で、「日本で自動車を作る会社ができたら、その時をもって、円満退社する」という珍無類の契約を交わしていたそうですが、余程自動車がお好きだったんでしょう。
  日本車輛は戦中に入って鉄道車両生産が忙しくなり、適当なポストを用意すると言って下さったようだし、トヨタさんからもお誘いがあったらしいですが、日車を退社して東京へ戻りました。
 トヨタの喜一郎さんはヤナセ芝浦工場で暫く勉強されたこともあるようで、オヤジはその頃技師長をしていた関係でご縁があったのだと思いますね。
―― 社長は東京に戻らず京都大学に入っていますね。
堀  東大には図学の試験があって京大にはそれがない。私は機械志望なのに製図に興味はないし、高校3年間はボート生活に明け暮れてしまって、京大に行くしかなかった、ということです。
 東京へ戻ったオヤジは大久保生二さんの作られた協同国産に技術部長として参加しました。
―― いすゞと日野の前身の東京瓦斯電の製品を売るために作った会社ですな。大久保さんは大変な人物で、戦後の日野自動車の基礎づくりに大きな役割を果たしました。
  この協同国産は合併して、東京自動車といういすゞの前身の会社になりましたが、そこでは専務で、自動車技術の権威の星子亮さんに目をかけられたようです。
―― 犬塚入りはその後ですか。
  大正6年頃から住んでいた大崎では、犬塚さんとうちは向かい合わせで、創業者の先々代は私の名付け親、小さい頃から入り浸りで、どっちの家で暮らしたのか判らない暗い、学生時代になっても、訪ねると月給取りのオヤジと違って、ポンと小遣いをくれたりしました。
 両親も長い間、親戚以上のおつき合いで、オヤジもヤナセさんに勤めながら、特装車の技術面であれこれアドバイスしていたようで、大正8年頃、東京市に納入した動力式撒水車はオヤジの設計したものだと聞いています。
 特装車では、犬塚製作所と東邦特殊自動車が両横綱で、犬塚が軍需工場に指定されて、一段と拡大するためには資格を持った技術者が必要になって、オヤジが入った。
―― その犬塚も戦後すぐ辞めてますね。
  敗戦で車が作れず、ナベ・カマ作ってたから、残る気はなかったんでしょう。このあたり、自動車ひと筋の考えの純粋さと、苦労知らずの一面があったと思います。

シャシ改造で高い評価
会社設立と飼料車開発

―― 独立してトレーラをやったということですか。
  犬塚から技術者を連れてきて図面を引かせたり、材料を買い集めてトレーラを作ろうとしたんだがどうもうまくゆかない。考えてみれば世の中はトレーラどころじゃないし、朝鮮動乱前の労働運動の激しい時で工場管理はやられる。とうとう日東自動車というその会社も整理して、当時のボンネットシャシを特殊ボデー用のキャブオーバーに改造する仕事を始めた。
 これは、東神自動車、京成自動車、ヤナセ、加藤車体さんなどの工場へ、ガス切断と電気溶接の道具を持った工員を派遣する。道具担いだ大工を行かせるようなもんです。(笑)
―― それじゃ経費もかからない。
  ボデーメーカーさんのメカ部門といった感じで、この時分は大いに儲かったようです。
 目黒に工場を借りてからは、シャシを預かって、キャブオーバーへの改造、シャシ延長と短縮などの仕事を各地のボデーメーカーさんから受注するようになった。この時のご評価が後日セーコーラックを出した時に生きたように思います。
―― 社長は学校卒業して、どうしていました。
  航空技術将校になって陸軍航空工廠にいました。そのときの体験から宮仕えはもうこりどりだと痛感、オヤジと一緒に仕事をした。もっとも、勤めるところもおいそれとはなかった時代でしたが。
 キャブオーバー改造の前は修理仕事などもやっていて、昭和29年に会社を設立、しばらくは出稼ぎでしたが、30年には中目黒に工場を借りて、体裁が整ってきました。
―― 社長はその時からですか。
  オヤジはもう63歳にもなっていたし、お前がやれというものですから。
―― もう36年、長い社長生活ですな。もっとも、ご尊父は大きな夢を持って、開発に取り組む人で、あまり経営者向きじゃなかったから、いい選択だったと思いますね。
 リフトダンプが出てきたのは会社を作ってからですか。
  昭和32年からです。リフトダンプ以外にも、クレーン車、キャブバッククレーン、高所作業車、いろいろな特装車を作っていますよ。東京陸運局へも足繁く通って、技官の方が転勤の折、いろいろ勉強させて貰ったと礼状を下さったこともありました。
―― リフトダンプの後に出て、今でも主力製品の大きな柱になっている飼料運搬車はいつ頃からですか。
  昭和40年にバルパックを開発、この特長が今の全農さんに認められて採用され、42年、川口に初めて自前の工場を持って、46年に現在の工場に建て直しました。
―― 私がこの本をまだひとりでやっていた頃で、工場の披露と、飼料運搬車“フィードバック”の発表会に呼んで頂きました。
 飼料運搬車も一時期は急速に伸びましたが、現在はそれ程でもないようですね。
  市場が成熟段階に達して、餌の量も増えない。飼料運搬車全体で、年間20億ほどの需要をこれ迄、新明和、東急さんとうちで三分していたのですが、近年極東開発さんも参入されて4社体制になりました。
―― それほどの市場でもないのに、特装車の三大メーカーが製作するというのは、安定した市場だとみているんでしょう。
  さあ、どういうことなのか。ただ他の量産型のように激しい競争がないようですね。客先との平常の結びつきがものをいう業界だとはいえます。
(つづく)


   
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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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