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みなさん さようなら

勇 歌碑

             萩に来て ふと おもへらく
                  いまの世を 救はむと起つ 松陰は誰      (吉井勇)

2005年5月21日
「如是我聞 孔子伝」
老熟した一世の碩学が語る孔子の生涯 

 先週の論語に、湯島聖堂でお会いした鎌田正先生と「大漢和辞典」の諸橋轍次先生との師弟の情について述べた。鎌田先生が従軍中に戦死の報が留守宅にもたらされて、諸橋先生は慟哭したが、後で誤報と判明した事情を書いた。それは、孔子が匡(きょう)で恐ろしい目に遭った時、高弟の顔回と離れ離れになり、てっきり死んだと思った顔回が追いついた時の師弟の問答を思い出させる。
 「子、匡に畏す。顔淵後れたり。子曰く、吾女(なんじ)を以て死せりと為す。曰く、子在(いま)す。回何ぞ敢えて死せん。」(論語 先進第十一)

 鎌田先生は陸軍病院で生死の間を彷徨しながら、この顔回の言葉を思い出して、自分自身を力づけていたのだろう。論語が我々を引き付けて止まないのは、師弟の間の厳しい中にも温情溢れる問答があるからである。鎌田先生にお会いして、諸橋先生の論語の本を読みたくなり、連休中に『如是我聞(にょぜがもん) 孔子伝』上下2冊を取り出して読んだ。解説を書いているのも鎌田先生である。

 孔孟と並び称されて、論語と孟子は儒教を学ぶための必須の教典だと言われる。吉田松陰など孟子を推奨した人物も多いし、筋道はよく通って、若い者の心を奮い立たせる文章が並んでいる点では論語より上かも知れない。
 しかし、上に引用したような師弟の問答は孟子には見られない。年をとって、若い者を指導する立場になると、滋味溢れる孔子と弟子の問答のある論語が好ましくなる。

 諸橋先生が『如是我聞 孔子伝』上下2冊を書き始めたのは、80歳を過ぎてからで、4年間に亘って雑誌『大法輪』に連載したものをまとめて刊行した。如是我聞(かくの如く吾聞く)と仏教じみた言葉が先に付くのは、そのことと関係があるのかも知れない。
 孔子の生涯は、分からないことが多い。何しろ、2500年も前の人物で、孔子自身がその経歴をほとんど語っていないし、司馬遷が『史記』に孔子を取り上げたのは、ずっと後で伝承が主体になっている。その他『左伝』だとかの孔子についての書物も同様である。

 諸橋先生は「従来私は永年に亘って『論語』を熟読翫味いたしました。そこでそのイメージを本といたしまして、その上、諸書を参酌し、なるほど孔子には古人の伝えているような閲歴もあったろうかと思われるものをとりまとめて、筆をとりたいと考えておるのであります。」と本書に述べている。久しぶりに『如是我聞 孔子伝』を読んで、若い時には分からなかった事柄もやや理解できるのは、それなりの年になったということだろう。



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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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