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みなさん さようなら

浅草 ほうずき市

                7月9・10日は浅草のほうずき市 (本文と関係ありません)

2005年(H17)6月18日
過って改めないのは厚顔無恥の朝日新聞そのもの

 先週のこの欄で、東条首相を英雄として賛美したのも日本人であり、侵略戦争指導者として断罪しているのも日本人であると述べた。人物に対する評価が時代によって変わるのは珍しいことではないが、東条首相は現代史の中の人物で、筆者はその評価の激変ぶりを身をもって体験してきた世代に属する。

 中国では、同一人物に対する評価が時代によって変化する。文化革命の時には批孔運動で孔子が槍玉に挙げられた。ところが現在は論語を小学校の正課に取り入れるほどになっている。東条首相の評価も激変したが、戦後の占領下においての東京軍事裁判の裁決が最大の原因で、現在もその処断を金科玉条のように、朝日新聞などのマスコミ、野党、中国、韓国が振りかざして、首相の靖国参拝反対、A級戦犯の分祀問題を主張しているのである。 東京軍事裁判の決定を日本が受け入れたと言うが、敗戦国に選択の余地はなかった。
 戦中の朝日新聞はひたすら軍部に迎合して、国民の戦意高揚に大きな役割を果たした。戦後はもともとあった共産主義的体質を露骨に表して、親ソ連、親中国、親北朝鮮論の論調を展開して社会党の精神的支柱となった。

 中国が嵩に懸かって日本を攻撃したり、無礼な言動を繰り返すのは、朝日新聞など親中国のマスコミ論調こそ日本の世論であると中国共産党が信じているからに他ならない。朝日新聞がA級戦犯を侵略指導者として糾弾するなら、軍部の尻馬に乗って国民を戦意高揚に駆り立てた朝日新聞の責任もまた大きいと言わねばならない。

 朝日新聞の5月18日付け「孔子は嘆いていないか」と題する社説の最後は「過って改めざる、是を過つと謂う」の論語の言葉で結んでいる。朝日新聞は過ったことはなかったのか。戦時中は軍部に、戦後はかつてはソ連、現在は中国などの社会主義国家に阿諛迎合した論陣を張り続けてきたのは過ってはいなかったのか。文化大革命の暴挙を賛美したのも朝日であった。最近のNHKとの紛争も納得のいく説明はできていない。過ちを認めないで糊塗するのはマスコミの常套手段で、厚顔無恥とはまさにこのことであろう。 現代史の評価を変えたのは、大人に対してはマスコミ、青少年に対しては歴史教育である。戦後、墨で塗りつぶした教科書での教育が行われたが、墨で消された内容は全部間違っていたのか、その後に出た教科書がすべて正しいのか。東京軍事裁判の占領軍による一方的断罪に対しては、その判事団の一員だったインドのパール判事の東京裁判無効全員無罪の主張もあった。東京軍事裁判史観の評価が確定するのはかなりの時日を要する。

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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