FC2ブログ

みなさん さようなら

2018.07.26 06:00|「周作閑話」
徳不孤
               右: 孔子第77代 孔徳懋女史の書

1992年(H4)月刊 NewTRUCK 8月号
周作閑話

中国寸描 北京から曲阜へ ②

 曲阜の早朝、孔子のお墓参りに雇った輪タクの運転手に運賃を聞くと「先生随意也」と書いてよこしたことは前号に書いた。
 「随意」は中国語では「スゥーイ」というような発音で、酒席でもよく使われる。
 中国の酒といえば日本では紹興酒がよく知られている。モチ米を原料とする醸造酒で、揚子江流域の南方系であり、アルコール度は日本酒よりほんの僅か強い程度。
……
 われわれの曲阜滞在の3日間、孔子77代の直裔の孔徳懋(ぼう)女史が、女史というより優しいおばさんのような温かい雰囲気の方だったが、ご一緒して下さった孔徳懋女史は孔府家酒のメーカーの名誉会長のような役割を果たしておられ、そのパンフレットには数枚の女史の写真やPRのために書かれた書が載っている。その写真の中にラストエンペラーの溥儀元満州国皇帝の弟の溥傑氏と孔女史が乾杯している1枚がある。元皇弟の妃に日本の貴族嵯峨侯爵家の浩子姫が配され、その娘さんが日本留学中、心中事件を起こして大きな話題になったことを記憶している。

 『孔府家酒』など孔府酒庄で製造されるお酒は日本や東南アジアにも輸出され、中国の外貨獲得に一役買っているらしい。
 孔女史から巡拝団全員に『孔府家酒』2本ずつ戴いたが、その1本は紹興郊外にある王陽明の墓の上に撒き、1本は帰国した当夜の私の論語講座の後のミーティングの席で出席者が賞味した。
 曲阜でのお別れの宴のあと、ホテルの一室で女史から懇切なご挨拶があり、お酒の他に女史の書を戴く。
 書は『徳不孤必有鄰』。論語の中でも私の好きな言葉の一つである。トラックショーがやっと成立した昭和59年の第一回の開会式で「徳は孤ならず、必ず鄰あり」の言葉を述べた。孤立無援と周辺から見られる状態の中で、大きな励ましとなったこの字を戴いたのは嬉しい。

 孔徳懋女史の弟さんが台湾におられる孔徳成先生である。孔家77代の当主で、孔子直系が住んだ孔府の奥の部屋で、ここで徳成が生まれ、この部屋で徳成夫婦は住んでいた、と嬉しそうに女史は話しておられた.社会主義中国の出現で姉弟は大陸と台湾に別れ別れになり、40数年ぶりに東京で再会した。
 孔徳成先生に書いて戴いたわが社名ゆかりの『苟日新』(まことに日に新たなり)の書と女史の『有鄰』、本当に有難いことだ。

 曲阜を離れる朝は雷も伴う大雨だった。渇き切った黄土に、ロバで運んだ僅かな水をかけながら苗を植えていたあの農民達がどれ程喜んでいることか。この時節これだけの豪雨は珍しいそうである。

 名峰泰山は雨のため、ロープウェイの運行中止で登山不能、天子が泰山を祀った麓の岱(たい)廟から雲の切れ目に僅かに頂上が見えた。昨年春登った時には雪が残っていたが、楽しみにしていた一行の人達にとっては残念なことだったろう。ここには2200年前の秦代に書かれた李斯(りし)の書の石刻など、珍しい書碑がある。本殿の天貺(てんきょう)殿は、故宮、孔子廟と並ぶ中国三大建築物のひとつ。

 山東省の省都済南は黄河のすぐ南の町。有志の人達は泥沼のような道を黄河見物にバスから降りて行く。昨年は舟を繋いだフェリー桟橋に黄土を溶かした急流が押し寄せていたが、戻った人の話によると水量は少なかったそうだ。

 欠航かと心配された杭州行きの空便は厚い雲の中に飛び立ったものの、すぐ引き返した。計器不調が原因で、空港で2時間余り待機している間に叔父(伊與田覺成人教学研修所長)の王陽明についての話を聴く。講義は数知れず各地で行っている人でも、空港待合室でのそれは初めてだろう。テキストもなく1時間、陽明の生涯を語ったのはさすがと感心させられた。
 到着が大幅に遅れたこともあって、西湖見物と杭州大学訪問だけになった。杭州は名だたる観光名所、六和塔や岳王廟など訪問できなかった皆さんは心残りであったろう。

 宿舎は政府や軍幹部の泊まる保養所のような建物、窓のすぐ下は西湖の水である。杭州大学の学長さんや幹部の方をお招きしての夜宴でいい気持ちになってぐっすり寝込んで知らなかったが、夜半物凄い雷鳴と豪雨に見舞われたらしい。西湖を照らす稲妻をショーだと思ったと叔母は話したが、壮観だったろう。

 バスで紹興へ。この地域は水に恵まれ、気候も温暖、中国きっての豊かな農村地帯で、高さを競うように3階建て、中には4階の農家が並ぶ。かつて万元戸といって珍しがられたのが、今や軒並みである。曲阜郊外の、あの渇き切った畑に僅かの水を注ぎながら苗を植えていた農民達と何という相違であろう。ひたひたと水を張った田で、昔懐かしい田園風景が見られる。

 紹興は紹興酒の産地であり、魯迅(ろじん)の生地で、その旧居の一部は保存されている。土地きっての旧家、名家であった。名著『阿Q正伝』に1世紀も前の紹興の町が生き生きと描かれていて、当時の居酒屋もある。
 紹興の町外れに王陽明の墓がある。文革で破壊された跡を我々の同人である、九州大学名誉教授岡田武彦先生が主導者となって日本の有志から浄罪を募り、中国側も呼応して立派に修復した。

 王陽明墓からすぐ書聖王羲之(おうぎし)の蘭亭跡がある。この地で文人が会して曲水の宴を催した時の事を書いた『蘭亭叙』は古来の書跡の中でも最も有名で、真蹟は伝わらないものの多くの優れた写本がある。
 紹興から上海へ列車、女子乗務員がセールスウーマンに早変わりして絹のスカーフなどを売りに来た。以前は男性が掛け軸を売りに廻ってきたが、JR商魂そこのけだ。

 最終日の早朝、上海駅前のホテル食堂で復且大学日本研究中心鄭励志主任教授のお話で鄭先生とのご縁は15年にもなる。前回は自転車でやってきたのが、立派な乗用車で乗りつけた。自信に満ちた口調で、経済発展を目指す中国の新体制について話される。

 ガイドがしきりに目配せするのは空港へ行く時間を超過したからで、先生に挨拶もそこそこにタクシーに飛び乗る。前方から車や自転車がビュンビュン、交通ルール無視だ。
 空港内を駆け抜けて機中に。東京着4時。6時半から本場仕込みの論語講義で、中国の話に花が咲いた。
(おわり)


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ