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みなさん さようなら

2002年12月19日(木)

日本人を連れて行ってどうしようというのか

 重慶は日中戦争の時、蒋介石総統が国民党政府と軍を率いて立てこもったところ。南京はその前の中国の首都で、日本軍が南京を陥落させたのは私が小学校5年生の時だった。松井石根司令官が南京入城する写真を新聞で見た記憶がある。「南京虐殺事件」が東京軍事裁判で取り上げられて、松井陸軍大将は絞首刑に処せられた。蒋介石総統は「怨みに報いるに徳を以てす」と、寛大な処置で日本軍や市民を日本の送り返した。論語には「怨みに報いるに直を以てす」とあり、報復的な処置を執られても仕方のないところだった。

 南京事件が騒がれることになったのは敗戦から30年余も立ってからで、30万人の市民の犠牲者が出たと言われたりしたが、当時の南京には30万人もの市民はおらず、その実体ははっきりしない。日本側のマスコミや一部の人が煽ったのも事実である。

 「呉越会」で南京観光の時、虐殺記念館に日本人は良く行きますがどうしますかと、現地ガイドが聞いたが、その必要はないと撥ねつけた。当時の日本軍の兵士は殆ど生存していない。我々の先輩の日本人が、こんな悪いことをしました、子孫は永久にその償いをしなければなりません、というのでは余りにも今の日本人が惨めで気の毒ではないか。


2002年12月20日(金)

日本で結婚した中国近代化の最大功労者孫文
「呉越会」飛行機をトラックが追いかける


 中国の長い帝政を廃止して共和制を敷いた最大の功労者は孫文である。南京の広大な中山陵に葬られて、北京の「毛沢東記念堂」と同じく参拝の人が途絶えることがない。

 孫文の革命活動を助けた日本人は多く、たびたび来日しているし、宋3姉妹のひとり宋慶齢との結婚式も日本の支援者梅屋荘吉宅で行われている。宋慶齢の妹で蒋介石夫人だった宋美齢は、105歳で今もニューヨークで健在である。2人とも美人で有名だった。

 中山陵を参拝して、空港から青島に向けて出発しようとした時にハプニングが起きた。「呉越会」参加者の、機内預けの荷物が積めないというのである。南京~青島間のローカル便は小型機なので、元もと満員になったことがない。そんな機に18人もの「呉越会」員が乗り込むことになり満員、しかも重たい荷物携行というのだから重量オーバーで飛び立てない。

 現地ガイドの戴さんが、ともかく先に行って下さい、荷物は今夜中に必ず届けますと言うので機内に乗り込んだ。結果として、荷物は戴さんと2人の運転手が交代してノンストップで700キロメートル近い高速道路は部分的な道程を走りきって、2時40分青島着、3人はぶっ倒れて寝てしまった。飛行機をトラックが追いかけた涙ぐましい話である。




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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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