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みなさん さようなら

2018.08.13 06:00|その他月刊誌記事
私の8月15日 その②

靖国神社 2001年8月⑮日
              2001年8月15日の靖国神社

1975年(S50) 月刊「特装車とトレーラ」 10月号

神道は本来理論を持たない
 日本文化は受容の文化、外来の文化をたやすく受け入れ、同化してゆく特質があり、これは宗教でも同じことである。そもそも神道が宗教であるかどうか、これも議論のあるところで、本来の神道には理論はない。儒教、仏教が入ってから理論体系らしいものができたのだがそれも稀薄で、ここに国家統制のやり易い面もある。
 理論がないから攻撃的でなく、仏教に見られる政治干与、の苛烈な争い、日蓮から出た日蓮宗、立正佼成会、創価学会の争いのようなことは神道には見られないし、キリスト教の歴史にある宗教戦争、異端審問などということもない。

 神道を宗教とすれば世界で最も平和的で、清く明るい宗教であろう。たとえ国家的に戦争に利用しようと思っても、大した利用価値はなかった。昭和8年、私は小学校へ入学したのだが、それから終戦の時まで学校で特に神道の教育を受けた記憶がない。伊勢神宮参拝や、第二次大戦の始まった12月8日の大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)の神社参拝はあったが、別にどうということはなかった。伊勢神宮や靖国神社を国の手でお守りしてもそれがすぐ戦争につながるとは思えない。

靖国神社のご祭神は身内
 どうもアメリカは神道の力を過大視していたようで、体当たり攻撃の特別攻撃隊に「神風」という名を付けたものだから余計に恐怖を感じたものであろう。アメリカとしては、日本でのキリスト教の勢力を強めたいと考えていたのか、片山哲氏が社会党、民主党の連合政権を作った時(昭和22年)、マッカーサーは「日本、中国、韓国の指導者が揃ってキリスト教であることはまことに喜ばしい」というバカげた談話を発表した。中国は蒋介石、韓国は李承晩がそれぞれキリスト教であったからで、こういう談話が新聞のトップに載っていた頃、今の憲法は作られたのである。

 終戦30年、マッカーサーが期待した程、日本ではキリスト教が伸びなかったし、初詣、各地のお祭は年々盛んになっている。明治神宮の初詣はヤングが実に多いし、一時は神輿(みこし)の担ぎ手がなくて困った東京の三社祭なども、今年は希望者が殺到したそうである。日本人の基調は大して変わっていない。靖国神社国家護持に反対しているのは、キリスト教、仏教などの宗教関係、革新政党、などである。信教は個人の自由である、これを国で強制すべきものではあるまい。国民的信仰を欠いていくら国家が護持しようとしても、それは形骸だけで永続しない。伊勢神宮にしても奈良東大寺にしても、国民的信仰があったればこそ、いろいろな時代があっても千数百年の伝統を保持できたのである。

 神社のご祭神は、伊勢神宮のように象徴的な神様、明治神宮や乃木神社のようにかつて実在した神様、と二様にわかれるけれども、靖国神社はいささか事情が違って、私達の身近な人が祭神になっている。
 警官や消防手、その他の殉職者には、普通の死者と違った恩典が与えられているし、それを当然として怪しまない。靖国神社は国の殉職者を合祀したもので、それが神社形式をとっているに過ぎない。無宗教でお祀りするというのもまことに奇妙である。

 キリスト教徒も仏教徒も革新政党もマスコミも、もっと大らかになれないものか。それぞれのご祭神は、懐かしい故郷では仏教形式で祀られている場合が殆どであろう。ご祭神はいわば身内、それを国で祀って神道復活、戦争直結、は余りにも短絡的であり神経質すぎる。政府が勇断をもって当たれば、靖国神社国家護持は案外すんなりゆくのではないか。


靖国神社国家護持署名運動
                 靖国神社国家護持の署名運動

泡盛で酔っ払う 酒歴も30年
 原さんとお別れして、早々と帰宅。
 お酒の方も終戦30周年記念というわけで、友人から頂戴した沖縄みやげの泡盛の栓を抜く。私の酒も終戦前後の芋焼酎から始まっているので、この方の歴史もほぼ30年になる。

 泡盛は芋焼酎ほどの臭いはなく、アッサリしている。この30年のことを回想し、女房と語らいながら杯を重ねる。女房とも20周年を何年か過ぎた。ついつい量を過ごして、いい気持ちに酔っ払う。珍しいことである。

 それにしてもこの30年、焼酎、酒、ウイスキーと品は変われどもよくぞ飲み続けた。いや、病気ひとつせず飲み続けられたことに感謝すべきであるかも知れない。ああ30年!
(おわり)

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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