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みなさん さようなら

2018.08.30 09:30|「周作閑話」
靖国神社 2005年 8068

2001年(H13) 月刊「NewTRUCK」 8月号
周作閑話

アメリカの文明で裁かれた日本

……
 メイフラワー号に乗っていた自らを「聖徒」と名乗る清教徒102人は、上陸に先立って「自由な市民として公正な法律のもとに生活をする」ことを誓って誓約書に署名した。アメリカンデモクラシーの原点はここにあると、アメリカの教科書は教えている。だが、その102人の中で純粋の清教徒は41人に過ぎず、残りは貧困な母国での生活から逃れようとする人達だった。

 メイフラワー号で清教徒達がプリマスに上陸したのは1620年だが、その10年ほど前から組織的な白人の入植は始まっていた。ニューヨークにオランダ人が入ったのはイギリスの清教徒がプリマスに上陸するより早かった。それにもかかわらず、清教徒の入植を移民第一号としてこだわるのは、アメリカ人のルーツがヨーロッパの食い詰め者であっては、アメリカの沽券(こけん)に関わると考えたからだろう。
 “我々はヨーロッパにも実現していない、デモクラシーの高らかな文明の理想を新大陸に持ち込んだのである”という自負と信念は、現在にまでアメリカ人、特に東部のニューイングランドの人達に引き継がれている。

 アメリカ随一の名門ハーバード大学がボストンに創立されたのは、清教徒入植から僅か16年後の1636年、独立宣言の140年も前、入植地の体制がまだ整わない時期に大学を立ち上げたのだから、新天地建設にかける入植者達の熱意に驚かざるを得ない。
 この事実は、初期の移民の中には多くの真剣な理想に燃えた人達、かなりの資産を携えて入植した人達がいたことを示している。新大陸の情報もかなり正確に伝えられるようになっていたのだろう。

 しかし、新天地建設の理想はあくまでも白人のためで、先住民族であるインディアンに対しては全然配慮されていなかった。当初は食料の調達など両者の間に取引はあったが、次第にインディアンが邪魔者になり、追い詰めて敵対関係に入ってゆく。
 そして労働力としてはアフリカから黒人を連れてきて、アメリカ史の一大汚点である奴隷制度を導入した。つまり、先住民族を放逐して、黒人を奴隷の境遇に陥れて新天地は建設されていったのである。人権を声高に叫ぶアメリカに、白人以外の人権を無視した時代があった。

 アメリカ人だけではなくて白人には、西欧文明こそ文明である、という強固な思い入れがある。日本人にもそれがあって、『文明論之概略』を欠いた福沢諭吉は必ずしも日本の文明を全面的に否定したわけではなかったが、旧弊から脱しきれない儒教的思想を痛烈に批判したことで、西欧文明の心酔者・崇拝者を知識人に広めた。この傾向は現在まで余り変わっていない。
 
私の少年時代から日本がアメリカに負けたときの19歳の夏まで、既に教育の現場では、西欧文明的な面は殆ど影を潜めていた。その反動もあって、敗戦の直後から始まった強烈な西欧文明の流入は、日本の文明を全否定する動きになった。
 占領軍司令官マッカーサーをまじめに救世主だと思う人は多かったし、日本は今にも社会主義国家になると信じた学生も回りには沢山いた。そういう風潮に真っ向から反対した私は、変人の扱いを受けて孤立を余儀なくされるような時代相だった。

 極東国際軍事裁判(以下東京裁判と略称)が開廷したのは敗戦の翌年、昭和21年(1946)5月3日だった。ほぼ2年半の後の23年11月12日に、東条英機ら7人に絞首刑、他の18人に無期、または有期刑を宣告して閉廷した。刑の執行は12月23日だった。宣告当日の街角には25名の氏名を書いた大きな掲示板が作られ、判決の結果が判明するにつれて書き込まれていった。その度に起こった、嘆息ともつかない押し殺したようなその場の情景は、半世紀以上たった今も忘れることはできない。

 戦いの勝者が敗者の首をはねるのは戦国時代では当然のことで、殺されないまでも降伏の条件として切腹するなど、敗戦の武将としては覚悟しなければならないことだった。お前達は負けたのだから死刑にするという論理なら理解できるのだが、東京裁判では『文明の敵』として勝者が一方的に敗者を裁いたことが、どうしても納得できなかった。

 最近入手した『「文明の裁き」をこえて――対日戦犯裁判読解の試み』(牛村圭著 中公叢書)は、長い間の疑問を氷解させるに足る力作だった。この書物と出会ったことは、今年の大きな収穫だったと言っていい。
 「(前略)彼等は文明に対し宣戦を布告しました。彼等は法則を作りそして争点を裁決しました。彼等は民主主義と其の本質的基礎即ち人格の自由と尊重を破壊せんと決意しました。彼等は人民に依る人民の為の人民の政治は根絶さるべきで、彼等の所謂新秩序が確立さるべきだと決意しました。・・・・彼等は偉大なる民主主義に対し侵略的戦争を計画し準備し且つ開始したのでした。」
 東京裁判の首席検察官ジョゼフ・B・キーナンの冒頭陳述の最初の部分である。ここでいう文明とは西欧、特に人民うんぬんの言葉に見られるようにアメリカの文明を指しているのは明らかである。

 『文明の裁きを超えて』で、著者は厖大な資料を駆使して、東京裁判が東西両文明の激突の場であったと述べる。被告はもちろん、判事や弁護人の中にも、文明の相違について意見を発表した人物はいる。最もよく知られているインド代表判事のラダビノド・パルは「(この)裁判を行うことは、敗戦者を即時殺戮した昔と我々の間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。(この)裁判は、復讐の欲望を満たすために、法律的手続きを踏んでいるようなふりをするものにほかならない。」「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだ戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾の使用の決定が、第一次大戦のドイツ皇帝の指令及び、第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である。」「真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府におくってものと同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも合衆国にたいして矛を取って起ちあがったであろう。」と個人的見解を述べて大きな反響を呼んだ。

 最近発行の『真珠湾の真実』(文藝春秋刊)は、真珠湾攻撃を予測していながら、艦隊と兵員を見殺しにした米国大統領の欺瞞性を完璧に摘出している。
 著者の牛村氏は42歳の少壮学究で、東京裁判の結果を息を呑んで見つめていた私とは世代が全く違っているが、それだけに客観的に、感情を交えることなく、入手可能な資料を駆使して東京裁判の虚構を暴き出すと共に、その真実に迫っている。
 誤った東京裁判史観が、今も一部のマスコミや文化人と称する人達を支配して、教科書や靖国問題で、中国や韓国に乗ずる口実を与えている。
 現代史を読み解く最適の一冊として、是非お読みいただきたい。あなたの現代を見る目が変わるのは絶対に間違いない。

遊就館 碑文 8071

      靖国神社 遊就館前 パール判事碑文




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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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