FC2ブログ

みなさん さようなら

2018.09.03 05:44|その他月刊誌記事
復元 メイフラワー号
                 復元された「メイフラワー号」

2001年(H13) 月刊「NewTRUCK」 8月号
世界の旅

アメリカの原点

 コロンブスの新大陸発見は1492年で、ほぼ100年後の17世紀初めからイギリス、フランス、オランダの移民が相次いで新大陸の土を踏んだ。
 それにも関わらず、1620年にボストンの南のプリマスに上陸した移民の一団がアメリカ移民の第一号と言われるのは、それまでの移民がいわば新大陸で一旗揚げようという、一攫千金組だったからである。
 日本のようにはるか昔の建国神話を持たないアメリカでは、先住民族のインディアンを自分達の先祖だとも言えず、かといって一旗組の白人をルーツに担ぐこともプライドが許さない。

 そこで信仰の自由を掲げて「メイフラワー号」に乗船して、プリマスに上陸した102名の清教徒が、移民第一号に仕立て上げられたのである。
 彼等は他の移民のように金銭を求めて新大陸に渡ったのではない。その目的は信仰の自由であり、謹厳実直、保守的ないわゆるピューリタン精神による「新世界建設」であった、といわれている。
 古き良きアメリカのバックボーンとも言うべきこのピューリタン精神は、決して消え失せたわけではないが、人種のるつぼといわれる現代のアメリカではやや色あせた感じである。

プリマス ②

左: 初期に入植した人達の墓
右: 観光客に説明する髭の船員


 それでも、ボストンを中心にしたニューイングランド地方には、その気風が現在でも色濃く残っていると言われる。
 ボストンからプリマス観光のバスに乗り込んだ東洋人は我々夫婦だけ、他は実直そうな、中高年の白人の男女である。はじめは、どうしてここに日本人が?という不審そうな視線に曝されたが、それにも慣れて1日のツアーを一緒に楽しむことができた。
 ニューヨークやサンフランシスコで見る陽気なアメリカ人とどこか違う、どちらかと言えば寡黙であり、オーバーなジェスチャーもない。こういうタイプのアメリカ人の団体を見ることは珍しい。やはり建国の聖地だからだろう。

プリマス ④
左: 観光客に当時の話をする婦人
右: 調理も当時の方法で行っている
       

復元「メイフラワー号」
当時の衣装で働く人達

 102人の清教徒をヨーロッパからプリマスに運んだ「メイフラワー号」は、復元の上、桟橋に繋留されている。
 長さ35m、180tの「 メイフラワー号」はその出航までゴタゴタ続きで、102人の清教徒といっても全員が自ら『聖徒』と称する敬虔な信仰の持主ではなかった。純粋の清教徒は41名に過ぎず、貧困な母国での生活を逃れようというだけの英国教会のメンバーも混じっていた。いわば呉越同舟の移民だったのである。

 それでも彼等は上陸に先立って契約書に署名して、自由な市民として公正な法律の下に生活することを誓った。これがアメリカン・デモクラシーの原点だということになっている。

 しかし、上陸したのは11月で、すぐ厳しい冬がやってきた。
 住まいも確保されていないし、食糧も底をつく。インディアンから食べ物を盗んだり、その首長を謀殺したりして飢えを凌いだ。アメリカン・デモクラシーは彼等だけのもので、先住民のインディアンには適用されなかったのである。
 飢えと寒さと病気で、上陸した冬の間に、半数以上の人が死んだと伝えられている。移民にとっても厳しい冬だったが、闖入者(ちんにゅうしゃ)に食糧を盗まれたり、首長を殺されたインディアンこそ大迷惑で、アメリカン・デモクラシーは白人だけのものという伝統は、この後も長い間続くのである。なお、清教徒達より先にヴァージニアに入植した移民は、1629年に早くもアフリカから黒人を労働力として連れてきている。

プリマス


 そのような経緯はあるにせよ、プリマスはアメリカ建国の聖地である。その聖地を保存するために払われている努力と経費は、我々の想像を絶するものがある。「メイフラワー号」や、当時の植民地の状態を復元して、その時代の衣装を身につけた多くの男女が、昔のように働きながら観光客に説明をしている。

プリマス ⑤

 世界の各地で昔の村や風俗を復元して公開しているところはあるが、このプリマスほど多くの人々が、その時代の服装で応対しているところを知らない。
 驚いたのは、2人の男が掘り下げた穴の上下で大きな材木を鋸で挽いていることで、相当な重労働に違いない。女性達も昔の衣装で昔ながらの方法で調理をしていて、堂に入ったものである。

 新大陸にヨーロッパから移民が渡ってきてからほぼ400年、アメリカは偉大な国になったが、そのために払った犠牲と代償も決して小さくはないのである。

プリマス ③
                 居住民は防衛のための訓練も実施した




スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

人が好き 歴史が好き みなさんようこそ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

  • ページトップへ
  • ホームへ