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みなさん さようなら

2018.09.10 06:00|「周作閑話」
1982年(S57) 月刊 「特装車とトレーラ」 9月号
周作閑話

年寄りだけの出版社

 独り歩きというものは、相手がいないから喋ることも出来ず、二宮金次郎式に本も読めない。結局、何かを考えながら歩くことになる。木曽谷を中心にした中山道5泊6日の独り歩きの間も、いろいろなことを考えたり夢想したりした。
 まあ取り止めのないことが多いのだが、その中には将来の構想としてやや具体性を帯びたものも交じっており、一芸一能に秀でた老人を結集した出版社の設立というものもある。

 帰京した7月初めの日曜日の夜、昨年嫁がせた次女に男児が生まれ、早速駆けつけて初めての孫と対面、とうとうおじいさんになってしまった。
 7月10日、文藝春秋8月号購入、“特集・臨調・土光敏夫の蛮勇”を興味深く読む。
 7月12日、私の論語講座の4回目、為政第二の「吾十有五ニシテ学ニ志シ、三十ニシテ立チ、四十ニシテ惑ワズ、五十ニシテ天命ヲ知リ、六十ニシテ耳順イ、七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従エドモ矩(のり)ヲ蝓(こ)エズ」などを自己流に講釈する。
 7月19日朝、京都の相互車輌中川社長に会い、老人だけの出版社設立の構想を話して激励を受けた。中川社長は77歳、喜寿の賀はこの秋らしい。

 7月22日出勤の車中で、島崎藤村の短篇『分配』を読み「私は旅人のような心で、今まで通りのごくあたりまえな生を続けたかった。家は私の宿屋で、子供等は私の道連れだ。その日、その日に不自由さえなくば、それでこの世の旅は足りる。私に肝要なものは、余生を保障するような金よりも強い足腰の骨であった。」とあるのに正にわが意を得たものと大感激。木曽を歩く前あたりから藤村に興味を持つようになり、藤村の著作は全部読破するという計画を実行中である。
 7月23日夜、NHKテレビの「85歳の執念・行革の顔・土光敏夫」を視聴、その質素で充実した日常生活にはただただ脱帽のほかなかった。

 6月の終わりから7月にかけての身辺雑事を書き連ねたが、その間のニュースとしては“平均寿命80歳に迫る・女79.13、男73.79 世界で異例の長命”(7月18日)「米価値上げに激怒・土光臨調会長 基本答申後に辞任も」(7月23日 いずれも朝日新聞)などがあった。
 これら一連の身辺雑事やニュースに共通するものは、私自身の老後をどう生きるか、さらに多少気取って言えば、その生き方と国家なり、社会とどうかかわり合いを持たせるか、という命題である。

 定年延長もかなり普及して、55歳でバッサリということは余りなくなったが、役職を外されるなど、私の周辺にもそのような人が多くなってきた。私の場合は一応オーナーであるし、仕事の内容も心身が健全であれば差し障りの出るものではないから、そうバタバタすることはない。しかし、老後をどう生きるか常に私の頭の中にあって、30年代の終わりに所謂脱サラを果たして、40年代は苦労の連続、東京に新天地を求めて悪戦苦闘した。

 藤村は在世中と言うより、むしろ死後において『夜明け前』『破戒』などの大ベストセラーで遺族、出版社を潤し続け、さらに妻籠(つまご)、馬籠(まごめ)の宿場復活の原動力となった偉業を果たした。

 孔子については今更言うまでもないことであるが、現実の政治改革の理想は破れたものの、優れた弟子を教育する過程での言行録『論語』によって、2千数百年の間、東洋はおろか世界の思想に大きな影響力を与え続けている。

 土光さんは今やまさに“時の人”である。人もなげな振る舞いをする政治家の心胆を寒からしめることの出来る人は他にいない。マスコミが束になってかかってもかなわぬだけの迫力がこの人にはある。土光さんの日常生活で私が何とか真似事のできるのは、土光さんのように毎朝4時起床と決めていないが平均すると大体4時になる早起きと、日蓮宗による朝晩の読経で、これを欠かしたことはない。

 中川さんを他の3人と比較するのはいささか的を失しているとは思うが、私の仕事に直接関わりのある長老で、その生き方には教えられるところが極めて大きい。
 これらの人物は、その活躍の本舞台がいずれも老年期に入ってからであるのが共通している。孔子がその出生地魯の国を出て諸国遍歴の旅に出たのは55歳の時で、その不自由な旅は14年も続いた。 藤村がその畢生(ひっせい)の大作『夜明け前』の著述の決意を固めたのが56歳、土光さんも石川島播磨の合併、東芝再建の大事業に取りかかったのは70歳代に入ってから、行革に取り組んでいる現在は85歳である。中川さんも近畿車体協会を設立したのは60歳を過ぎてからで77歳の現在迄、業界の重鎮として活躍している。
……
 文藝春秋8月号で、土光さんが香山健一氏との対談で自助自立の精神を説いている。これからの日本を考える場合、根本的な命題は国民意識が国にダッコ、企業にオンブといった寄りかかり、もたれかかりから脱却して自助自立をどのようにして確立するかにあると思う。
 一芸一能の持主を糾合して老人達だけの出版社を作りたいと私が思うのも、自助自立精神の具体化なのである。知り合った人達の中には秀れた特技や知識を持ちながら、冷酷な企業内の競争に敗れて定年を迎えることになった人達も多い。私自身、サラリーマン生活から離れて、本作りの世界に飛び込んで初めて魚が水を得たのである。若しサラリーマンを続けていたら脾(ひ)肉の嘆をかこつ不平社員として終わらねばならなかったであろう。
 出版事業には、中高年の能力が十分に活かせる分野がかなり存在する。アンアン、ノンノやピア、芸能雑誌などは無理としても、じっくり腰を据えて日本の良さを後世に伝えるような地味な出版活動にはむしろ中高年の方が適任であろう。…社員の条件、60歳以上という出版社があってもいいではないか。



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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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