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みなさん さようなら

2018.09.20 06:00|「幽冥録」
1994年(H6)月刊 「NewTRUCK」 9月号
幽冥録

藤田利太郎氏
フジタ自動車工業(株)会長
現場第一主義を貫いた78歳の生涯

フジタ自動車工業(株)会長 1991年
       藤田利太郎会長 (平成3年8月)


 戦後の車体工業を支えた柱がまた消えた。徒手空拳で事業を興して約40年間、常に陣頭に立ち続けた藤田会長は亡くなる1週間前の7月30日まで工場に出ていた。その夜、心筋梗塞の発作が起こって入院、快方に向かっていると見られていたが、8月6日の朝急変、8時半に死去した。
 翌7日の社葬では故会長をよく知る葬儀委員長、合田商事の合田武社長ほか地区会長、社員代表の弔辞が続いて公私両面にわたり、その事業手腕、人徳を讃えていた。私には町工場のオヤジさんが、事業が大きくなるにつれて人間の方もぐんぐん大きくなり、幅もでき、事業家としても人間としても円熟の境地に達しての大往生であったように思える。

 しかし、若い時から目端はきいた方であったらしく、軍隊当時、会長の部下であった人が戦友会の代表として私の席の隣に坐っていて当時のことを語りながら、やはり何かはやる人だと思っていた、戦友会にもよく出席してくれたが、と追憶していた。
 少年時代、勤め先の使いに出されて時、溶接の火花を見て、どうしてもあれをやりたいと戦地から帰った後に、小さな町工場を興したのが、現在のフジタ自動車の前身である。高度成長によるモータリゼーションの高まりと、四国の玄関口高松という天の時、地の利が幸いしたとはいえ、決め手となったのは生来の機会好きによる先見と人並み外れた努力、ヴァイタリティであったと思う。

 現場第一主義を貫いた人で、晩年に至るまで事務所に坐ることより工場内外へ出て、何くれとなく指示して、トラックの誘導をしているのを見かけたこともある。
 高松は私の郷里土佐への往還の途中でもあり、フジタはよく訪問した。恐らく地方の車体メーカーとしては一番多かったと思う。会長、当時の社長とお会いしたのは20年、もっと前のことで、堂々たる押し出しであるし、口数もごく少なく、始めのうちは少し怖かったが、回数を重ねるごとに打ち解けて喋るようになったのはお互い、年輪を重ねたからだろう。大正5年生まれ、丁度10歳上だった。
 いかつい風貌に似合わず、さしで話す時の声は女性的ですらあった。ちょっとはにかむような仕草に何とも言えない愛敬のようなものを感じた。

 何年前になるか、工場内を案内して、あそこに従業員の食堂と休憩所を作る、大事にせにゃいけんけ、と話していた。実に細かい気配りのできる人で、訪問するたびになにがしかの品を頂いたし、滅多に外に出ない人が、日新出版の20周年、25周年祝典にはお越し頂いた。4月15日、日本工業倶楽部でお会いしたのが最後である。

 3年近く前、もう和久さんに社長をお譲りになって一段高いところから会社を見るようになさったら、と直言したことがある。真剣に聞いた会長は、よくわかっているが、今その時期を見ているとの話であった。その後間もなく、和久氏の社長就任は実現した。
 現場第一主義の会長を支えて内外に活躍したのが昨年10月に死去した西岡昭常務で、葬儀当日会長は、40年来の無二の親友との別れはまことに悲しいと哀切きわまる弔辞を述べた。その同じ祭壇に身を横たえて、今度は多くの人達に送られたのだが、その間僅か10ヵ月足らずである。

 天空で西岡さんがオートバイで待ち構えていて、若かりし日の2人のように縦横に乗り廻す姿が目に浮かぶ。
 フジタの第1世代は名実ともに去った。和久社長の責任は重いが、会う度に大きくなっている。
 謹んで大光院釋利公居士のご冥福を祈る。



 
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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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