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みなさん さようなら

2018.10.01 08:40|外部 寄稿者
1991年(H3) 月刊「NewTRUCK」 10月号 外部寄稿
東欧州2700km ひた走りの旅 その①

戦後46年なお残る傷痕と押し寄せる自由化の波
イーワンエンジニアリング(有) 島西 保 代表取締役

統一ベルリンの繁栄
 盆休みにはまだまだ3週間余りもあるという7月20日。小雨降る成田を午後1時アエロフロート機が出発。今回の旅行はキャンプ好きの一行、8年ぶりにヨーロッパに連れ出した妻と、気心の知れた5人連れ、東ヨーロッパのサービスの悪さを予感するかのように飛び立つ前から機内での湿気に耐えきれないのか、クーラーの吹き出し口に結露した水滴がポタポタと雨のように落ち、機内で傘を拡げたい気持ちになったが、年増のスチュワーデスは拭こうともせずに、日本の湿気にはどうしようもないのよ、といわんばかりの知らぬ顔だ。その上、離陸する前から配りだしたビール、これがちゃんと250円をとっている。西側のサービスはこんなものではないぞと、行く前から自分に言い聞かす。

 西に西に太陽を追いかけてシベリア大陸を飛ぶこと10時間、モスクワでベルリン行きに乗り換え夕方8時前には旧東ベルリンの空港に無事到着する。当空港はあちこちに自然が残され、森の中の空港という雰囲気だ。折から降り出した雨の中をベンツのタクシーで走ること30分、夕闇迫る頃ベルリンのペンタホテルに到着し、これから始まる旅の無事を祈り一行5名、ビールで乾杯する。

 翌21日、雨上がりの清々しい街を地図を頼りに旧西ベルリンからブランデンブルグ門を目指し観光に出る。公園がすでに森になっており、その中に幾すじかの散歩道があり、この公園を抜けるとすぐにブランデンブルグ門前の広場に出た。広場の両側の駐車場には各国から来たキャンピングカーが駐車して宿泊したキャンパーが大勢いるのを見る限り、東西に分断された頃には見られない光景だろうと想像した。町並みはどこか古びた感じで40数年東側に支配されていた暗さが感じられる。

 しかし、街のあちこちを掘り返し、古い鋳鉄製ガスパイプを最新のプラスチックパイプに交換したり、古い住宅を改修したりしているのを見ると、やがてはドイツの首都ベルリンとしての体制が整っていくのを感じられる。

ポツダムへの道
 7月22日、日本で予約したハーツへレンタカーを借りに行く。この営業所では予約した東欧での車の乗り捨ては出来ないと、パンフレットを見せられ真っ青になる。これからチェコ、ポーランドと旧共産圏の予定だというのに…。日本にも電話を入れてなんとか予定通りプラハの乗り捨てがOKになり、フォードフェイスタ1.1Lがレンタル出来た。旅にはたえずアクシデントが付き物、これはちょっと驚いただけだが、これから妻と二人のドライブの始まりだ。

 地図を頼りにベルリンの繁華街クーダムを通り抜けるとすぐに住宅地に入る。一軒一軒が広大な敷地に日本の4軒分位の建物だ。街路樹に囲まれた落ち着いた町並みが続く。これらを眺めていると、地図の方向が読めなくなり、途中聞きながらポツダムまで走る。

 第二次大戦の戦後処理を話し合った当地、森と湖に囲まれた落ち着いたツェツィーリエンホフ宮殿。米英ソ三国による話し合いが持たれ、1945年7月26日にポツダム宣言として日本に迫った。が、これを拒否し結果的に広島、長崎に原爆の洗礼を受けることになる歴史的の場所だ。

渡し船に乗ってキャンプ場へ
 ポツダムからE51高速道路に乗るまで地方道路を十分楽しむ。小さな街に入ると石畳の道路が車を揺さぶって眠気を覚まし、信号と渋滞のない道路はストレス解消のカンフル剤だ。キャンプ場のマークを見付けて脇道に入ること10km、道はだんだんと細くなり、目の前の道がなくなり突然川になり行き止まり。よく見るとなんと車数台を載せることが出来る渡し船がある。わずか50mほどの川幅だが橋もなく、昔ながらのいかだで向こう岸に渡りキャンプ場を見学する。川岸に開けた松林にテント、トレーラ、キャンピングカー、バンガローと雑然と並び、その中で昔を思い出す手押しポンプで水を汲み、炊事の準備をしていた。

 再びフェリーで戻り高速道路に乗り入れる。ドイツとはいえ東側の高速道路は余り良いとはいえない。内陸に大量輸送する大型トレーラが路上で見られたが、これを次々と追い越し南へ向かう。

音楽の都ライプチヒ
 夕方には東ドイツ第二の都市ライプチヒに。メルクーアホテルにチェックイン。このホテルは鹿島建設によって建てられた近代的高層ホテルだが、この街の落ち着きには少々似合っていない。しかし19階の部屋から一望する町並みは見応えがあり、急いで食事をしに街に出た。夕方のとばりの落ちかけたライプチヒ中央駅は26ものホームがあり壮観だ。
 その夜はゲーテも通ったという古い地下の酒場「アウエルバッハ・ケラー」に行き、ビールで喉を潤しステーキで旅の疲れをとった。

 ライプチヒの街は早くから活気をみせ賑わっている。結婚式を挙げたばかりの新婚さんが教会から出て来、友人や家族達に門出を祝福されている人達に出会った。皆幸せそうな顔だ。バッハの眠れる聖トーマス教会では折から荘厳なパイプオルガンの演奏が奏でられる中、椅子に腰を下ろし静かな一時を過ごす。教会の玄関にあるバッハの銅像に頭を下げながらここを出て、ドレスデンに車を進める。
(つづく)


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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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