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みなさん さようなら

2005年11月19日(土)
紀宮様のご結婚への両陛下のお心遣い

 紀宮様と黒田慶樹さんのご結婚式のテレビを拝見して、皇室も大きく変わったなとの思いを深くした。
 先ず、両陛下が結婚式だけでなく、披露宴にもご出席になったことに驚いた。披露宴の模様をテレビで見ると、「新郎新婦のご入場でございます」など一般の披露宴とまったく変わらない。変わっているといえば、通常は末座になる新婦側の親族の席がメインテーブルの新郎新婦と両陛下が向き合った形でお座りになり、皇太子他のお身内が同席されて、新郎の黒田家側は通常のように末座に席が設けられていたことぐらいである。

 昭和天皇の内親王の場合、ご長女は皇族、次女は公爵というように、皇族華族の順位にご降嫁されたものだ。今や皇族はごく限られた天皇に近い親族になり、華族そのものがなくなって、いきなりサラリーマンのマンション住まいで、家事に追われるお嫁さんになるのは、何か侘しい気がしないでもない。戦後、一気に皇族華族を整理したけれども、世界でもっとも古い伝統を持つ皇室とその周辺の貴族は、日本文化の保持のためにも維持される必要があったのではないだろうか。少子化は皇室も例外ではなく、秩父宮、高松宮はお世継ぎがなくて絶家になっている。

 披露宴に出席された両陛下のお姿をテレビで拝見して、ふと古典の『大学』に出る詩経の言葉を思い出していた。
  詩云。桃之夭夭。其葉蓁蓁。之子干帰。宜其家人。
 詩に云う。桃の夭夭(ようよう)たる。その葉蓁蓁(しんしん)たり。この子干(ここ)に帰(とつ)ぐ。その家人に宜(よろ)しと。

 詩とは孔子が編纂したと言われる中国古代の詩を集めたもので、その中には民謡のようなものも多く含まれている。これもその一つだろう。若い桃の木の葉が盛んに繁っているのは子孫繁栄の象徴である。嫁ぎ先の人たちと宜しく仲むつまじくして欲しいという親の気持ちをこの詩は伝えている。紀宮様を黒田家に嫁がせた両陛下のお気持ちもそうで、結婚式と披露宴とに、異例のご出席をされたのは、その表れだろう。

 孔子は詩の大切なことを論語の中にもしばしば言及している。「詩に興り、礼に立ち、楽に成る。」(泰伯第8)などもそうだし、子の鯉に、詩を学んだかと聞いて、まだです、と答えると、詩を学ばなければ立派に人と話すことはできないよ、とも言っている。

 論語の中に「未だ之を思わざるなり。それ何の遠きことかこれ有らん。」理想追求の熱意不足に例えられるが、民謡の引用だから「思うて通えば千里も一里」で良いのでは。


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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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