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みなさん さようなら

2003年(H15)12月13日

視聴率や販売部数アップを目指すテレビ新聞に木鐸(ぼくたく)は期待できない

 このホームページが有難いことにアクセス100000件を記録した。塵も積もれば山となるとの諺もあるが、毎日の積み重ねというのは大きいものである。余り面白くもないこの種の固いコラムのホームページで、これだけのアクセスに達したのは、飽きもせずに開いて下さる方がずっといて下さったからで、心からお礼を申し上げたい。

 最近ある民放テレビで、視聴率を上げるための工作が問題になった。一般新聞でも購読部数を上げるためにいろいろな方法をとるのが常識で、簡単なのは販売店に対するいわゆる押し紙で、販売店では何ヶ月無料サービスとか、景品を付けるとか、その消化に懸命になる。そのあたりが販売店の腕の見せ所でもあるのだが、これは余談。

 テレビの視聴率、新聞の販売部数は、広告の売り上げに結びつくから、各社そのアップにあの手この手を使うのだが、本来のジャーナリズムは、それらと無縁のものである。テレビにしても、老人ホームで一日中付けっぱなしのテレビや、ながら族の視聴率を計算しても、購買意欲に結び付くことは少ないし、テレビ欄やスポーツ面しか見ない新聞読者も多い。視聴率や販売部数を重視するのは広告のためで、それを重視する姿勢からは大衆におもねる論陣しか出てこないことになる。少数でも良いから、ハッキリともの申すテレビや新聞があって欲しいのだが、商業テレビや新聞では難しい。例えば、自民党の政策に重大な影響を及ぼす公明党の批判を堂々と打ち上げる商業新聞はなくて、新潮社などの出版社系の週刊誌などが取り上げる程度である。

 孔子が弟子を連れて、衛の国境の儀という関所にさしかかった時の話である。その関守が、孔子にお会いしたいと申し出てきた。「君子の斯(ここ)に至るや、吾未だかつて見(まみ)えること得ずんばあらざるなり。従者これを見(まみ)えしむ。出(いで)て曰わく、二三子何ぞ喪(さまよ)うことを患えんや。天下の道なきや久し。天まさに夫子を以て木鐸と為さんとす。」おそらく関守には、諸国を回っている孔子も弟子もみすぼらしく見えたのだろう。あなた方、何の心配することがありましょう。天下無道の今、この先生にこそ、天はその無道を正す木鐸としての使命を与えているのですぞ。と言ったとされる論語の一篇である。木鐸とは、お触れを出す時に使う木に振り子を付けた道具で、お触れで民衆の進むべき道を知らせることから、ジャーナリズムを指す言葉になった。
 しかし、広告のための視聴率や販売部数アップを目指す媒体に、木鐸は期待できない。

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プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学処分。
15歳で安岡正篤先生門下に入る。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。
 みなさん さようなら  11月13日 】
絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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