みなさん さようなら

特装図書館
1989年(H元) 月刊「New TRUCK」 9月号

「河殤」
蘇暁康・王魯湘 著 弘文堂 1,300円

なぜ中国は停滞した
黄河に托したその嘆き


 中国で河といえば黄河、江とは揚子江を指す。「殤(しょう)」は悼(いた)む、つまり河殤とは黄河を悼む、黄河は中国の母なる河だから、中国そのものを悼む、ということにほかならない。
 テレビ放映のシナリオを邦訳したのが本著で、中国では昨年放映されたときに大きな話題になったと伝えられる。
 今回の事件(天安門事件)で放映は禁止され、制作者達は逮捕されたというが、少なくとも昨年には放映されたこと自体、中国の民主化は相当に進んでいたと思わざるを得ない。戦前の出版・映画の検閲のあった日本では、恐らく許可されなかったであろう。
 黄河の流域に発達した早熟の中華文明はなぜ長い間の沈滞を余儀なくされていたか、封建制が崩壊してからも依然として西洋や日本に著しく立ち後れているのか、の原因を探究する。
 近代化を阻んだ最大のものは孔子を祖とする儒教であり、伝統尊重の保守思想、中華意識の存在が近代化工業化を阻んできた、とする。その考えは新中国の現在にも引き継がれて、特権階級を生み、その腐敗を招いているとの指摘は今や常識となっているが、相当に勇気を必要としたことだろう。
 動乱のすぐ前に、いわば内部告発のテレビ番組が作られたことの意義は大きい。中国内でこのようなテレビ番組が制作され、放映されることは当分の間望めないと思う。
 今回の訪中で、黄河を間近に二度にわたって見たこともあり、本書は興味深く読み進むことができた。
 しかし、儒教の根本教典である論語を講義し、中国史を読む私からみると、儒教イコール沈滞という図式には反論せざるを得ない。現に日本、韓国、台湾、シンガポールなどの経済繁栄の原因を儒教に求める意見も強いのである。大陸中国と台湾を比較した場合、儒教的色彩を色濃く持っているのは台湾である。
 中国近代化の失敗は、王朝政権と同じような一党独裁の政治体制を選択したところにあった。彼らはそれを言いたかったのかも知れない。

※ 日本では1989年3月に発売された「河殤」です。発売3ヵ月後の6月4日に第二次天安門事件が起きました。
ハンガリーの国境開放は1989年5月、ベルリンの壁崩壊は同年11月、ソ連崩壊は1991年。Amazonでは現在、中古のみ扱っています。(妙)


「男爵」
大倉雄二 著 文藝春秋 1,200円

最後の文化パトロン
プレイボーイの一代記


 東京市ヶ谷(いちがや)、日本棋院のホールに貴公子然とした大倉喜七郎の胸像がある。碁を愛した彼は資金的な面で最大の日本棋院設立の功労者であった。
 喜七郎は大倉喜八郎の嫡男、喜八郎は一代で大倉財閥を築いた怪物。軍や政府と結びついた政商として巨万の富を築いた。日清戦争の時、戦地に送る缶詰に石ころを詰めて大儲けしたという話は有名だが、これは缶詰がまだ珍しくて庶民の口に入らなかったので荷役の人夫達が抜き取った後に石ころを詰めたのが真相らしい。あの喜八郎ならやりかねない、と思われてまことしやかに流布されたのだろう。
 喜八郎は明治維新の30年前、天保8年(1838)生まれ、著者は喜八郎83歳の時の子である。この一事だけでも怪物の資格は十分であるのに、87歳の時にもうひとり子供を作ったというから驚きで、この末子は夭折した。
 喜七郎は父親に似ない文化人であり、またプレイボーイであった。碁のことは先に書いたが、自動車に、スポーツに熱を上げ、音楽では歌沢、地唄、清元、河東節、新内、小唄、長唄、常磐津、浄瑠璃など邦楽の他に、オペラに興味を示し、尺八とフルートの合いの子のようなオークラウロという楽器も発明、作曲も手がけた。漢詩、書道にも熱心で、イタリアではトップ級日本画家による展覧会を開き、父の造った帝国ホテルのオーナーとして贅を凝らした宴会を主催、川奈には日本離れしたホテル、ゴルフ場を持ち、内外賓客の社交場にした。
 要するに湯水のように金を使った通人粋人であった。昭和初期の時代、喜七郎は最も贅沢に金を使った人物だろう。財閥の規模からいえば、三菱、三井、住友に比較すると大倉はずっと小さいが、大財閥が当主は象徴的な存在として傘下企業の近代的経営を急いだのに対し、大倉は家業の域を余り出なかった。それだけオーナーの権限と収入は絶大だったが、崩壊も早い。
 広く大倉の名を残すのはホテルオークラ位のものだが、帝国ホテルなどと共に所有権は大倉から離れ、大倉土木は大成建設となる。大成院は喜八郎の法号である。
 著者は大倉喜七郎の弟である。年齢が大きく離れているうえ、妾腹であるため栄光の余沢を受けることは少なく、母親の我欲、妄執に悩まされる。
 しかし、著者が定年まで勤務した文藝春秋社は、喜七郎の出資会社である。
 昭和初期の民衆の困苦をよそに、王侯生活を送ったことについての批判はあるかも知れないが、その時代の文化の庇護者であったことは確実である。音楽、演劇、絵画、昔は王侯、富豪がパトロンであった。その最後の人物の伝記を弟が書いているところが面白い。

※ 「大倉山シャンツェ」と呼ばれた札幌のジャンプ台は、喜七郎が昭和6年に私財で建設したもので、当時60m級。以後80m級、90m級と順次伸ばしていき、1970年に「大倉山ジャンプ競技場」と名称変更されました。(妙)


みなさん さようなら

2017.10.02 06:00|コラム・巻頭・社説・社告
1975年(S50)月刊「特装車とトレーラ」10月号

大型倒産を他山の石として平凡な真理に徹しよう

相次ぐ大型倒産
 照国海運が倒産した。戦後最大の負債を記録した興人の倒産があったばかりで、産業界を取り巻く情勢の厳しさを改めて訴えている。照国海運や興人の倒産理由については色々な方面から既に論じ尽くされているので、重複は避けるが要するに高度成長の波に乗って実力以上に急膨張した企業が、風船玉に穴があいたようにパンクしてしまったということであろう。興人はよく知らないが、照国海運は系列の日本高速フェリーを通じていささかのかかわりがあるので、このニュースを聞いて、ひとしおの感慨である。

 一昨年の3月、日本高速フェリーの東京―高知航路開設に先立って、同社の誇る豪華フェリー“さんふらわあ5”でレセプション航海が行われ、ご招待を受けて参加した。東京から高知までの20時間、金井克子とそのグループの豪華なショー、ふんだんに提供される料理と酒、文字通り飲めや歌えの、無礼講の航海であった。船上中川喜次郎社長とその一族の記者会見もあり、高知港には溝淵高知県知事が出迎えて歓迎レセプションが行われた。石油ショックの直前、世は高度成長の波にまだ酔い痴れており、中川喜次郎社長にとっては最良の日であったに違いない。
 この航海が縁となって、小社主催の第一回「呉越会」セミナーが東京―高知間の“さんふらわあ”船上で開催されたのをご承知の読者も多いはずである。

 この日本高速フェリーはその発足の当時から採算性が問題視されてきたが、照国グループがそのバックにあるということで命脈を保ってきた感が強い。その照国が倒産では日本高速フェリーもどうなるか見通しは今のところ立っていないようである。あの華やかなレセプション航海から僅か2年余り、栄華の夢は余りにもはかなくて、脆い。

 私は48年1月号のこの欄に「浮利を追う日本列島」のテーマで企業が本業以外に不動産や株に投資して、浮利を追求することの危険さを指摘した。高度成長が無限に進行して、強度のインフレが昂進することを前提に考えるならば、浮利を追う商法も成功するであろうが、所詮それは一時のアダ花に過ぎなくて永続性はない。興人は不動産に巨額の投資をし、照国は積荷保証のない外国船を用船することによって、一時期は巨利を博した。年率20%も30%も土地が高騰する神話や、貨物量に比べて船腹が不足した状態が続きさえすれば両社とも問題はなかったのである。
 浮利商法のトガメは興人、照国だけでなく、あらゆる方面に及んでいる。高度成長に便乗した自治体財政もその一種であろう。

車体メーカーの生き抜くための具体的方策
 幸い、自動車、車体メーカーに倒産騒ぎを聞かない。自動車メーカーのなかに一時マスコミに喧伝されたものもあるが、企業内努力と金融筋のバックアップにより危機は脱した模様である。
 車体メーカーも需要減退のなかでよく持ちこたえている。これは受注受註産業で在庫の心配は殆どない、設備投資負担が小さい、蓄積がある、などの理由によるものであろう。私が先に述べた浮利を追う体質を自動車産業が身につけていなかったところにこのような状況下での根強さがあると思われる。
 しかし、もう少し掘り下げて考えてみると、自動車産業は高度成長経済を支えた代表的産業であり、産業全体が膨張し続けており、浮利を追うようなことはしなくても十分の利益を確保できた。その意味では、恵まれた業界であったといえるであろう。この恵まれた環境も、高度成長の神話の崩壊と同時に変化を迫られるのは当然であり、高度成長への甘えは許されなくなる。
 きびしい情勢に対応する具体策はどうか。抽象的な理論は抜きにして、2,3述べてみたい。

(1)生産コストの低減をはかること
 おそらく各社でも実施していることであろうが、さらに工夫を要する。手前味噌になるが、この雑誌は本年の3月号からそれ迄の活版印刷から高級なオフセット印刷に切り替えた。当然かなりのコストアップになるところであったが、業界の常識に敢えて挑戦して、生産工程の合理化を図り、殆ど生産原価は従来と変わらず、質的向上が達成できて、読者から喜ばれている。衆知を結集し、常識のワクを超えて工夫すれば、まだまだ、改善の余地はあるものである。

(2)オリジナル製品、技術を持つこと
 他社に真似の出来ない製品、技術を持っているメーカーは、断然強い。技術革新によって、これ迄熟練を要した作業が誰でもできるようになる。アルミブロックアオリはアオリの取付工程を単純化したし、本号に記事のあるプレハブ工法の冷凍・冷蔵バンボデーは架装工場で現場発泡作業を一切無用にした画期的なものである。これらは当然、生産工程のスピードアップ、工賃の低下を伴う。独自の製品、技術を持たない車体メーカーは苦境に立たされるであろう。他の車体メーカーとはひと味もふた味も違うものを持つことが、車体メーカーのこれからの課題であろう。そのためには利害を共にする他メーカーとの情報交換、技術協力、販売・サービス提携なども真剣に考える必要がある。

(3)経営に自主性を持つこと
 経営者が真にその手腕を発揮するために、経営に自主性がなければならない。もちろん、主要な納品先、取引先、金融筋と密接な関係を保ってゆくことは当然である。その企業の成立の過程からして、資本的人的に親企業の系列に属するものもあるが、可能な限り自主路線を取って、親企業の負担を軽減すべきである。
 借入金もできるだけ抑えて、金利負担を軽くする必要がある。高度インフレ下では金利はそれほど問題にはならないが、低成長時代には大きな負担となる。銀行に儲けさせるだけのような経営の愚はなんとしても避けねばならない。
 以上、まことに平凡であるが、真理は平凡の中に存する場合が多い。さらに、平凡なことは言うに易く、行うに難い。興人、照国海運などの大型倒産を他山の石として、車体メーカーは平凡の中にある経営哲学を体得し、これからの低成長時代を生き抜くよう希望したい。


みなさん さようなら

2017.09.28 06:33|コラム・巻頭・社説・社告
1975年(S50)「特装車とトレーラ」9月号

トレーラ工業会の設立を提唱する

自主独立路線の確立を図るべきである

 一利を興(おこ)すは一害を除くに如(し)かず、という格言がある。良いと思われるようなことでも、その為の組織を作ったりするよりも、不要となったものや邪魔になったものを整理する方がはるかに大事であるし、効果も大きい、という意味である。公社公団を濫造したり、組織や役職を増やすことに熱心な官庁や企業にはいい警告の言葉であろう。
 私が冒頭に掲げたトレーラ工業会の設立は、この格言にいささか矛盾するようではあるが、以下に述べるような状況から是非とも必要であると考えられるので、敢えて提言するものである。

 トレーラメーカーは現在、(社)日本自動車車体工業会に加入し、トレーラ部会を作って様々な活動を行っているのはご承知の通りである。それで用が足りているのならそれでいいではないか、というご意見もあろうが、用の足り方も様々で、その判断は極めて難しい。しかし、車体工業会のトレーラ部会での活動で十分である、と考えている人は殆どいないのではあるまいか。
 車体工業会の車体というものは自動車の部分である、だからその工業会も自動車工業会の下部組織に過ぎない、と考えるのも当然であるかもしれない。自動車工業会の会長は、トヨタか日産の社長、車体工業会はその下請会社のトヨタ車体か日産車体の社長が会長を務めるのが、不文律のようになっているものか、近年はこういう人事が続いている。車体工業会が多数の会員会社を擁し、立派な事務局を持ちながら、社団法人という業界団体としての認知がされないまま発足以来20数年を経過したということも、その体質を物語るものである。
 私がこの本を前任者から引き継いだ数年前には、なぜ車体工業会はこれ程弱い団体であるのかとまことに歯がゆかったものである。せめて、私の作る専門誌ぐらいは車体を扱っても、もっと強く、完全に自立したものでなければならない、何か意地のようなものが働いて頑張った。しかし、業界の実情が段々分かってくるにつれて、こういう団体であるのも無理はない、体質の強化は一朝一夕には不可能である、ということも諒解されるようになってきた。
 たしかに一般の車体メーカーは直接ユーザーと結びつかず、自動車メーカーまたはディーラーからの受注によって生産するケースが多い。下請企業とみられても仕方のない面もある。
 しかし、トレーラになると様相はかなり異なってくる。構造的にもトレーラはエンジンを持たず、それ自体1個の独立した存在となっており、受注活動もトレーラメーカーが独自に行う場合が多い。
 さらにトレーラには一般車とは異なる法規があり、使用法がある。わが国のトレーラの普及を阻害している大きな原因は法規的な面にある、とは多くの人が指摘するところであるが、この点の打開は車体工業会の一部会の活動では困難である。現在は個々のメーカーが陳情しているケースも多く見られるものの、やはり独立した強力な工業会を通してゆくのがスジというものである。
 ダブルストレーラ、特殊トレーラの許認可などの身近な具体的課題から、ヨーロッパに見られるような軸重による荷重制限への移行、税制面での再検討など地道に長期的に取り組んでゆかねばならない問題もきわめて多い。
 これまで大量輸送ということが言われてきたトレーラのメリットについても、そのシステム的運用についてはメーカー、ユーザーとも理解が十分でない場合が多い。現在の経済活動の停滞による荷動きの低迷で、大型トラック以上にトレーラの需要は落ち込んでいるが、安定成長、低成長にせよ、正常に復した場合、省力・省資源・システム車輛としてのトレーラは必ず見直される筈である。
 トレーラのシステム的効用を最大限に発揮したのは長距離フェリーであり、本年10月からは東京―苫小牧間に貨物フェリーが就航することになっている。航路によっては利用者の少ないところもあるが、東京―北海道のように物流ルートとして確立した航路では、トレーラ化はますます進むであろう。
 これらのシステム的運用については個々のメーカーによるよりも、工業会あたりで訴えてゆく方が効果があろう。

 以上のような観点から、車体工業会のなかでも、トレーラを除くトラック・小型・バン・特装・特種などの部会とトレーラ部会との間には大きな違いがあることが諒解できると思う。
 トレーラメーカーの数は決して多くはない。しかし、目的を異にする多数の集団よりも、少数であっても共通目的を持って結束した団体の方がまとまりはよく、強力な活動ができるものである。トレーラ工業会の設立を真剣に考えてはどうであろうか。


みなさん さようなら

2017.09.25 04:16|その他月刊誌記事
宮嵜氏の講演中で、パブコの二次架装の話が出てきます。これについて、月刊「NewTRUCK」に記事がありますが、Net発信していた「増田周作のおはようコラム/論語」(2006年4月22日・29日)では、『車検後工作は世界の情勢に合わなくなった現行車両法規の改正で解決する問題』であると意見しています。このブログコーナーにもすでにアップ済みなので、併せてお読み下さい。月別アーカイブ、2017年4月10日アップのページ。(妙)


2006年(H18) 月刊「New TRUCK」 10月号
特別講演
講師 自動車検査独立行政法人 宮嵜拓郎 理事

今、緊急課題の不正改造問題を学ぶ
“トラックに関するコンプライアンスと今後の自動車検査について”
 終わり


3.トラックのコンプライアンスと二次架装
 この項では、トラックのコンプライアンスと二次架装という題でお話をします。トラックのコンプライアンスの本命は二次架装にあります。この二次架装については、「New TRUCK」誌でもキャンペーンを行っていますので、「二次架装の防止に関する経緯」を配付資料としてお付けしたのはそういう意味もございます。

(1)トラックの二次架装の歴史
① 二次架装防止の歴史
 二次架装防止についてお話しすれば、非常に長い歴史があります。二次架装が問題になり始めたのは、昭和40年代後半から50年代にかけてです。近畿地区の大型4社の販売店に対して警察が二次架装を摘発したことを受けて、運輸省も二次架装防止を何回か通達しております。これを踏まえて不正改造防止運動ができました。
 今は不正改造排除運動と言っていますが、実際に始まったのは昭和63年からです。近畿の地域運動として始まり、3年程経った平成3年から全国運動になりました。その後、10数年にわたって不正改造防止運動が実施されてきましたが、平成16年に警察が近畿地区の大型車販売店に対する摘発を行ったことを受けて、国土交通省が再び二次架装防止を通達しました。その後、平成17年に車体工業会の二次架装防止自主対策が実施されました。
 問題は、それにも関わらず、二次架装が今も絶えないということです。

② 最近の二次架装防止の動き
 パブコの大規模二次架装については、本日パブコの方が来ておられたら申し訳ないのですが、皆で二次架装を直さなくてはいけないとしてきた後での発覚でございまして、これまでになく大規模で長期間にわたっていたので、このような事件になってしまったわけです。
 実は、その前に軌陸車(軌道陸上兼用車)の事件もありました。これも結構多数の架装事業者が関与しているのですが、これは軌道用の車両という特殊な車両についての二次架装でしたし、数もそれほどではありませんでした。
 平成17年以降の話ですが、ここで問題なのは、不正改造防止運動に車体工業会が団体として参加している中で「自分たちは不正改造をしません」と言いながら二次架装をやっぱりやっていた、ということに問題があると思います。その後、平成18年に車体工業会が二次架装実態報告をし、その車体工業会の報告を受けて国土交通省が二次架装防止を通達しました。しかし、通達は行政上は法律ではなく通達だから我々は従う義務がない、という事業者もいるようです。法治国家ですから、これだけの事実が重なりますと、国土交通省も検査法人も法令で定めて何かやらざるを得ない状況です。

(2)二次架装防止の強化
 今年の5月19日から施工されました新しい道路運送車両法では、架装メーカーに対する監督の強化ということで、報告徴収と立入検査が実施可能になりました。これまでは、自動車メーカーに対しては報告徴収・立入検査が可能でしたが、架装メーカーに対しては、明確に規定されておりませんでした。それが法律上、はっきり定まったということです。
 それから、自動車検査証にも燃料タンクの個数や容量を記載することになります。これは今年の8月からで、検査法人の仕事になり、さらに将来的な方策の検討としては、もっと高度な二次架装防止策の検討をしています。

4.コンプライアンスの確保と今後の自動車検査について
(1)コンプライアンスの確保方策
① 企業の社会的責任
 企業にとって、この部分を追求することの重要性は非常に大きいと思っております。企業の主体性によるコンプライアンスを第一に考え、企業にとってコンプライアンスは危機管理だという認識を持つことが大切です。
 不正や不祥事は、何時明るみに出るか分からないし、何時事故に繋がるかも分からない。先ほど、新しい道路運送車両法についても簡単に触れましたが、それ以外にも業務上過失致死、あるいは業務上過失致傷に問われる可能性があります。現に三菱の事件、或いは今回のトヨタの件では、業務上過失致傷に問われています。そういう意味で、企業がまず社会的責任の一環として、率先してコンプライアンスに取り組むべきではないかと思います。

② 自動車関係のコンプライアンス確認…(略)
③ コンプライアンス促進の3大キャンペーン…(略)
④ 自動車検査法人の役割…(略)
⑤ コンプライアンスの責任…(略)


(2)自動車検査の新たな役割とコンプライアンス
① 自動車検査制度の位置付け
 コンセンサスにはまだなり切っていませんが、自動車の検査制度は「自動車管理の徹底に不可欠な社会基盤的な制度である」という位置付けだと思っています。
 航空機とか船舶或いは鉄道等のように保有する事業者の数が限られる輸送機関については、相当に厳しい資格要件が定められているのですが、それらの輸送機関と比較しましても自動車に関しては、僅か数十時間の運転免許講習と1回の試験、それによって運転を許可され、また車両の検査についても3年に1回、ないし2年に1回というのが乗用車の検査期間です。さらに、年間に10万台の街頭検査をやっていますが、8千万台を超える自動車の保有数の中で考えますと、年間800台に1台しか街頭検査を受けていないということですから、その中でコンプライアンスを確保していくというのは、非常に難しい。
 自動車は非常に危険な商品であるにも関わらず、多数の方が使うというのを前提としたものですから、もっと色々な方策で管理が徹底されるべきだと思います。その為のひとつの制度が、自動車検査制度で、新しい検査の意義には次の3つがあります。

〈検査の意義 その1〉整備不良車の排除…
定期検査を実施することによって、整備不良を排除する。また、リコール未実施車の発見をする。
〈検査の意義 その2〉自動車社会秩序の維持…
不正改造車など迷惑車両の排除と盗難車など不審車両の発見。検査法人では年間200台以上の盗難車を発見しておりますが、このような盗難車は検査の中でしか発見できないだろうと思っております。
〈検査の意義 その3〉自動車使用の適切な管理…
受検状態の正確な記録による二次改造と節税改造の防止や検査結果の通知による使用者の点検・整備など管理責任の啓発。

② 適切な自動車検査方法の規範の策定
 検査法人は、様々な自動車の仕様に応じた検査方法を策定・改訂するだけでなく、指定整備工場等の民間車検期間が行うべき検査方法の規範を提示する必要があります。

③ 先進技術の普及に対応した自動車検査技術の開発
 電子装置化、環境対策装置の高度化などの技術革新等が進んでいますので、新しい検査の方法が必要だということで、それらの新技術を対象として法人としては検討を進めております。実際に審査をする方法については、審査事務規程という規程を設けておりまして、ホームページにも乗っています。…

(3)自動車検査法人の新たな目標…(略)

(4)自動車検査法人の新たな業務のヴィジョンについて
 業務ヴィジョンはいくつかあって、その中でも、特にコンプライアンス関係を抜粋してご説明します。
① 不正改造車の排除
 不正改造車の排除という観点で、平成17年度から、カスタムカー・ショーにおいて、展示車についての啓発・指導を始めました。東京オートサロン等、全国5つの都市で行われております、いわゆるカスタマイズを専門とした乗用車系のショーがございます。その中で、不正改造車がナンバープレート付きで展示されています。そういう車を見て、自分の車も改造したい、というケースも多いわけです。問題のある車については、公道では走行できませんと明示して、レースなどの世界で楽しんで頂くだけにするという活動を始めましたので、今後も継続していきます。
 今年度から、カー用品ショップにおいて、車検対応品についての啓発活動を始めることにしています。具体的には、問題のある部品を付けて検査場に行けばトラブルの元になります。車検対応品として買ったのにも関わらず、どうして問題があるのだという話になります。問題になるようなものは買わないようにして頂く、或いは買う前にそういう問題があることを承知の上で買って頂く。どうすれば問題がないのか。取付方によって問題が解決する場合があります。例えば着色フィルムであれば、貼る位置によって問題にならないケースがあり、付けてはいけない場所もあります。そういった車検対応品と称している部品関連について、問題があるならば前もって予防的に指摘をしていこうということです。取り敢えずは、大手の用品ショップで始めたいと思っております。

② 不正受検と不審車の排除による自動車社会秩序の維持…(略)

③ 3次元画像データシステムの導入による二次架装の防止
 新規検査受検時における車両の3次元画像データのを電子的に記録して保存することを検討中です。先行システムは八王子事務所に配備し、全国の事務所に順次導入することを検討しています。そして将来的には全国何処でも見られるようにデータベース化した画像記録との比較確認により二次架装の不正を防止する、そういう考えでいます。

④ 不正受検防止等のための検査場の電子化
 現在は、検査を非常に大らかな方法でやっておりまして、検査表を受験者に渡して、検査場から庁舎まで持っていって頂いています。整備事業者しか来なかった昔の古き良き時代のシステムなのですが、これは生徒に答案を試験終了後に渡して職員室に持って行ってください、と言っているようなものでして、その間に改竄(かいざん)やすり替えができる、という意味で不正の温床になっていると思います。それを防止するためには電子化する必要があるので、その仕組みを八王子事務所に試験的に設置をしようとしています。いずれシステムができた暁には皆さんにお知らせします。
…(略)…
 今日はこういう機会を得て、皆さんにお話をさせて頂きました。今後も様々な機会に検査法人として情報を発信していきたいと思っておりますし、例えば審査事務規程の説明会等も設けたいと思っております。本日はどうも有難うございました。



みなさん さようなら

2017.09.21 06:00|その他月刊誌記事
2006年(H18) 月刊「New TRUCK」 9月号

 宮嵜氏の講演を聴いて ――
車検後工作の根底にあった「面従腹背」姿勢
対決姿勢から対話路線確立に向かう契機に

 初対面の宮嵜氏の印象は、温厚そうだが、有能で職務に忠実な官僚である、この人ににらまれたら怖いな、というものだった。宮嵜氏も、「New TRUCK」誌上で筆者の毒舌は十分承知していたようである。

 宮嵜氏は先ず、コンプライアンスの定義概念について説明した後、自動車検査と不正工作の具体例の説明に入り、三菱自動車のリコール隠蔽、パブコの車検後工作について、その悪質さに言及した。
 詳細な資料を用意して手順良く説明を進めた内容については、別項の講演記録があるので紹介を避けるが、異論を差し挟む余地のない講演内容だった。
 宮嵜氏は、車検後不正工作に荷担した車体メーカーの主体性のなさについて述べたが、この点については筆者も全く同感で、講演後のお礼の挨拶の冒頭でもお詫びをした程である。
 車体メーカーの主体性のなさについては、誰よりも筆者が創刊当初から痛感していたことである、と前置きして次のような内容の話をした。

 “少年時代から論語に親しんで、己を修めて人を治めるのが為政者の努めであると教えられてきた人間が、40歳半ばで初めてトラックの世界に入って見たのは、無法が堂々とまかり通っていた世界だった。
 その中でも車体メーカーは、最も弱い立場に置かれていて主体性はまったくなく、隷属的な地位に甘んじていた。
 このような歪(いびつ)なトラック業界を正常化するために、当時日産ディーゼルに在職して、後に日本自動車車体工業会に転出した故平坂重雄氏に依頼してキャンペーン記事を連載したものの、官庁、メーカー双方から無視されたままだった。
 誌面の上でのキャンペーンに限界を覚えて計画したのが「トラックショー」だった。当初は関係官庁、団体を網羅した運営組織を作って、ショーだけでなくトラック業界全体の課題を討議する機関にしたいと考えたのだが、メーカー団体の反対に遭って挫折した。
 やむなく日新出版の単独主催で「トラックショー」を立ち上げたのが昭和59年。だんだん規模も拡大して、明年はモーターショーと同時開催になった。
 「東京モーターショー」を主催する日本自動車工業会(自工会)は、乗用車と合同のショーから2000年に商用車を分離開催したものの、僅か3回で経済上などを理由に中止した。
 自工会の主力は乗用車メーカーであり、車体メーカーの業界団体である日本自動車車体工業会(車工会)にしても、トラックは幾つかある部会の一つで、メーカー団体で真にトラックを代表して問題に取り組むという体制になっていない。折角東京モーターショーから分離した商用車ショーを僅か3回で中止したのは、自工会も車工会も、トラックを真剣に考える体制になっていないことの表れである。
 このような状況の中で、長年にわたって車検後不正工作が行われてきた。
 その間の、車体メーカーの「面従腹背」姿勢が、不正行為が長く続いた大きな原因であると思っている。できないことはできないとピシャリと拒絶すれば良かったのだろうが、永年に亘って染み着いた車体メーカーの隷属的体質は、毅然たる態度を取ることができないままに、ズルズルと30年以上も不正行為が続いたのである。
 今回の告発で車体メーカーの姿勢は変わってくるだろうが、根本的な解決は時代に合わなくなったトラック法規を変えることで、最大積載量制から総重量制に移行すべきである。憲法でも改正運動が起こる時代であり、関係者が勇気を持って取り組むべき課題であると思う。”

 以上の内容の挨拶をした。
 筆者が本誌で強調したのは、行政側が長年の車検後不正工作の事情を知りながら、有効な手段を講じてこなかった点についてである。その間に、不正行為に対する不感症の様なものが関係者の中に醸成されたのである。
 しかし、宮嵜氏は最近の数年にわたっての取り締まり状況に絞って話をされたのだから、筆者の論陣とは噛み合わない。筆者は論語を勉強してきたので、「温故知新」の観点に立って長いスパンから今後を考える立場を取る者であり、この視点に立った論議をこれ以上続けても不毛に終わるだけである。

 トラック関係者の中で、コンプライアンスの精神が完全に浸透するのを望むという点では、筆者は誰にも負けない。
 宮嵜氏を煩わせた今回の講演会を契機に、これまでの対決姿勢を改めて対話路線を進めていきたい。
 その点で、実りの大きかった日新出版主催の講演会であったと自負している。 




プロフィール

増田周作

Author:増田周作
(株)日新出版 創業者
月刊「特装車」「特装車とトレーラ」「NewTRUCK」編集発行人
「東京トラックショー」創立・主催者

大正15年8月30日生まれ 土佐出身
(H23年すい臓ガン、翌年肝臓ガン発病)
平成24年11月21日 肝不全で死去
       享年87歳

旧制中学1年1学期、上級生とのケンカで先方2名と共に退学になる。
大阪商科大学(現・大阪市立大学経済学部)卒業。土木従事、新聞社を脱サラ後、広告代理店経営。昭和44年43歳、東京でトラックの月刊誌発行を始める。
湯島聖堂「斯文会」名誉会員・後援会常任委員を務める。
「呉越会」「東京トラックショー」「増田周作のおはようコラム」「日新論語会」など、常に社会の木鐸(ぼくたく)でありたいと願った“いごっそう”であった。
伊与田覚学監は10歳年上の叔父。

【 これがほんとうのあとがき。43年のもの書きの、最後の後書になった。われながらよく書き続けたものだと思う。
「生涯現役」。もの書きとして生涯現役を貫いた喜び、これに勝るものはない。読者の皆様に最後の「わだち」をお送りしてお別れをしたい。今、私は至福の感をもって最後のわだちを書いている。みなさんさようなら   11月13日 】
 絶筆 H24年/12月号
「わだち=月刊 NewTRUCK 編集後記」

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